協会の歩み 1990年
協会発展に尽力したと感謝状を贈られた中西寛治氏(右)
1990年(平成2年) 平成2年度総会を開く
 2月10日、平成2年度総会を日本生命ビルで開いた。先ず、前年亡くなられた岡崎嘉平太名誉顧問と山本修一副会長、井藤太然前副会長に黙祷を捧げた。続いて創立以来、協会のために尽力した赤木名誉会長、中西理事に感謝状を贈った。
 議事に入り規約改正によって常任理事を追加した。役員選出では三島伯之氏が副会長に、新参与に松尾昌泰氏、妹尾達道氏、中西寛治氏が承認された。また、活動方針として訪中団の派遣や記念誌の発行等が提案され承認された。
 総会終了後、記念講演会が行われ、人民中国雑誌社・東京支局長の李恵春氏が演壇に立った。李恵春氏は「日中文化交流と友好」と題して豊富な取材体験を交えた内容で聴衆に深い感銘を与えた。講演終了後も互礼会に出席し会員と歓談した。
気功1日体験
 3月3日、旭川荘厚生専門学校で講習会が開かれ、小雨の降る中を120名の参加者が集まった。講師は上海中医医院気功科主任の劉文清さん。どこに病気を治す「気」を秘めているのかと思うような小柄な女性。スライドで効能と臨床の結果を説明した後、気功の基本姿勢と実演指導があり、参加者は熱心に取り組んだ。掌が熱くなったり、中には劉さんの強い「気」に当たって無意識の内に手や体が動き出す人もあり、改めて気功の凄さ、素晴らしさにみな驚いた。講演終了後も劉さんに気功について尋ねる参加者も多く、3時間があっという間に過ぎた。
洛陽・白馬寺を参拝する岡山市文化訪中団の一行
岡山市文化訪中団が洛陽へ
 協会は岡山市と洛陽市の友好提携10年を記念し岡山市文化訪中団を組織し、三島副会長を団長として、4月11日から19日まで洛陽市のほか数都市を訪問した。洛陽では熱烈歓迎を受け、洛陽対外友好協会の王有杰会長招待のレセプションに臨んだ。翌日は王城公園での牡丹祭り開幕式に特別参加し、外国人代表として主席台に並び熱烈歓迎された。このあと江南地方を訪れ帰国した。
津山市長に上海から感謝状
 永礼達造市長を団長とする津山市友好訪中団が、上海市民政局の招聘により5月1日上海を訪れた。このたびの訪中は、津山市が3年前から毎年開催している「津山国際交流車いす駅伝競争大会」に中国チーム代表として上海市から選手を招いていることに対する答礼と、今後の福祉交流を更に深めるために実現したもの。
 その日の夜、和平飯店で民政局主催による歓迎レセプションが開かれた。席上、孫金富局長から感謝状が永礼市長に贈られた。感謝状の文面には、上海市民と津山市民の友好を大切に永く続けようという趣旨が書かれ、上海市がこの交流を重視していることがうかがわれた。また当日は永礼市長の誕生日に当たっており、バースディケーキの準備など心温まる気配りに市長も感激した様子だった。
信陽市の児童が新見市を訪問、歓迎会で壇上に整列(思誠小)
信陽市児童ら新見市訪問
 5月9日、河南省信陽市児童訪日団11人が新見到着。姉妹校の思誠小学校、市役所訪問の後、ホームステイの七家族に分散した。夕食後、思誠小学校での市民歓迎の夕べに出席。新見市側は児童合唱団、剣道の演武、民謡、太極拳、神楽を披露した。信陽市児童もこれに応えて歌舞、ピアノ独奏、群舞など次々見せ、その堂々とした態度に新見市民も驚いた。今回の信陽市児童の訪日は昨年3月思誠小学校の児童15人が信陽市で熱烈歓迎を受けた返礼に招聘したものでホームステイもその家族が受け入れた。
洛陽市政府の訪問団も
 5月21日、洛陽市副市長・張世軍氏ら5名が来岡、岡山市役所を訪問の後、当協会に来訪した。協会では六軍、三島正副会長、理事らが歓迎した。また、洛陽の小学校と姉妹校の清輝小学校から校長と生徒も歓迎に加わり張副市長に花束と8ミリフィルムを寄贈した。一行は農業の専門家で精力的に農業施設を見学した。今回の来訪は、前年の天安門事件で一時頓挫し、この年やっと実現した。
洛陽市から牡丹の仙女像が届く(岡山市半田山植物園)
洛陽市から牡丹の仙女像が届く
 5月22日朝、岡山市半田山植物園の牡丹園開園式と仙女像の除幕式が、洛陽市の張世軍副市長らを迎えて行われた。
 園内の牡丹は一千本、協会の斡旋により両備グループが寄贈したもの。また仙女像は日本生命が寄贈した大理石造り、2.7mの立像。式には岡山・洛陽両市幹部や関係者が集まり、白布を引き払うと美しい仙女が現れて万雷の拍手。演出として、平福小学校の生徒が中国国旗を振り「世界は仲良し」という友好の歌を合唱、来場者に深い感銘を与えた。
留学生に愛の手・医療を考える会
 留学生にとって物価高の日本で暮らすのは、並み大抵のことではない。その上に病気になり入院ともなると、医療費の額は大きい。特にアジアからの留学生にとって、この医療問題は深刻。月々の保険料が高すぎて保険に入っていない留学生が多い。また言葉や習慣の違いも大きなネックになっている。英語、ドイツ語ならという病院はあっても、アジアの言葉が判る病院は少ない。
 そこでこの度、当協会会員の菅波茂氏が中心となって「岡山とアジアを結ぶ医療を考える会」が発足した。会には、岡山市内の開業医、アジア医師連絡協議会、当協会等が参加した。対策としては留学生の治療費を軽減するため、必要最小限の診察、投薬などの工夫や医療薬品会社の協力を求めることにした。事務局は菅波医院に置き菅波氏を世話人としている。当協会としては安心して母国語で診療を受けられるように言葉の面から協力してゆく。通訳のボランティア・ネットワークを組織することを考えている。
新見市の満奇洞を見学し友好を深める信陽市の訪日団
県下各市で中国との交流進む
    ○新見市と信陽市 − 交流も成熟
 両市の縁結びの始まりは、当協会理事だった故田口氏による。田口氏が信陽市から「岡山県内の都市と交流したい」と依頼され、新見市にこのことを伝えた。双方の善意が通じて市長、議長の相互訪問に始まり児童使節の交流、農業研修生の受入れ等官民挙げて交流が進んでいる。
    ○井原市と九江市 − 白鹿洞が縁
 井原市の興譲館高校は「白鹿洞書院掲示」という一文を生徒に朗読させているがその「白鹿洞書院」が、九江市に現存している。2年前に高校同窓会が音頭をとって木山訪中団長が九江市を訪問、文化財として残っている白鹿洞を知った。来年は大がかりな訪中団を組織し友好の実を挙げること、また双方交流の具体案を検討中。
    ○備前市と禹州市 − 陶器の産地
 河南省禹州市は中国五大陶磁器産地の一つで唐代に開けた窯場。備前市も日本六古の窯地。そこで焼き物同士での交流の話が持ち上がった。過去回数禹州市を訪問している浦上義次氏がさる6月、神坂市長の親書を持って禹州市を訪問、連市長は「両市の友情と陶器業の交流を期待する」との神坂市長への返書を託した。10月には禹州市から工場関係者の訪日が予定され交流が具体化し始めた。神坂市長は「中国の名工と技術交流や合作展などの交流を続ける中で、更に都市縁組に話が進めばそうしたい」と意欲を燃やしている。
牡丹園の一角に中国式あずまやが建つ(新見市千屋)
「福祉の翼」が大きな収穫
 9月21日から当協会、岡山県社会福祉協議会、旭川荘の三者共催「福祉の翼」は上海を訪問、福祉施設など見学して交流した。岡山空港からチャーター便で一挙136名の福祉関係者の訪中は話題を呼び、上海では「日中友好の歴史で初めて」とV・I・Pなみの扱い。障害者同士の交歓会では相互に励まし合う感激の場面が随所に起こり、大きな収穫を得て24日帰国した。
岡大の隣にある留学生会館、中国人が常時その半数約70人住む
トマト銀行が留学生に寮を提供
 宿舎に困っている留学生に援助の手を−と岡山経済同好会が社員寮の提供を呼びかけているが、その第1号にトマト銀行(吉田憲治社長・協会賛助会員)が行員寮の一部を開放、5月から岡大留学生の5人が恩恵に俗している。提供されたのは岡山市関西町にある同銀行の「いわい寮」。利用料は食事代など全て行員と同額。ベットや机も備えられており朝夕食を含め、月1万5000円という格安。
 岡大留学生は約300人。うち半数が中国人で、しかも彼らは私費留学生が多く性格に難渋している。そこで今回のような私企業の温かい手に一番喜んだのも中国人で、5人のうち4人までが中国の留学生。寮の管理人は「5人ともすぐうちとけ、行員と会話もしている。食事を心配したが全部平らげており安心した。立派な人ばかりでお役に立てて嬉しい」とのこと。
 吉田憲治社長談「日本はとかく国際摩擦が多い。このあたりで意識革命をしてもっと世界中の人と理解し合えるようにしないといけない。そのために今回、留学生を支援し国際交流を深めようと社員寮を開放した。過去に留学生が帰国して反日運動に走ったような不幸なことはぜひ避けたい」。
信陽代表を迎え新見市美術館の開館式(右から3人めが福田市長)
新見市と信陽市の友好提携間近か
 かねて締結が待たれていた新見市と河南省信陽市の友好都市縁組について、福田新見市長は「来年中に実現するよう努力する」と訪日団に表明、明るい展望が開けた。
 10月31日、信陽市訪日団一行6名が新見市を訪れた。今回新見美術館オープンに出席するため新見市の招待で来日。この美術館に信陽市から百余点の書画が寄贈されている。一行は一日、新見美術館開館の記念式典祝賀会に出席した。翌2日は市長を表敬訪問し職員総出の熱い歓迎を受けた。「小学生や書画の交流など文化面とそれ以外に経済面、農工業方面の交流も進めていきたい」と信陽市人民対外友好協会会長・宰田珍団長の言葉に「1991年中に新見市と信陽市の友好都市締結実現に向け一層努力する」と福田市長が応え、姉妹都市縁組に向けてまた一歩前進した。訪問団は農協、商工会議所などを表敬訪問するハードスケジュールの合間をぬって、信陽市第三小学校と交流している思誠小学校を訪問。児童らが日中両国の国旗を振って熱烈歓迎。参観時間は短かったが「日本の子供たちは大変礼儀正しい。また学校の設備も整っており、大変参考になった」と有意義な訪問を終えた。
内山書店が上海に再び開店
 戦前、上海市北四川路にあった内山書店が、11月10日同じ上海市の福州路に開店し、日中双方の話題になっている。内山書店は故内山完造氏が1917年に開き、店内は上海の文化人サロンと言われ、魯迅をはじめ多くの作家が集まった。そして戦後の1947年に引き揚げる時閉めた。
 復活した内山書店は中国科学技術図書公司のビル内に開店したもので、魯迅の筆跡になる「上海内山書店」の看板が掲げられた。販売する書物は専門書ばかりでなく一般書も販売する。内山書店の復活を喜ぶ姪の芳枝さん(井原市で書店経営)は「東京の甥、内山籬さん(内山書店社長)が念願の復活をしてくれ嬉しい。今年の春も全国から29人が参加し、伯父の墓がある上海市の万国公墓に参りました。新しい店は故人の遺志を引き継いで、日中友好のために役立つことを願います」と語った。
津山車椅子駅伝の参加国に車椅子を寄贈する津山市民
車いすを中国の仲間に贈る
 さる9月、障害者などを含む訪中団を上海へ送った「福祉の翼」の一員に津山市議・藤田勉さんという障害者がいる。藤田さんは旅行中に中国で車いすが入手し難いことを知った。見聞きした範囲でも板にコマを付けたものを代用している程のひどい状態。そこで日本の中古車を贈ったらどうかと考えた。
 幸い日本では使い古した車いすを2.3台もっている人がいてその善意はたちまち障害者に広がった。津山車いすの会(難波史郎会長)と県北車いすの会(山崎正男会長)が「同じ悩みの障害者を救おう」と立ち上がり、計15台が集まった。これを自分たちで手入れをしてサビを落としたり、壊れた箇所を修繕、ピカピカにした。結局使用できる車は14台。さる11月18日、津山市民を沸かした国際交流車いす大会の後、中国チームとフィリピンの選手団にこれを手渡した。
 贈呈式には永礼市長ら関係者など多くの人が集まったが、いずれも善意の輪がこんなに早く広がったことを喜び、またこの素晴らしい贈物運動を来年はもっと広げてゆこうと語っていた。
洛陽外語学院の院長が日本茶を参観(左端が院長)
中国から要人ぞくぞく来岡
 11月5日、河南省外事弁公室主任・蔡流海氏ほか1名が松本市長を訪問。その後当協会幹部らと懇談した。蔡氏は何度も来岡しており岡崎前市長までさかのぼって古い友人を懐かしく語った。6日には洛陽市外事弁公室の戴保安氏が市長を訪問後、当協会で六車会長らと懇談した。
 また11月28日、洛陽市外国語学院院長・卞鉄堅団長ら3名が来岡した。歓迎会の席上、卞院長は洛陽では日本語熱が高まり約1000人が学習しており教師が足らないと嬉しい悲鳴をあげていると語る。当協会の三島会長宅に招待され、伝統の茶道をつぶさに参観、初めての抹茶を味わった。滞在中、岡山大学文学部を終日見学したり昨年まで同学院の日本語教師をしていた牧博氏(久米郡中央町)宅に招かれて宿泊し12月1日離岡した。
 さらに人民日報社の秘書長・李晋有氏ほか4名が12月12日来岡。山陽新聞社を訪ね、同社幹部と懇談した。一行は日本の新聞事情を調査する目的で訪日したもので主として在京新聞社、広告代理店を訪問した。
 また、新見市と交流を続けている信陽市の農業研修生4名が11月から岡山市と山陽町の農園で日本農業の技術を学んでいる。2人ずつ研修先に宿泊し他の従業員と一緒に働いている。岡山市の農園は藤田の国定農産で水稲技術を研修。指導している国定豪さんは、「真面目で良く働いている」と褒める。山陽町の農園は山陽農園で果樹栽培を学んでいる。指導する国忠征美さんは「真面目で日本語も上達した」と語る。国定農産は半年、山陽農園は1年間の予定。

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