協会の歩み 2004年
2004年(平成16年) 定期総会開催
 2004年度の定期総会が1月24日(土)午前11時から、日本生命ビル4階で開かれた。開会に先だち協会関係の物故者5人・中村薫さん、椋代孝さん、名合力士さん、畑美都男さん、津下光明さんに黙祷を捧げご冥福を祈った。次いで片岡会長が挨拶に立ち、昨年は、岡山市・洛陽市友好協定凍結という不幸なできごとがあったが、わが協会は、民間団体としてできる限りの力を尽して、凍結が凍死につながらないよう努めた。今年は、洛陽小浪底緑化運動に協力して、洛陽市民といっしょに、黄土高原に植樹をするので、植樹基金と植樹ボランティアの募集に、理解と協力を要請した。
 続いて議長に理事の赤木宣雄氏が就任し、書記に小野愛子理事を、議事録署名人に小路広史理事と家野四郎理事を委嘱したあと議案審議に入った。議案は活動報告、収支報告、会計監査報告が一括して提案され承認された。次に、役員及び役職者の補充案が提案され、副会長に近藤弦之介氏、理事に永山久人氏、監事に高渕宣雄氏を選任することが承認された。
 最後に、今年度の事業計画案、収支予算案が提案され、準備された案は、原案どおりすべて承認された。
岡山「中国三誌友の会」新年互礼会を開く
 1月8日(木)、岡山「中国三誌友の会」は125回定例会を兼ねて、新年互礼会を山佐本陣で開いた。
 片岡協会会長から挨拶を受けたあと、松井協会事務局長から最近の協会の活動について説明を受けた。昨年九月、北京で開かれた「人民中国」創刊五十周年記念式典の式場で、片岡和男会長と小路広史友の会会長が功労者として賞状と記念品を贈られたことを報告した時、一斉に拍手がわき起こった。
 次に、小路代表から昨年の活動と今年の活動計画の説明を受けたあと祝宴に入った。和やかな雰囲気で話がはずみ時の経つのを忘れるほどであった。
 最後に、福袋の籤を楽しんで新年互礼会を終わった。
第4回日中女性フォーラム開催
 2月18日から21日にかけ、日中女性フォーラム実行委員会(会長−片岡和男協会長)の主催により、第4回日中女性フォーラムが開催された。今回は上海の浦東新区から婦女訪日団を迎え『家庭内暴力(DV)』や『女性の権利擁護』『社会進出』などをテーマに発表し討論した。協会は、岡山市男女共同参画課とともに招聘から実施に至るまで総合的に協力した。

 このフォーラムは平成12年に上海で開催されて以来、毎年相互に岡山市と上海市で開催されてきており女性を中心としたユニークな交流として注目を集めている。昨年は岡山の女声合唱団『虹』が上海市の合唱団『ジャスミン』と上海市工人文化宮でジョイントコンサートを開催し、平行して行われた第3回フォーラムとともに大きな成果を収めた。
 そもそもの発端は、上海市栄誉市民である江草安彦氏(協会副会長)が福祉、教育の交流に続いて女性同士の交流を上海市人民政府に提案し、婦女連合会と対外友好協会が実施母体となって岡山市との共同事業として始まったものである。
 昨年はSARSの流行で実施できなかったが、今年度中に実施しようという日本側の熱い思いが通じて年度内に実現にこぎつけた。
 上海浦東新区からは労働社会保障局のFAN副主任を団長として婦女連合会、YECA、福祉関係者ら6名が来日した。詳しい状況は報告書が作成されているのでご覧頂きたい。(協会事務所にあります)
 既に平成16年度の交流に向けた準備が始まろうとしている。天の半分を支えるたくましい日中女性たちの今後の交流の発展を大いに期待したい。
中国文化を探訪する旅
 協会では友好訪問と合わせて中国の名所旧跡や自然、歴史を訪ねる旅を企画しているが、今回は『中国文化探訪の旅』と題し片岡和男会長を団長とする15名の訪問団が、5月23日から29日にかけて、《江南の春》の名にふさわしい紹興、杭州を皮切りに、秦の始皇帝の遺跡や世界の文化の中心として栄華を極めた唐時代の文物などが現存する西安を訪問、各地で文化と歴史を探訪した。特に西安では中国最初の女性皇帝・則天武后(中国語では武則天)の陵墓である乾陵を参観し、往時をしのんだ。今回は特に乾陵を紹介したい。

○乾陵概括・・・西安氏から西北約80キロの乾県の梁山上にある。唐時代の第三番目の皇帝李冶と武則天野の合葬墓で、唐十八陵の中でも比較的完全に保存されている陵園である。
参道には文武官や馬、駝鳥などの石仏が並び、墓地へとつながっている。墓地の入口が山の中腹に見えるが、まだ発掘されておらず、中には入れない。

○乾陵無字碑・・・武則天が埋葬されたときに建立された石碑だが、四方に多種多様の花紋様が彫刻されているだけで、中には一文字も刻されていない。一説によれば、武則天は《功高徳大》でその功績と徳は文字では表現できないからという。又、彼女の遺言で『自分の功績は次の時代の者が評価するもの』なので、文字を刻まなかったのだという節もある。このことからもこの女皇帝が自信と気迫に満ちていたことをうかがわせる。
中国河南省雑技団岡山公演
 協会主催による『河南省雑技団岡山公演』が成功裏に終了した。当初、三重県日中友好協会からの申し出に対し、本当にやれるのだろうかと不安に思う役員も少なくなかった。理事会を重ね、具体案を審議し、予算も見直し、洛陽緑化を前面に出して、いわゆる興行ではない友好事業であることを訴えて役員と会員を基礎に広げていくことを確認した。
◎市民への広がり
 片岡会長は公私の用事で行く先々でチケット販売を訴えた。済生会総合病院の医師や看護士さん、看護協会などの団体、隣の主婦にも行きませんかと声をかけるなどし、百三十枚を完売した。マスコミの大掛かりな広告ができない中で、足と口コミで少しずつ広がって行った。
◎協会広報車が市内を走る
 理事会で提案のあった広報車については効果のほどを疑う人もいた。が、やれることは何でもやろうという意気込みが必要だった。ある市議会議員は気軽に軽四輪の提供を快諾し、殺風景だと見かねた大工さんが荷台に三角型のボードを作ってくれた。テープは協会で実習中の安田さんが吹き込んでくれ松井事務局長がタオルを首に巻いて運転した。まさに手作りそのものだった。
◎『福祉の郷』が協力
 三重県から施設訪問の希望があり旭川荘に打診していたところ、丁度27日が旭川荘夏祭りの日にあたるため、関係の福祉施設である『福祉の郷』を紹介していただいた。板野宏一施設長は施設利用者や近隣の人に呼びかけ限られた条件の中で最大の歓迎体制を作るために努力された。26日に三重から6時間かけて岡山到着した雑技団は休むまもなく会場に入り、一つの手を抜くこともなく45分の演技を披露。200名以上の参加者を大いに喜ばせた。
◎いよいよ本番!
 下の階が埋まれば成功としようとスタッフは考えていた。しかし五時過ぎから人が続々と集まり出し、開場予定の6時前には2階の待ち合いホールは満杯状態となり、15分はやめての開場となった。
◎理事がんばる
 当日の運営では役員とボランティアの協力が実った。記録係を受け持った岡本理事は3日間眠れないほど準備に熱意を燃やした。警備や楽屋裏などそれぞれチームワーク良く職責を全うした。
◎やればできる
 ある役員は満席になった会場風景をモニターで見ながら「やればできる」とつぶやいた。小さな組織でも熱意と汗があれば成就出来るということだろう。金があって人もいてということでなく、逆の状態だからこそ得られた人々の無償の協力の勝利であろう。
この夏 子ども交流が真っ盛り
 今夏、岡山と中国の子供たちの交流が盛んに行われた。

 早島小学校が交流している上海の威海路第三小学校から、校長を団長とし児童10名を含む15名が訪日し、10月22日から25日までホームステイや児童交流などを通じて友好を深めた。帰国日の8月25日には岡山空港へ見送りに来たホストファミリーの家族や児童らと涙を流して別れを惜しむ姿があちこちに見られた。(写真は岡山駅西口で出迎えの歓迎実行委員会のメンバー等と記念撮影)
 賀陽町では友好交流関係を結んでいる江蘇省准安市楚州区から中高生10名を含む訪日団14名が8月22日来日し、賀陽町の大和小学校や吉川中学校などの生徒らと交流しホームステイや交流会などを通じて友好を深めた。一行は京都見物などを終え、8月24日に大阪から帰国した。
 岡山市立平島小学校の児童13名、教職員7名地域の方など5名、計20名で編成する訪中団が結成され、7月17日〜21日の4泊5日の日程で、交流している江西省南昌市の松柏小学校を訪問し、ホームステイなどを通じて子供達と親交を深めた。
第4回理事会開かる
河南省雑疑団岡山公演の収支報告があった。
収入 2,512,540円
支出 1,721,070円
収益 791,470円
募金 550,450円
洛陽・岡山友誼林建設第一陣訪中
 植樹団代表は、11月1日、洛陽市孟津県小浪底鎮を訪ね、ヒマラヤ杉・槐の苗木400本を植えた(目標は20,000本)。地元の人たちが、深さ1メートルの穴を掘ってくれていたので、作業は楽だった。

「洛陽岡山友誼林」をみんなで育てよう!
洛陽市人民対外友好協会 副会長 方  双 建 

岡山市日中友好協会会長片岡和男先生を団長とする゛洛陽岡山友誼林゛植樹代表団一行14名は10月30日から11月2日まで洛陽市をご訪問なさいました。
 洛陽市の北、黄河のほとりの孟津県の小浪底ダムのそばで゛洛陽と岡山との友好のシンボル『洛陽岡山友誼林』゛最初の第一本の苗木を植えました。
 ご承知のように洛陽市と岡山市の友好都市関係は凍結した状態ですが、洛陽市市民と岡山市市民との民間の友好交流は依然として活発に行っております。特に現在この『洛陽友誼林』を造るのは非常に重要な意義をもっております。これは中日両国が世々代々に友好につきあっていきたい人々の気持ちを十分に表すものです。今植えた木は小さいですけれど、日が経つにつれて大木になるにちがいありません。木が増えるにつれて青々とした森林になるにちがいありません。中日友好は両国国民の心に刻まれていて、両国交流の主流です。今の状態は一時的なもので両国の友好は永遠なものです。中日友好のために力を尽す方々は手を携えて両国の友誼の木に水と肥料を注いで、中日友好の木を一日も早く大木に育ってほしいと願います。私たちは中日友好の木を大切にしなければなりません。

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