協会の歩み 1981年〜1983年
再建総会で高らかに宣言文を読む赤木五郎会長
1981年(昭和56年) 岡山市日中友好協会の再建
 81年を迎え吉岡一太郎、中西寛治、山本修一、村上栄氏らが岡山市日中友好協会の再建準備委員会を結成し市民の参加を呼びかけた。趣旨は、協会は広く一般に開放された民主的なものでなければならないという。これに応え9月12日に開かれた再建総会に学術文化、経済、労働界などから40人が圧まり赤木五郎会長以下役員を選び活動方針、規約などを決めた。また別項のような「21世紀に向け第一歩を・・・」と格調高い総会宣言を採択した。こうして再建といいながら事実上新しい協会を設立した。
総会宣言 「市民のみなさんへ」
 岡山市日中友好協会は、本日、再建総会を開きました。わが協会は、この再建総会を期して、21世紀に向かって新たな段階の日中友好運動の第一歩を踏み出しました。
 日中国交正常化と日中平和友好条約の締結という、素晴らしい時代を迎え、日中友好事業はまさに国民的課題となってきました。また、わが岡山市は、中国洛陽市と友好都市縁組みを結び、「市民みんなで日中友好!」の幕開けとなり、わが協会の任務はますます大きなものとなりました。
 80年代は激動の時代といわれ、平和と安定が望まれている一方で、覇権主義がアジアと世界の平和を脅かしています。わが協会は、引き続き日中両国民の友好の架け橋として、文化・人事の各分野において、積極的に交流を推し進め、相互理解と信頼を増進させ、永遠の日中友好のために尽力をする所存です。
 市民のみなさん。
 岡山市日中友好協会が、この重大にして光栄ある任務を立派に果たしていけますよう。引き続きご支持ご鞭撻をお願いいたします。
 右、宣言いたします。
 1981年9月12日
                   岡山市日本中国友好協会  再建総会
研修を終え帰国する留学生の送別会(長泉寺で)
1982年(昭和57年) 「会員通信」第1号が発行
 協会の機関誌ができるまでの間、会員の交流の場として、1982年5月に「会員通信」が発行された。以後7号まで続いたが第1号の主な内容は2月13日の新春互礼会である。国交回復10周年、岡山−洛陽友好都市1周年、を記念したもので、市民200人が集まり、中国大使館からも宋金銘・一等書記官ほか2名が出席され日中新時代を象徴する画期的な集いとなった。赤木会長は「市民運動の礎ができた」と喜びの挨拶を述べた。宋書記官は中国の「四つの現代化」達成運動を話し、岡山市日中友好協会の今後に期待すると友情のこもる言葉もあった。なお任普恩・洛陽市長、岡崎嘉平太特別顧問からはメッセージをいただいた。
 次に「再見!中国人留学生」の見出しで送別会の記事が載っている。3月13日長泉寺に学業を終えた留学生6名を招き村上、山本両副会長も出席して「帰国しても日中友好の架け橋となって下さい」と挨拶し激励した。また3月には松井事務局長が洛陽市の招きで訪中、対外友好協会の宋自立氏、載保安氏と今後の交流計画を協議した。とある。
高島屋で「大中国展」盛況
 日中国交回復10周年記念、岡山洛陽友好都市1周年を記念して82年5月13日〜18日、岡山高島屋8階催し場で大中国展が開かれ多大の成果を上げた。13日の開会式には、中国版画協会の李平凡氏、岡山華僑総会の由三民氏、岡山市助役渡辺圭介氏、岡山大学学長大藤眞氏、後楽園事務所長山本利幸氏、オリエント美術館長山本遺太郎氏、最上稲荷管長稲荷日信氏、両備バス社長松田基氏、少林寺拳法連盟会長佐々木昭平氏らが臨席、主催者側の岡山市日中友好協会、郭沫若氏を偲ぶ会、岡山県日中仏教文化交流会の役員ら約40名が出席した。
 会期中の入場者は延べ8万人。「現代中国版画展」は、李平凡氏の尽力によるもので、約100点。「洛陽展」は「洛陽の山水」「洛陽牡丹」がそれぞれ100点の展示即売会。「郭沫若遺墨展」は岡山に馴染のある人だけに人気を集めた。
「洛陽市紹介」小冊子発行
 岡山市−洛陽市友好都市1周年を記念して、洛陽市の歴史・文化・産業・名所旧跡など広範囲に紹介していた小冊子を協会が発行した。資料は対外友好協会洛陽市分会より提供されたもので、翻訳は中華医学会上海分会の林玲さんに全面的に世話になり、また中国語に堪能な市内の宇田川まゆみさんの助力を受けた。サイズはA6変形・26ページ、発行部数は3,000部、頒価100円。
初めての訪中で緊張する第一次協会派遣団
第一次協会訪中団を派遣
 第一次協会訪中団22名は9月5日〜16日までの12日間、北京・洛陽・鄭州・長沙・桂林を訪れ無事帰国した。北京では、中日友好協会を訪問し、孫平化副会長と約1時間歓談。席上副会長は岡山と中国との友好従来の歴史を話された。また「歴史教科書改訂問題」に触れ、日本軍国主義による中国侵略の歴史に対して正しい認識に立ち、次の代に伝えなければならず、歴史の改竄は許されないと厳しく指摘された。これに対して赤木会長は「教科書問題は遺憾あり、日本国民の大部分は軍国主義復活に反対である」と明言した。会談は緊張した中にも終始和やかな雰囲気で行われた。
 洛陽へは午前4時に到着したが、早朝にも拘わらず洛陽市分会の史宋儒副会長をはじめ関係者多数の出迎えを受けた。当日は洛陽賓館で洛陽日報・放送局などの記者会見、対外友好協会主催の盛大な宴が開かれた。対外友好協会の宋会長は赤木会長を部屋に訪れ、友好都市運動の今後について意見交換を行った。
各地で熱烈歓迎を受けて感激する一行
赤木団長の訪中団報告
 このたび岡山市と洛陽市の姉妹都市縁組1周年を記念して、洛陽市の招きにより岡山市日中友好協会第一次訪中団の団長として、北京、鄭州、洛陽、長沙、桂林、上海の6つの都市を訪ねる機会に恵まれた。わずか12日余りの旅にすぎないので、あまり語る資格があるとも思えないが、ただ自分の目で見たり、肌で感じた中国の印象について述べてみたい。
 先ず第一に強い感銘受けたことは、中国の人々がわれわれ日本人に対して極めて友好的であり、大変親切だった点である。私たちは至る所で所謂熱烈歓迎を受け心から温かいもてなしを受けたが、いわれない戦争を仕掛けられ、同朋1000万以上も殺傷され、国土の4分の3まで蹂躙された中国の人々にとって仇敵ともいうべき私たち日本人に対して極めて友好的であり、あたかも百年の知己であるかのような親しみをもって心から温かく迎えられたことは、全く意外でありね私たちは強い感銘と感謝の気持ちでいっぱいであった。
 行く先々で、中国の人々から「日中両国の間には二千年以上に及ぶ長い友好的交流の歴史があり、このたびの中国侵略はその中の一コマに過ぎない。また、これは日本国民を友人と思い、子々孫々まで長く友好関係を続けねばならないと考えている」という言葉を聞いたが、日本人の一人として中国の人々に大きな損害をかけた負い目には何よりの心の救いであった。私たちが中国を訪れた時期は、折り悪く例の教科書問題の最中であったために方々で教科書問題に対する意見を求められ、洛陽市では新聞記者や放送記者などのインタビューまで求められたが、日本の世論は文部省の措置に対して厳しく批判している旨の私の意見に対して、みんな気持ちよく諒解して追及もなく、私たちは最後まで楽しい旅を続けることができた。
 私は今回の旅行を通じて日本が真の平和を維持し、アジアや世界の平和を求めるためには、先ず何よりも隣国である中国と手を握り友好的に共存共栄を志さねばならぬと痛感した。略。
          (1983年9月・第一次訪中団 団長 赤木五郎)
北京で孫平化会長と会見する赤木五郎氏と山本修一氏
総会に活発な意見続出
 10月17日に岡山県農業会館で第2回定時総会が開かれ、再建後1年の活動をしめくくった。又、記念として行われた協会顧問岡崎嘉平太氏の講演会には、約100名が集い熱心に聞き入った。
 総会は、山本修一副会長の開会挨拶で始まり、議長に奥津憲治理事を選出。ただちに松井事務局長より活動報告・収支報告・活動方針・予算案が一括提案された。
 活動方針に対して、会員の中から次のような意見が出た。協会として研修生の受入れを検討してはどうか。友好都市洛陽市に何か友好の記念碑のようなものを建立する運動を展開してはどうか。岡山における日中友好史を出版してはどうか等。これらの意見は理事会に議題として取上げ、現実に向けて努力する旨約束された。
 総会後、岡崎嘉平太氏が「今後の日中友好のあり方」と題した講演があった。
鄭書延副市長に安徽路小へ贈る書と画を託す清輝小の児童
洛陽市鄭書延副市長が来日
 友好都市の取決めとして、一年交替で両市の相互訪問が約束されているが、この年は洛陽市が来日する年。10月20日、鄭書延副市長を団長とする7名が来岡、経済技術を視察するため三菱自工水島製作所、松下電器産業など工場施設を見学した。当協会は21日に表敬訪問を受け、赤木会長はじめ役員のほか、第一次友好訪中団のメンバー、児童交流を深めようと清輝小学校の児童ら総勢約30名が事務所に集まり歓迎をした。また、23日には青江の三好野レストランで歓迎会を催し、席上第一次友好訪中団から8ミリ映写機が贈呈された。
古箏や琵琶などの演奏と西域の歌で聴衆を魅了する
1983年(昭和58年) 中国音楽代表団が来岡
 1月29日から2月1日まで、中華全国青年連合会が派遣した中国民族音楽代表団が岡山を訪れた。この代表団は、王達祥氏(中華全国青年連合会副秘書長)、劉炳森氏(中国書法家協会常務理事)北京音楽院の講師、生徒ら12名で、静岡、大阪、京都、広島の各都市を訪問し大きな反響を呼び起こしてきた。
 岡山では、岡山市日中友好協会が受け入れとなって準備を進めてきた。29日の午後1時、岡山駅に到着した一行は岡山市日中友好協会、岡山県日中仏教文化交流会、両備バス、少林寺拳法連盟の人たち約70名の熱烈な歓迎を受けた。31日午後六時から岡山市民文化ホールで行われた「日中民族音楽交歓演奏会」は、岡山市日中友好協会と岡山三曲協会(琴、尺八、三味線の組織で当日120名が参加)の共催で行われ、両国のすばらしい民族楽器の音色がホール一杯に響いた。
岡山と中国の友好が深まる中で機関紙「岡山と中国」が創刊
機関紙「岡山と中国」創刊
 協会設立以来「会員通信」を発行して、活動報告などをしていたが、より充実した内容にするため1983年2月、念願の機関紙を発行した。創刊にあたって赤木五郎会長は次のような挨拶文を掲載している。
 「市民みんなで日中友好」をスローガンに岡山市日中友好協会がスタートしてから早二年目を迎えます。この間協会は、国交正常化10周年事業、洛陽展開催などの友好年推進事業、そして各界の訪中事業など、様々な活動を通じて、日中友好運動の発展と巾広い市民組織づくりに尽力して参りました。(略)
 私共岡山市日中友好協会は引き続き、岡山市民と中国人民との永遠の友好を発展させるため尽力致しますので、皆様の一層のご支援を賜りますようお願い申し上げます。
 このたび協会機紙「岡山と中国」を発行することになりました。どうか皆さんの忌憚なきご批判を賜り、より良き内容にして頂きたくお願い申し上げ、創刊にあたりましてのご挨拶とさせて頂きます。またバスハイクの寄稿文が掲載されている。(資料B)
中国からもメッセージ
 「岡山と中国」発行にあたって3月22日付で中国人民対外友好協会洛陽分会より岡山市日中友好協会宛左記のようなメッセージが届いた。
 私たちは貴協会の機関紙「岡山と中国」をうれしく思いながら読みました。そして新聞の誕生を熱烈にお祝い致します。この意義のある新聞の誕生は将来岡山市人民と中国人民の相互理解と友情を更に深めるのに役立つ事を確信致します。最後に赤木五郎会長、新聞発行の責任者村上栄副会長および会員の皆様の日中両国民の友情増進のための努力に心から感謝します。
西周時代(紀元前11世紀〜前771年)の青銅器に見入る人々
オリエント美術館で秘宝展
 岡山市−洛陽市友好提携2周年を記念して3月〜5月までオリエント美術館で古都洛陽秘宝展が開かれた。陳列されたのは紀元前21世紀の西周時代から宋代までの青銅器、武器、貨幣、鏡、仏像、唐三彩など137点。いづれも洛陽の地中から出土した中国の歴史を代表する第一級の遺産。連日観客が押しかけ中には東京、大阪からも熱心な考古学ファンがつめかけ6万人を超す盛況だった。
 協会理事・山本遺太郎氏(当時オリエント美術館長)は協会報に次のように述べている。
 今回の催しは、洛陽の任市長より一昨年前に提案され、昨年9月に関係者の訪中により具体化された。まだ国外に出したことのない逸品が、岡山市のみにおいて公開された。これだけの物がそろっているのは、洛陽と西安だけで、大変貴重なものといえる。

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