協会の歩み 1986年〜1987年
 
岡山からの訪中団をいつも笑顔で迎える王有杰市長
1986年(昭和61年) 洛陽対外友好協会の新年の挨拶
 洛陽市対外友好協会から次のような新年の挨拶が寄せられたことが協会報10号に掲載されている。

 1986年元旦のよき日を迎えるにあたり、貴会の皆様に対し謹んで祝賀の意を表します。本年4月6日は洛陽・岡山両市友好都市締結5周年に当たります。5年間両市の各分野の交流は年を追って発展し両市人民の友好と相互理解が増進し、合わせて両市友好協会の組織が発展して参りました。日中友好は悠久の歴史を有しています。私達の友好事業は任重く道通しの感がありますが、これまで進めてきた足跡に沿って更に大きく前進するよう貴会のご発展と我々の友情が永遠に栄えんことを祈念いたします。
                    洛陽市対外友好協会会長 王有杰
洛陽工芸考察団が岡山来訪
 1月31日、洛陽貿易総公司・王志敏団長ら5名が来岡した。河南省の工芸品展覧販売の市場調査が目的。市役所訪問後、協会へ来訪し役員と懇談した。2月1日は協会の新春互礼会に出席し交流を深めた。滞在中、范曽美術館を参観、また市場調査のため天満屋を訪問し3日離岡した。
総会で日中友好の途を説く岡崎嘉平太氏(カルチャーホテル)
61年度総会開く
 2月1日、本年度総会をカルチャーホテルで開いた。役員の改選により、副会長に山本遺太郎氏が、理事の苦水重徳氏が参与に、新たに田口克己氏、萱野哲郎氏が理事に選出され、その他は赤木会長以下全員留任となった。また、会計年度を1月から12月までに規約を改正した。次いで、洛陽市との友好5周年にあたり一層の交流促進、組織面では会員数の増加、事務局専従者の増員を決定した。総会終了後、岡崎嘉平太氏の講演会を開催、200名が熱心に聴講した。演題は「今日の日中情勢と21世紀の日中友好」で、日中問題に関心を持つ中国留学生との交流、国交未回復時代における日中貿易の再開、周恩来氏との交友等を話し、1時間半の講演は熱気に包まれて終了、大きな拍手が続いた。
 恒例の新春互礼会には岡崎氏と長野知事の祝辞、そして折から来岡中の洛陽市工芸品展覧考察団5名も参加し、団長の王志敏氏は更に経済交流を発展させようと挨拶、和やかな友好ムードの中盛会裡に閉会した。
青年訪中団が洛陽大学を訪問
 協会理事の萱野哲郎氏を団長とする一行5名は洛陽市から招待を受け2月27日から洛陽を訪問し洛陽大学生との交流会に出席した。折から滞在中の家野四郎氏、留学中の笹野さんと話し合い青年同士の理解を深め、今後も交流を続けようと約束、多くの成果を持ち帰った。
河南省政府代表団が来岡
 3月25日、河南省人民政府外事弁護士公室主任・葵流海団長ら5名が来岡。各団体との交流について協会が世話をした。県では花房副知事、市では松本市長と懇談し、洛陽との友好締結5周年を迎え更に交流促進を確認した。県貿易振興協会では経済懇談会を、また洛陽との友好締結を実現した岡崎平夫前市長を自宅に訪問し26日離岡した。
日本語教室が協会内に開校
 帰国者のための「日本語教室」が4月12日よりスタートした。これは協会が開設した「岡山中国センター」発足に伴い帰国者援助のために開いた。授業は毎週土曜日の午後の2時間、ボランティアの協力を得て行われている。さらに6月8日「岡山県日本語教育研究会」が発足、岡本拓雄理事が代表に就任した。より効果的な教授法と教材開発を目指したもの。研究会員は12名である。
瀬戸内海の無人島「喜兵衛島」で開催したキャンプの一行
日中友好サマーキャンプ
 8月2日から3日にかけて、瀬戸内海の無人島「喜兵衛島」で開催され、中国人留学生13人を含む約60人が参加した。
 全員でテント村を建設、海水浴・ファイヤーストーム・太極拳と大いにエンジョイする中で友好を深めた。「日中友好トーク」という話し合いの場では戦争体験者から「ニ度と戦争をしてはならない日中友好で世界平和を実現しよう」また留学生からは「帰国後も国の発展と中日友好のために尽くしたい」と力強い発言があり有意義な時を過ごした。 
蒋介石の銅像建立で協議
 10月16日、六車副会長、松井事務局長が松本岡山市長を訪問し蒋介石銅像建立計画について協議した。
 事の発端は岡山県日華親善協会が蒋介石生誕100年を記念して高さ3メートルの銅像の建立を岡山市内に計画した。これに対し洛陽市は「建立は中国人の感情を害する。阻止して欲しい」と岡山市長へ要請すると共に協会へも協力要請があった。そこで協会としても岡山、洛陽両市の友好関係が阻害されないように円満解決を切望し松本市長と面談した。
 席上市長は、日本では行政側が民間の運動に口出し出来ないことになっていると洛陽市へ事情を説明したとのことであった。協会は両市友好交流発展のため岡山市が円満解決に尽力されるよう強く依頼した。
鎮魂の鐘をつく白馬寺の徹幻方丈(玉野観音院で)
洛陽仏教代表団が来日
 10月24日、張燿平団長、白馬寺徹幻方丈ら一行が来訪し、玉野市の観音院で行う「日中友誼鎮魂の鐘」の開眼式に臨んだ。戦時中、玉野市日比三井金属日比精錬所には中国より連行した俘慮が就労していたが、その内25人が苦約に耐えかねて病没した。戦後になって岡山県仏教会はこの人たちの遺骨を探し出して回向し中国へ送還した。引き続き日中仏教交流真和会が慰霊祭実行委員会を設け三木知事をはじめ玉野市、華僑総会、三井金属等が願主となり、去る32年12月、中国紅十字会長の李徳全女史、廖承志氏らを迎え中国人殉難者慰霊祭を三井金属日比精錬所日比興比会館で行った。
 今回敗戦40年あたり「中国人殉難者慰霊実行委員会」が「鎮魂の鐘」を観音院の境内に建立、このたび開眼式を迎えた。梵鐘は初願主・僧修僧正、県仏協会170人の僧と各界500名が参列し厳粛な撞き初めの式典わ行った。
岡崎嘉平太氏は郭沫若氏の自宅を訪ね懇談(昭和48年)
岡崎嘉平太、松田基両氏に名誉称号
 10月28日、天津・南開大学で当協会特別顧問で范曽美術館名誉館長の岡崎嘉平太氏と両備バス社長で范曽美術館館長の松田基氏に対する顧問教授の称号授与式が行われた。この称号は、范曽美術館の設立を通じて日中文化交流の発展に寄与した功績に対し贈られたもので、日本人としては初めての授与となった。
 授与式はまず母国光校長代理から授与され、ついで主任教授の范曽氏が岡崎、松田両氏の功績を讃え、その後両氏が記念講演を行った。岡崎氏は「周恩来総理の想い出」松田氏が「夢二と范曽美術館」と題して講演。200名余の聴衆に深い感動を与えた。特に南開大学が周恩来総理の母校でもあり、岡崎氏が周総理との想い出に感極まって落涙したときは、会場からすすり泣きが出るなどあった。二人はその後、北京入りし人民大会堂で王兆国・中国共産党中央弁公庁主任に会見するなど多くの要人との交流を果たした。なお、一行には協会の松井事務局長が随行した。
互礼会に中国留学生を招いて激励する(八仙閣)
1987年(昭和62年) 62年度総会開く
 1月29日、本年度総会を日本生命ビルで開いた。今年は日中国交正常化15周年に当たりこれを記念して、協会訪中団の派遣を提案。会員から「中国・東北地方との交流を」「蒋介石問題についての見解を」との要望や財政面の改革、事務局員の手当ての増減、組織強化等の意見が出された。なお事務員は1名から3名に増員された。恒例の新春互礼会では洛陽市からの研修生約20名を招いて開催。席上、賛助会員の松田基氏は范曽美術館設立のいきさつを披露した。
洛陽観光ガイドを招聘
 年々増加する観光客へのサービス向上を図るため、洛陽旅行社のガイド研修生が協会の招聘で来岡、受入れ先の両備バスで3月13日より研修に入った。研修生は旅行社は旅行社日本語科長の唐平さん、陳霞さん、沙銘さんの3人。4月28日まで、びっしり組まれた研修日程に従い観光バスのテスト乗車、観光案内文の作成、言葉遣いなどを勉強した。
 洛陽市では、今春新空港が完成し観光客の飛躍的な増加が期待される見通しで、このたびの研修は友好交流の上で少なからぬ成果を収めるものと期待される。
四川省テレビ局員が後楽園にある郭沫若碑を撮影
四川省テレビ局員が来岡
 4月11日、四川省テレビの取材班が元中国科学院院長・故郭沫若氏の記録を作るため岡山を訪れた。取材には郭氏と親交があり、現在も偲ぶ会を運営している協議会理事の中西寛治氏が同行し、岡山大学、六高記念館、吉備路文学館、後楽園を案内した。
 郭氏の書や、六高時代のO・Bによる思い出、また故人がよく遊んだ後楽園では、後に中国政府代表として来岡したのが縁で贈られた丹頂鶴や記念碑を取材した。この記念番組は本年11月の生誕90周年に中国全土へ放映された。
 
洛陽の新空港をお祝いして時計塔をプレゼント
洛陽空港へ時計塔を贈る
 4月17日、六車副会長を団長とする協会派遣団25名が洛陽を訪問した。今回は国交正常化15周年を洛陽市で祝うとともに、今春竣工し秋には定期便が就航する予定の洛陽空港にソーラー式時計塔を贈呈するためでもあった。時計塔は協会員の浄財によるものでセイコー社製、太陽電池式ソーラー時計で塔の高さ5メートル。
 翌18日の贈呈式場には時計塔が空港ターミナルの正面にセットされており台座は赤い幕が覆われ序幕を待っていた。空港には対外友好協会の王有杰会長、空港建設指揮長の王伯暉氏、市政府からは楊秘書長ら市幹部、市長ら百数十名が列席、少年少女の鼓笛隊の演奏が式典を華やかに彩る中で戴保安友好協会副会長の司会で開式。初めに六車団長が協会を代表して贈呈の挨拶を述べ、次いで王会長楊秘書長から謝辞があり最後に六車団長、王対外友好協会会長、楊秘書長、王空港建設指揮長により時計塔の台座を覆う真っ赤な式幕を落とすと台座に嵌め込まれた黒曜石に「洛陽民用機場首航記念日本国岡山市日中友協贈呈・1987年4月18日」の刻字が鮮やかに浮かびで出て盛大な式典を終了した。
 空港は2500mの滑走路、3階建ての空港ターミナルビル、高い管制塔も完成しており加えて贈呈した時計塔が青空に聳え立つ。式典後、完成したばかりの滑走路を車で走るという貴重な体験をさせてもらい団員一同は滞りなく贈呈の任務を終えた。
日本語テキスト完成
 昨年4月、協会内に中国帰国者のため「日本語教室」が開かれ、引き続き6月には「岡山県日本語教育研究会」が発足し軌道に乗ったので、近く小学校低学年用の教科書を完成させる。別に教師用の指導の手引きも作る。運営は協会理事の岡本拓雄氏が代表として務める。
国際交流スポーツフェスティバル
 9月12日、県営体育館で第3回目の大会が開かれ、わが協会のチームも老若男女約40名が参加した。椋代理事率いる協会チームは賛助会員の山陽相互銀行(現・トマト銀行)の21名を加えて出場し参加24チーム中、堂々第9位と健闘。これも選手の強力パワーと会員のおかげと感謝。
白馬寺から梵鐘が贈られて長泉寺で盛大な法会営む
白馬寺から梵鐘を贈られる
 10月22日、長泉寺鐘楼門に白馬寺から梵鐘が届いた。長泉寺に梵鐘がないことから同寺が平素交流を続けている洛陽・白馬寺に梵鐘を請求したい旨を要請して7月25日「梵鐘請求奉賛会」を結成した。県日中仏教文化交流会、岡山市国際交流協議会が協賛、また当協会も協賛し洛陽市に働きかけた。請求した鐘は白馬寺の鐘と同様に精巧に複製され壮厳さが漂う立派な出来ばえ。
 当日の開眼法会には中国大使館、洛陽市文化代表団(王綉団長)を始め、協会役員、日中友好を願う人々500人が集まり「日中友誼の鐘」開眼法会に立ち会った。県仏教会会長・完海僧正が開眼した後、鐘楼門に安置された梵鐘の撞き初めは奉賛会会長で願主の石井栄氏により行われた。続いて中国大使館の馮柏泉氏が「日中友好のシンボル」と讃え、協会の六車会長代行、岡山市助役の鹿子木貢氏がそれぞれ祝辞を述べ、厳粛且つ盛大な開眼法会を終えた。
洛陽市副市長らが協会を訪ね六車会長に記念品を渡す
洛陽市政府代表団が来岡
 11月4日、李本栄副市長を団長とする代表団、外事弁公室副主任・戴保安氏ら4名が来岡した。今回の来岡は、岡山と洛陽の友好交流協定に基づくもので、蒋介石像建立問題で訪日が遅れていた。7日、協会を訪問し協会役員、洛陽市小学校と交流を続けている清輝小学校児童が花束を贈呈して出迎えた。
 李副市長は教育部門の責任者で、留学生の受入れや児童交流について協議した。協会の歓迎宴で李団長は6年間の交流の成果を称賛し会員と親しく交流を深めた。
日本語弁論大会で留学生頑張る
 11月29日、岡山商工会議所で外国人による日本語弁論大会が行われた。洛陽市外事弁公室の通訳で、現在岡山大学に留学中の李京さんが、19名の中から優秀賞に選ばれた。テーマは「国際理解と努力、日中にかける私の夢」。日本に来て間もない頃、ある演奏会に出席した時のことを発表した。この時バイオリンで日本の琴と「春の海」を合奏した李京さんは、聴衆の割れんばかりの拍手を聞き、言葉や習慣は違っていても人間は同じ、世界はただ一つだと強く感じたという。
 「このような経験が出来て幸せに思う、今後も目的に向かって頑張っていきたい」と流暢な日本語で感想を漏らした。また、李京さんは東京で行われた弁論大会でも優勝している。

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