2000年5月
平成12年5月
  134号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
洛陽市で多彩な活動 友好訪中団が成果あげる
 岡山市友好訪中団が4月21日帰国した。この度の訪問団は、片岡会長を団長として協会役員や綾南学区民、長泉寺檀家関係者など総勢30名で、それぞれ交流の目的をもった団員で構成されていたため、主な目的地である洛陽市では、ハードな日程ではあったが、有意義で実のある活動が展開された。

劉典立洛陽市長と段運労人代常務委員会主任を表敬訪問
 外国からの賓客のみならず、中央政府幹部など(17日には李鵬全人代委員長も洛陽を訪問していた)の接待に忙しくしておられた市長だったが、我々のために特に時間を割いて会見が実現した。来年20周年を迎える岡山市との交流を重視し、今後の発展に寄せる大きな期待を表明した。

 また、日本の市議会にあたる市人民代表大会へは4月19日朝表敬訪問し、訪問団を代表して顧問の楠木忠司市議が挨拶した。今後の議会同士の交流に期待を表明した。段主任の他洛陽訪問中ずっと随行していただいた李本栄副主任も同席した。

洛陽牡丹満開
 『洛陽牡丹甲天下』(洛陽の牡丹は天下一品)と詩人李白が詠った牡丹の花は、正に満開の時を迎えていた。いつもは王城公園で参観するが、もっと規模が大きく参観がしやすい国色牡丹公園で参観。約300種といわれる洛陽牡丹の代表的なものはすべて満開。約1時間写真撮影などを楽しんだ。牡丹祭りは15日に開幕するが、例年花が咲いていない時が多く、開花の確立が高い18日が実際のオープンとなっており、参観客もこの日からが最も多くなる。

牡丹祭り『相約洛陽牡丹花会』に来賓参加
 26,000人収容できる西工体育場にて開催されたアトラクションは、歌あり、マスゲームあり、踊りありでテンポも速く、2時間に及ぶショーも飽きることなく感動のうちに終了した。

 特に、フィナーレでは参加者全員が出場し、花火が打ち上げられ、花吹雪が舞い、盛り上がりが最高潮に達した。一般の席では見にくいと、市長の特別の計らいで、急遽団員全員が来賓席である主席台に移動するというハプニングもあり、全員大喜びだった。

洛陽日報記事  楊海記者
 昨日、劉典立市長が、洛陽市内のホテルで、片岡和男団長が率いる岡山市友好代表団と会見を開いた。

 劉典立市長は日本人訪問団との会見で、「岡山市は1981年に洛陽と友好都市を提携してから、長期間にわたり政府当局を通じて、民間に多種多様な交流の協力を行い、農業技術、人々の交流、さらには教育方面において、均等な協力に有益な探求を進展し、あわせて一つの成果を挙げてきた。来年は洛陽、中国の両都市間が、友好都市提携を樹立して20周年を迎える。我々は、一つの祝福すべき行事計画を、無事成し遂げることができた。」と述べた。

白馬寺入佛法要に参列
 白馬寺国際寺院構想に協賛して日本寺を建立しようという動きがある。これにいち早く共鳴したのが以前から洛陽市仏教界及び白馬寺と交流を深めている長泉寺住職宮本光研氏である。氏は、協会理事として長く友好に尽力されていることは、よく知られているがこの度は、副団長として檀家らとともに参加。4月19日午後3時30分、山門に到着するや、多くの僧侶がお経をあげながら出迎え、早速日本から寄贈した仏像の入佛式典が繰り広げられた。

 ガードマンに守られながら、ビロードの布で覆われた仏像を先頭に法要会場まで行進。会場では、白馬寺在住の全僧侶76名(尼僧含む)が参加し、法要が厳かに繰り広げられた。宮本住職の助手として参加していたインドの研修僧、南塔坊龍智さんも立派に役目を果たし、無事法要が終了した。

 白馬寺は前住職の故海法法師の時に構想を立て改革に乗り出し着々と進んでいる。現在は、以前の山門前が整備され境内となり、国際交流の一環としてタイ式のお寺も建立されている。日本寺もその近くに土地が準備されている。訪問団一行は、国際寺院エリアの近くの畑に椿の種を植え、友好の記念とした。

申窪小学校を友好訪問
 今回の訪問団の目的の一つは、一昨年より協会が提唱し、陵南学区・陵南小学校の全面的な参加協賛により実現した申窪小学校の新校舎を見届けることと元気な子どもたちに会うことだった。申窪村は洛陽市の西約20キロほどの黄土地帯にあり、トウモロコシと小麦を主な作物とするが構造的に水不足のため農家の収入は年間でも約1,200元という国指定の貧困地。

 訪問団一行が村に車を進めると、村人たちが学校に集まってきた。校門前では、児童による歓迎の太鼓や山で採ってきたという花を手に手に熱烈歓迎のセレモニーが繰り広げられた。

 歓迎式では、申窪小学校を管轄する新安県教育委員会主任(教育長にあたる)韓経権氏が挨拶。申窪小学校への支援に対する感謝と昨秋陵南小学校を訪問した時の歓迎に対するお礼を述べた後、高塚幸巳副団長(前綾南小学校校長)へ申窪小学校名誉校長の称号を授与すると表明した。参加者の割れんばかりの拍手の中で、高塚氏が韓主任より名誉校長の称号証書を受け取り、謝辞を述べた。

 一行は、児童の歌による歓迎を受けたあと、授業中の教室を参観した。1時間半の訪問予定はあっという間に過ぎ、8月の再会(綾南学区民を中心とする訪問団が予定されている)を約して、学校を後にした。最後まで、児童と村人たちが笑顔で見送ってくれた。

 以前校庭にあった、記念碑は校門の壁に埋め込まれ保存してあった。三島伯之前会長の揮毫による学校名が建設に協力したすべての人々の気持ちを伝えているかのようであった。

吃水不忘挖井人                          岡山市一宮公民館長 高塚幸巳
 友好協会会長片岡団長さんのもと、洛陽再訪の機を得る。団は、牡丹祭参加。長泉寺宮本和尚さんの白馬寺へ毘盧遮那仏寄贈、新装申窪小学校が主目的で団結。私は、この3月末綾南小学校退職の身であるが、綾南学区の方々と同行させてもらう。しかも、愛妻というお目付きの喜び多い同伴でもある。

 昼、広大な牡丹園は、一面馥郁と香り艶やかに咲き誇り壮観。夜、牡丹祭は、生の喜び横溢といった壮大華麗。微に入り細を穿ち極小化と内側向きの身構えとなる我が国文化や気質の違いを思う。また、我がお目付け牡丹の萎れ老いる悲しみも感じる。

 過去最大な影響を我が国にもたらした白馬寺。今日は日本から仏様を奉納。そのうえ、同行の印度修行僧のルハさんもいる。印度、中国、日本という往時の文化の流れを想いつつ、中国僧尼之読経の輪にいる自分。卑小な己を二千年余の巨大な時間が後押ししてくれ、今ここにこうして居させてくれると感ず。

 申窪小学校校長さんより、申窪小は中日友好の象徴であり。「中国有○様一句話、叫做『吃水不忘挖井人』、我請求県教委聘任您為我校名誉校長是早有打算的、申窪人民☆該永遠訳住日本的高塚」と言葉あり。思いがけず名誉校長の聘書を、新安県韓教育主任さんより授かる。中国の人々の心の深さを感ず。
        ○(しんにょうに「文」) ☆「 广」の中に

 本当は、井戸の掘り始めは戸村教育長、楠木市議会議員さん、本格工事差配は岡山市日中友好協会の三島前・片岡現会長さん、最も土多く掘るは松井事務局長さん。そして西大寺の西上さん等友好協会の方々、綾南学区・学校の子どもや先生方等々の人あってのこと。私はただ綾南小学校長であっただけ。みなさまのおかげと心から思う。

 2年前、夏の申窪村で見た青々とした桐の大きな葉は、早く逝った妹と母を連想させる悲しみの木。この春は、西安から洛陽へと、紫の桐の花いたるところ天に向かうを見る。おかげで、桐は我が瑞兆の木となる。

新見市と信陽市シ河区が友好都市縁組み締結
 4月26日、新見市で中国信陽市シ(さんずいに師)河区との友好都市縁組み調印式が行われた。調印式には、信陽市シ河区から熊伝明区長を団長とする訪日代表団が参列した。また、岡山からは縁組みのきっかけとなった故田口克己夫人、田口光代さんと長男の誠氏も来賓として出席した。

 協定書調印の後、両市・区から友好旗の交換、記念品の交換がなされた。挨拶に立った新見市長の石垣正夫氏は、信陽市との縁組みを更に発展させるため、一層尽力すると発言し、熊区長と力強く握手を交わした。

 新見市は1992年中国河南省信陽市と都市縁組みを締結しているが、信陽市が行政改革によりシ河区となったため、改めて友好都市縁組みの調印式を行ったもの。最近では、総額500万円以上に上る日中教育基金を運用し、シ河区の就学困難な児童に奨学金を出すなど、交流が深まってきている。

漢詩を読もう                                         棚橋 篁峰
滁州の西澗   韋 応物
独憐幽草澗辺生
上有黄鸝深樹鳴
春潮帯雨夜晩来急
野渡無人舟自横

独り憐れむ幽草 澗辺に生ずるを
上に黄鸝の 深樹に鳴く有り
春潮雨帯びて 晩来急なり
野渡人無く 舟自ずから横たわる
【通釈】私はひたすら谷川のほとりに深く生い茂る草を眺め、頭の上では高麗鶯が鳴いている。春の川水が雨を伴って、夕暮れには増水して激しく流れ、郊外の渡し場には人の姿もなく、舟が乗り捨てられている。

 この詩は、韋応物が(安徽省)の刺史(州の長官)をしていたときの作品で、783年(建中4年)のものと思われます。つまり、40代後半の詩で、人間として完成の域に達していると考えてよいでしょう。王維と同じように彼の詩は、絵のような美しさがあります。滁州の西にある谷川を散歩する姿が、目に見えるようです。刺史をしていながら、川の流れをその風景を見て、美しく表現できる彼の人間的な心の温かさと広さは、今日の役人にはほとんどみられないものではないでしょうか。詩語も難しいものはありません。ただ、黄鸝については、日本の本にはほとんど高麗鶯として書かれています。ですから私達は、鶯そのもののイメージがありますが、大陸に生息する、小型というよりは中型に近い鳥で、羽全体が鮮やかな黄色で美しい色をしています。日本の鶯のイメージとは、ほど遠いと思います。黄鸝は漢詩に非常に多く描かれています。注意して感じをつかんでみてください。

 優れた詩人は景色の中に、自らの意境を託します。取り残された一艘の舟と水の流れ、鳥の鳴き声と静かに見る谷川の辺の草に韋応物の気持ちを考えて見る方が詩人の気持ちに近づくことが出来ると思います。
(日中友好漢詩協会理事長 ピープルズ・チャイナ 5月号より抜粋)

私と岡山(20) 日本建築を勉強しています                技術研修生 羅 文听
―羅文听(ルオ・ウェン・シン)さんは青海省から着たそうですね。
羅:青海省西寧(シー・ニン)市から来ました。とても遠いですが、日本の皆さんがよく知っておられる民謡の「草原情歌」(ツァオ・ユァン・チン・コォ)で有名なところといえば、わかっていただけるのではないでしょうか。新彊ウイグル自治区へ行くちょっと手前ですが、汽車だと北京から西へ約2,000キロ、特急で18時間ほどかかります。飛行機なら1.5時間ですが、汽車のほうが安いから汽車で来ました。

―日本へ来る前に、何処で日本語を学びましたか。
羅:西寧市の青海語言中心(外国語センター)で教わりました。先生は中国人と日本人と両方でした。蘭州鉄道学院の建築工程科を卒業してから、青海賓館に就職、建築部で仕事をしていましたが、もっと人生を豊かにしたいと思って、日本へ行くことを希望し、西寧で、2回の試験を突破して北京へ行き、北京で78人の中から選抜されて14人に入ったわけです。

―いま、生森建工の工場へ住みこんでいるそうですが、日本の家具など、今までの仕事にあまり関係がないのでは・・・。
羅:日本家具や日本建築の内装も勉強出来るので、中国建築との比較研究に興味を覚えています。

―工場に、いい友達があってよかったんですって?
羅:はい。とても心強い先輩がいてくれてうれしかったのです。こんな人たちといっしょに仕事することになるなんて、夢にも思わないことでした。3人とも男の人ですが、中国東北(旧満州)から引き揚げてきた日本人(2世)ですから、いろいろとおしえてもらえてわたしにとっては、とても都合がいいのです。日本語と中国語と両方で話が出来ますから。
 5月に研修生たちがみんな東京へ集まって中間報告会があります。半年あまりの成果を全国青年会議所の方々に日本語で発表するのですが、うまくできるかどうか、考えただけでも胸がドキドキします。

―ところで、日本の食べ物にはもう慣れましたか。
羅:もう大丈夫です。麺が好きですから、日本のうどんもよく食べます。おすしもおいしいし、お刺身も大好きになりました。巻きずしの作り方を覚えて帰って、父や母にも食べさせてあげたいです。是非習うつもりです。

―最後になりましたが、岡山の印象は・・・
羅:とてもきれいな町ですね。東京や大阪のような大都会と違って―田舎という意味でなく―すぐ近くに山が見えるので、青海の景色を思い出すことが出来て、とても親近感があるのがなによりうれしいです。岡山に来てほんとうによかったです。

―あと9月までどうぞお元気で。有難うございました。(文責 家野四郎)

上海雑感 進歩とは捨て去ることか①                           片山 主計
 2月4日、上海に行った。

 ちょうど除夕、お正月の前日で、中国では一番大切な日であった。私は台湾の正月は知っているが、中国のそれは経験したことがなかった。本場だからさぞや賑やかだろうと期待していた。

 飛行機はできあがったばかりの「上海浦東国際空港」に着く。立派な空港だが、利用している航空会社がまだ少ないせいで、人影は疎らである。迎えに来てくれた現地の人との再会を喜び合い、家へ案内される。「何だ、正月といっても普段とちっとも変わらないではないか」というのが、まず上海で受けた初めての感想だった。

 午後5時、台湾では町には車も人もぐっと少なくなる。路上はただ家路を急ぐ人たちだけである。と、どこからともなくパンパンと爆竹の音が。それにつられるように町のかどかどから同じ音が聞こえ出す。各家庭では円卓を囲み、今年最後の最高の晩餐を食べながら、新年の到来を祝うのである。「新年快楽」「恭喜恭喜」の言葉が飛び交い、子供たちにはお年玉が配られる。外の爆竹の音は時間が経つにつれて、激しさを増す。確かにこの爆竹の音は中国の音であり、上海も同じだった。これが深夜12時を期して最高になり、町中いや国中が爆竹で轟く。

 私は台湾でいろいろな家庭に招かれた。そこでは家族皆が集まり、鍋を囲んだ。今回上海で私の泊まった家庭は、夕食は近所のレストランが予約してあった。「家で接待をすると後がめんどうだから。」と言われれば、その通り。食べきれないほどのご馳走にあずかったが、多少寂しく思った。レストランはそのような家族連れで一杯だった。

 日本を出る前にテレビでは香港の正月風景を写していた。"これぞ中国の正月"というものであった。それを期待して、いやそれ以上を期待して行った私にとって上海の正月はまことに寂しいものであった。確かに市の中心部ではデパートやホテルが競って電飾を飾っていたが、それとて香港、台湾の比ではない。今年は『龍年』であり、中国では一番おめでたい年ではなかろうか。皆に新年を祝う心が失せたのであろうか。

 日本だって同じよ、といわれればそれまでであるが、上海の町を歩いていて何がこうさびしくするのか考えた。そしてハタと思い当たった。中国の正月の景観になくてはならぬあるものが欠如しているのだ。(以下次号) 協会理事

豆知識 空港から上海市内へのバス便
 上海には2つの国際空港がある。1つは従来から使用されている虹橋国際空港。もう1つが1999年開港の浦東国際空港。ともに国際・国内線双方が発着するので、利用空港の確認は充分な注意が必要。浦東空港から市の中心部まで直線距離約30キロ。リムジンバスは、虹橋国際空港、上海駅上海展覧館行きなど5路線ある。料金は18元~22元。虹橋国際空港から延安中路の上海展覧館までリムジンバスで約40分。浦東や上海西駅へ行く800番台のミニバスもある。小銭を用意しておくこと。

洛陽佛教の輝き  日本人と洛陽(3)                   長泉寺住職 宮本 光研
 日本人がはじめて中国に足跡をしるしたのは永平元年(57)1月―洛陽でした。倭の国王が使者「大夫」をつかわし光武帝に会い、金印「漢倭奴国王」を授かったと『後漢書』にあります。

 同じ頃、インド人が洛陽に仏教を伝え、白馬寺が建ったのが永平10年(67)という。日本人とホトケさまが同時期来訪!とはアラ不思議です。

 その後、洛陽は漢・魏の都で「仏教王国」として華開く。龍門大仏群が北魏・494年から200年間に彫造。一方西安で羅什三蔵が『法華経』『阿弥陀経』を、玄奘が『般者経』を訳出、いずれも日本人にごく親しまれています。

 しかるに洛陽でインド僧・善無畏が『大日経』を訳し、その聞書『大日経疏』を中国科学者として有名な一行が著します。大日のひかりの何ものであるか、見事に解明したものです。

 また金剛智、不空もインドから来て『金剛頂経』を訳出します。8世紀半ば唐代「開元の三大土」と称され、この中で善無畏は龍門広化寺、金剛智も同じく広福寺で生涯を終わります。

 やがて日本僧・元昉らが洛陽に入り龍門大仏を拝してこれをモデルに奈良東大寺・大仏ルシャナブツを造顕します。日本の空に大日「もう一つの太陽」をかがやかし、人心に深い影響を与えているのが洛陽仏教―北魏から唐代にかけてのかがやきです。

 なお6世紀、楊衒之『洛陽伽藍記』に衰退した洛陽仏教の記述があります。今の「漢魏故城」のことを伝えるものです。かつて「洛陽といえば永寧寺」というほど栄えた寺院も唐初には滅んでいます。

 ちなみに今春、洛陽博物館で見た永寧寺跡が出土した仏頭が忘れられません。

 壊れたる永寧寺佛顔の なおのこる永遠 抱きしめむか

 8世紀に不死鳥が、牡丹花のようによみがえった洛陽仏教―その内実はインドに新しく生まれた密教でした。龍門の奉先寺(奉光寺が正しい!?)盧舎那(ルシャナ)大仏の遍照光も永遠です。

 盧舎(ルーシャ)とは「ひかりあまねし」といふ梵語 「生きてあれ」とぞ叫ぶに似たり

 破壊と創造は青春そのものです。それを繰り返す古都・洛陽につよく青春を感じます。(協会理事)

活動日誌
4/20 中国三誌友の会、86回月例会
4/24 岡山市国際交流協議会総会
4/29

第3回百間川ふれあいフェスティバルで希望工程の募金活動

会員消息
【入会】
倉敷市茶屋町 古谷静さん(看護職)
岡山市津高台 石井秀明さん(株式会社アイスライン社長)
岡山市田中 森本田恵子さん(看護婦)
岡山市伊島町 板野ひとみさん(会社員)
玉野市長尾 宝蔵康守さん、中国育ちで、精神的にはまだつながりがあるつもりです
岡山市赤田 片岡正文さん(医師)
岡山市住吉町 野崎久史さん(会社役員)
岡山市雄町 北村彰康さん(医療事務員)
岡山市中島 瀧本孝さん(会社役員)
総社市駅前 中山正昭さん(病院役員)

賛助会員
岡山市伊福町 片岡国際協力基金代表 岡山済生会総合病院 院長 広瀬周平さん

【就任】
小谷秀成さんが岡山県医師会会長に、高塚幸巳さんが岡山市一宮公民館館長に就任した

【転勤】
片山主計さんが岡山市アイプラザ国際交流サロンへ転勤した

【表彰】
小路廣史さんと杉本博子さんが、人民中国雑誌社主催の99年国際写真コンテストの優秀賞に選ばれた。
中国関係消息
上海雑技団公演
 7月10日 岡山シンフォニーホールで開催。午後7時開演、1回のみ、問い合わせはMIN・ON電話086-264-0307。協会も協力しています。

本の販売にご協力下さい
 会報123号で紹介しました家野四郎さん(協会会員)翻訳の『十四歳の森林』という本の販売に協力することを理事会で決めました。原作は中国の著名な作家菫宏献さんで、中国作家協会児童文学優秀賞を受けた面白い小説です。定価1,200円を1,000円で販売しますので多数の方のご購入をお願い申し上げます。お知り合いの方にもおすすめ下さい。

先憂後楽
 「緑の地球ネットワーク」(GEN)というNGO団体がある。主に中国の緑化協力プロジェクトを手がけている非営利活動法人である。その指導的役割を果たしている人物が事務局長の高見邦雄氏。朝日新聞やテレビの報道番組などでも取り上げられ注目されている。

 その高見氏が現地(今は山西省大同に居る)で発信しているEメールが送られてくる。題して『黄土高原だより』。厳しい自然環境の中で、緑化に取り組む様子やワーキングツアー報告などの他、そこに住む人々との関わりや風俗習慣などを軽妙な筆タッチで書いている。

 現地にとけ込み、現地の状況に合わせた協力活動というのは口で言うのはたやすいが、現実には多くの困難があるはず。事実に基づいて真実を求めるという意味の「実事求是」という言葉は確か毛沢東氏の語録にあった。高見氏は常に現場に立脚した活動で多くの支持者を得ているがまさに「実事求是」の実践家である。

 それにしても世界を瞬時に駆けめぐるインターネットはこのような国際協力活動の大変な武器だ。GENのホームページアドレスは
http://member.nifty.ne.jp/gentree            (松)


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