2000年6月
平成12年6月
  135号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
洛陽ってこんなに身近だったの?―第7回岡山市技術研修生報告会―
                                   坂口 円さん、白髪俊恵さん、中藤季子さん
 5月27日(土)西川アイプラザ4階友好交流サロンで、第7回洛陽派遣技術研究生3人の帰国報告会があった。3人は、平成11年4月から1年間、洛陽工学院で中国語を勉強した。

 最初に洛陽市の概略を話した。洛陽の人口は607万人(岡山市の約10倍)、中国七大古都の一つで、東周、後漢、魏、西晋、隋など9つの王朝の都になった。名所古跡は、竜門石窟、白馬寺、関林、白居易墓などがある。4月の牡丹祭には、世界中から大勢の観光客が集まる。現在の洛陽市は、中国中部地区の重要工業都市に躍進しており、機械、石油化学、建材、紡績などの工業が盛んである。

 次に、寸劇で買物の様子が中国語で演じられた。うまく値切ればかなり値引きしてくれるそうだ。中国で流通している通貨は、「元」「角」「分」の3種類で、紙幣は、100元、50元、10元、5元、2元、1元、5毛、2毛、1毛、硬貨は、1元、5毛、1毛がある。「分」はほとんど使われていない。口語では「元」は「●(つちへんに夬)」(クワイ)「角」は「毛」(マオ)と言う。「分」は変わらない。現在1元は約13円。

 物価は沿海地方と内陸地方では大きな違いがある。洛陽と上海の物価を比べてみると、1ヶ月給料は、洛陽で500元が上海では1,000元、職種による違いも大きい。中国うどんは、洛陽2~3元、上海では5~6元、散髪代は、洛陽は2元~が上海では4元~といったぐあいである。

 つづいて中国語の伝授。自信たっぷりの指導に洛陽での勉強ぶりが偲ばれた。基本単語として、わたしは=ウォー、あなたは=ニィ、彼・彼女は=ター、これは=チェイコ、あれは=ネイコ、行く=チュイ、来る=ライ、~したい=ウォーシャン、私は行きたい=ウォーシャンチュイ。面識のない人に呼びかける時、男の人の場合は「先生=シェンション」、未婚の女性の場合は「小姐=シャオチェ」、既婚の女性の場合は「阿姨=アーイー」、どんな人にも使えるのが「同志=トンチー」。銀行での両替の場面、ホテルでのチェックイン、チェックアウトの場面、食堂で料理を注文する場面が演ぜられた。中国との友好交流は、先ず中国語を話すことから始めようという3人の気持ちが強く感じられた。

 洛陽に研修に行くようになった動機は、3人それぞれに違った理由があった。

 ひとりの動機に心を打たれた。まだ中国語が全く話せない頃、中国旅行に出かけ、道に迷ってホテルに帰れなくなった。ホテルの名前を覚えていたので紙に書いて、通りがかった小姐にバスの乗り場を聞いたら、いきなり走って来たバイクリヤカーを止めて、いっしょに乗れと言う。30分ほど走っても見つからない。運転手が道を知らなかったらしい。小姐は腹を立てて喧嘩を始めた。集まって来た野次馬の中にホテルを知っているおじさんがいて、いっしょにバスに乗ってホテルまで送ってくれた。小姐もおじさんも差し出したお礼を頑として受け取らなかった。大きな心を持つ中国人の朋友になりたいと思って、本気で中国語を勉強するようになった。

 3人とも、まじめに勉強して大きな成果を挙げ、無事帰国した。おめでとう。

第2回理事会開かる
 平成12年度第2回理事会が、5月30日協会事務所で開かれた。会長、副会長、理事11人で次の事項を協議した。

1.日中友好ボーリング大会の開催について
    7月15日(土)両備ボールで行う。担当責任者は、小野理事。

2.8月の後半、洛陽市から高校生40人を含む一般市民110人がチャーター便を使って岡山に来る。(予定)
    高校生のホームステイや日本の高校生との交流等岡山滞在中の世話について。

3.専門委員会について
    とりあえず次の案でやってみることになった。
広報委員会 機関誌担当 岡本・綾野
ホームページ担当 小野・萱野・大上
事業委員会 中国三誌普及担当 小路
イベント担当 宮本・片山・洞
中国語センター運営担当 松井
組織委員会 会員拡大担当 赤木・近藤・岡崎・古松
財政担当 椋代・片岡

4.協会設立20周年記念事業の準備について
事業計画案
   (1)記念訪中団の派遣
   (2)記念祝賀会
   (3)洛陽の「民話」出版
   (4)日中青少年交流大会
   (5)20年記念誌発行

事業推進母体
   事業委員会の設置(今夏までに設立)

特別予算計画
   予算案策定後特別寄付募金

その他
   *洛陽へ日本寺建立計画の協力について宮本理事から要請があった。
      約10年前に、白馬寺から日本寺建立の要請があった。日中交流の証に、宗派を越えて日本寺を建立したい。人心を集めて10年計画くらいで実現したいので協力してほしい。

   *母国で日中児童文学研究会の会長を務め、現在岡山大学に留学中の劉迎さんが岡山市出身の作家坪田譲治の童話を翻訳出版するので、出版費用協力の呼び掛けに応えることになった。


とっとり花回廊・大山を訪ねて―岡山中国三誌友の会5月例会
 去る5月19日、第87回月例会を兼ねて、とっとり花回廊と大山へ5回目の親睦旅行を実施した。

 今回は遠距離の上、やや過密なスケジュールのため、出発時間を早めて協会前を午前8時に出発。くらしきから三島前会長も参加され、会員の家族や友人も交えて総勢21名となる。この日は曇り空でどうか雨にならないようにと願ったが、途中からポツポツと雨粒がバスのウィンドウに当たり出した。

 案内状には新緑の候、咲き誇る花を愛でて、大山では存分に森林浴を楽しみましょうと書き添えた手前、お天道さんの悪戯とは言え、皆さんの失望が目に見えるよう、到着したらどうか晴れますようにと祈るばかり。しかし車内は賑やかな談笑が続き安堵の思い。新緑の風景を眺めながらほぼ予定した時間どおり、とっとり花回廊に到着。雨は止んでいたので動き易い。広大な庭園には世界各地の品種が色とりどりに、花の配置も見事にレイアウトされていた。

 花回廊のネーミングどおり広い庭園を取り囲むようにゆるやかなスロープの回廊を歩いて小高い位置から花園の全景を見渡せるように設計してある。回廊は板敷きで足に優しく、しかも全体を屋根が覆っているので雨に煩わされることもない。これは山陰特有の雨対策として設計されたのかなと立案者の配慮に脱帽。

 大山寺へ向かう途中で見た大山の中腹は全面新緑に覆われていたが、ここ大山寺で見る大山は、頂上に残雪を抱き山壁を藍色に染めた壮麗な姿で一同感嘆。早速大山をバックにして、それぞれ記念写真を撮り合っていた。大山寺の食堂で出された昼食は、この地方特産の山菜料理で店の従業員から山菜の説明を聞く。

 雨は上がっていたので三々五々散策。晴れていれば快適な森林浴が楽しめたのにチョッピリ残念な思い。今は巣作りのために小鳥たちが森に集まっている筈だが果してバードウォッチャーの方が鳥に会えたかどうか!大山寺での散策時間は少し足りなかったようだ。

 終わりに世話方として不行届な点もあり、今後検討を重ねて、より快適な親睦旅行を目指してゆきたい。
(協会理事 小路廣史)

漢詩を読もう                                           棚橋篁峰
金陵の図       韋荘
江雨霏霏江草斉
六朝如夢鳥空啼
無情最是台城柳
依旧煙籠十里隄

江雨霏々として 江草斉し
六朝夢の如く 鳥空しく啼く
情無きは最も是れ 台城の柳
旧に依りて煙は籠む 十里の隄
【通釈】長江に降り注ぐ雨に、川岸の草は皆勢いよく生い茂り、南京六朝の栄華は夢の如く、小鳥がむなしく囀る。何よりも無情なのは、御所の柳、昔のままに、もやの立ちこめる十里の堤に新緑が煙っている。

 この詩は、詩題から金陵(現在の江蘇省南京市)の春景色が描かれた絵図を見て、作られた作品でしょう。江南地区の春は、春の雨、春霞、鳥の囀り、新緑どれをとっても絵のように美しいのです。黄河流域の黄土の土壌で暮らした多くの中国人が、長江流域の春景色をどんなに憧れたでしょうか。韋荘は、そんな一人だったかも知れません。絵図に見る金陵の春景色を巧みに描写して、読む者をして目の前に景色が浮かんできます。そんな素晴らしい春景色の金陵は、3世紀の初めから6世紀の末まで、呉・東晋・宋・斉・梁・陳の6つの王朝の都でした。その繁栄は、今はありません。そんな歴史の変遷と無情を絵の中から聞こえてくる鳥の声、新緑の柳に韋荘は感じているのです。詩人は1枚の海外に描かれた江南の風土を愛で、歴史の中に消え去った栄華を懐古しています。そのような、感情こそが詩人に求められる意境の一つです。私は、この詩を読んで、描かれている絵画がどんな物か容易に想像できます。その景色が美しければ美しいほど、六朝が夢のように空しく滅亡していくことに対する、韋荘の思いは深いのです。このように理解できれば、この詩から「言外の意」「弦外の音」「味外の味」を感ずることが出来るのではないでしょうか。

 韋荘(836~910)は京兆杜陵(西安市東南郊外)の人。字は端己。中唐の詩人、韋応物の4世の孫といわれています。乾寧元年(894)58歳で進士に及第して、その後、蜀(四川省)に赴き、王建に仕えました。早く父を失い、貧困の中で勉学した努力家です。杜甫を尊敬し、生徒の浣花草堂を修復して自分の家にしたと伝えられ、作品全体にどこか愁いを含んだ表現が強いと思われます。
(日中友好漢詩協会理事長 ピープルズ・チャイナ ―6月号より抜粋)

福建省閩南5日間の旅③                                   石村明弘
 客家の故郷で山村住宅土楼を見学した余韻を乗せて走るバスの旅は快適である。バナナ畑は茶色になっていたが、オレンジ畑は緑。しばらく車窓から眺めている間に集美学村に着いた。ここは、華僑の成功者陳嘉庚の出身地である。シンガポールを拠点にゴム園を経営して巨万の富を得、故郷に幼稚園から大学まで各種の学校を建設した。海に面したすばらしい学園団地だ。タイル張りの洋風建築に、中国風の反った屋根。中でも集美中学は最も美しい。

 海へ突き出した小島には、嘉庚公園がある。大門をくぐると長廊があり、壁面は石の浮き彫りで中国の歴史が描かれている。島の中央には集美解放記念碑や陳嘉庚の墓がある。又、庭園には閩南式と呼ばれる反った棟飾りのある建物が並んでいる。

 夕食まで時間があったので石刻工場へ立ち寄った。5時を過ぎていたので作業は終わっていた。御影石や青闘石の仏像や歴史上の人物、動物、塔楼がいろいろ陳列してある。仕掛中の種々の像の器もある。完成品は見事なできばえで、日本から多くのバイヤーが仕入れに来るということだった。

 2月18日朝9時、ホテルを出発して泉州へ向かった。廈泉自動車道の沿道には、石の加工場や石造りの家が多く見られる。泉州市街へ入るとすぐ開元寺へ着いた。開元寺は、唐の時代に各州へ一寺ずつ建てられた寺の一つで、福建省では最大の寺である。南北630メートル、東西500メートルの広さだ。開五殿、大雄宝殿、蔵経閣等があり、特に楼閣式石塔があり、東西双塔は有名である。東塔は48メートル、西塔は44メートルの高さで八角五層、各層に彫刻やレリーフが施され、孫悟空のモデルと言い伝えられるレリーフもあり、貴重な資料である。清浄寺は、イスラム教寺院でアラブ式モスク。石造りの大門は、高さ20メートルのアーチ型である。壁に来歴などをアラビア文字で記されている。

 昼食は泉州指折りのシェフがいる金星大酒店で特選料理を楽しく頂く。特に色彩をうまく整えた果物のデザートは食べるのが惜しくて、いつまでも眺めていたい気持ちがした。

 2月19日。今日でいよいよ中国とお別れだ。ホテルの食事も最後。朝食に出る麺を作っているところを見せてもらった。粉をこねて両手で引っ張って油をつけて台にたたきつける。この作業を繰り返してだんだん細くしていく。その素早さに驚いた。あっという間に素麺のように細くなった。中国でしか見られない麺作りが最後に見られて皆大喜びだった。

 食後、出発までに時間があるのでホテルの近くを散策した。朝のラッシュ時で、来るバスはどれも満員である。歩道は女性の振り売りさんが次々と来る。竹を割った天秤棒をかついで、ぶらさがった竹篭の中は果物がいっぱい。

 空港へ来るバスの中で馬さんは自動車道が改良されたので、皆さんが日本へ着く頃自分もバスで福州へ帰れると話していた。馬さんに5日間のガイドを謝し別れた。(完)

上海雑感 進歩とは捨て去ることか②                           片山 主計
(先月号より続く)

 『春聯』がないのだ。台湾では正月が近付くと、家々の玄関の両横に、真っ赤な紙に有名な詩の一節とか、おめでたい語句とかを毛筆で書いたものを貼る。これで町中が真っ赤になる。家の中にも各所に、水の神様、火の神様などを祭り、赤い札を貼る。もちろん仏壇は最高に飾り、ご馳走の山を並べる。

 神仏を廃棄した中国では、仏壇はあるはずもないが、宗教に関係ない『春聯』はあってしかるべきではなかろうか、と思っていた。そこで次の日訪れたある家で、そのことを話してみた。

「中国では『春聯』は貼らないのですか。」
「中国の正月の習慣はすべて田舎の習慣です。大体正月を農暦でするなんて、田舎からきたものでしょう?」
「日本でも昔はそうだった。ちっともおかしいとは思いませんよ。伝統は伝統で守っていく必要があるのではないでしょうか。」

 幾つかの会話のあと、これはもう平行線を辿るだけだと思ったから言うのを止めた。

 その会話を聞いていたその家の主は、奥から2枚の春聯を持ってきた。「これは私のおじいさんが書いたものです。私はずっと箪笥に入れて持っているのです。もう中国ではこういうものを毛筆で書く人がいなくなったのです。学校でも教えませんしね。」と。

 「へえー。日本の小学校でも教えているのに、書道の本場中国でやらないとは…。寂しいですね。」

 春聯に関しての会話はこれだけだったが、私はこれですべてが読めたような気がした。

 確かに日本もそういう時期があった。欧米一辺倒で、自国の文化は低いものだと錯覚し、捨てていった。今の日本人に、外国へ行って日本の文化を紹介して下さい、といわれたら、何人の者ができるだろうか。

 フィリピンでは学校で女生徒全員に民族舞踊を教える。インドネシアではアンクロンなどの竹の楽器を学校で使う。彼等は請われればどこへ行ってもそれを披露することができるし、伝統音楽や民族舞踊に誇りを持っている。

 今回の旅行で私が感じたことは、ほんとの中国は香港・台湾・シンガポールなどに残っているだけではないか、ということであった。勿論中国も残っているとの反論はあろう。日本とて同じである。

 自分たちへの反省も込めて敢えて言わせていただくならば、4000年とも5000年ともいわれる偉大な歴史を持った中国が、自由・解放という風に吹き流されて、自分達の祖先の育んだ大切なものまで放棄しようとしているのではないだろうか。勿論新しいことは取り入れるべきである。自由を謳歌するもいい。

 しかしそのために、過去の歴史が残した大切なもの、大切な心を失ってほしくない。現在の中国にも、過去の中国にも誇りを持ってもらいたい。

 中国を愛する一人の日本人として、この一つのことを心から願わざるをえない今回の旅であった。(協会理事)

金谷(きんこく)・邙山に遊ぶ  日本人と洛陽(4)                   長泉寺住職 宮本 光研
 日本人はこんな言辞で人の死―無常を詠ってきました。

 金谷ノ春ノ朝ニ花ヲ弄ビシ人、夕ニハ北邙ノ風ニ散リ云々

 金谷がどこにあるか、北邙とは何か。私はよく知らないまま弔いの『諷誦文』としてきた。

 それが岡山市と洛陽市が友好都市になった81年、金谷が洛陽市金谷園路(駅前通り)であり、北邙とはその北郊・邙山大地だと知っておどろきました。

 そうか、洛陽の風景の中で日本人も人生、無常を考えてきたのか、といった感懐です。そういえば中国人も又、
    生在蘇杭 葬在北邙
    生活は蘇州、杭州がいいけれど、死んだら洛陽邙山に葬ってヨ
と願ってきた。そこは黄河の砂の堆積でできた理想的な墓処なのだ。夜ともなれば一望、古都の灯が光りかがやいてみえる。

 洛陽八景の一「邙山晩眺」がこれであるが、落日余暉、なかなか暮れなずむふうも言う。清明と重陽の節句には人々がそぞろ遊んだ。

 邙山は中国人にとって浄土であり、永遠の眠りの地である。詩文にうたわれ、日本人にも深い印象を与えている。

 また金谷は八景の一「金谷春晴」で有名。なぜか、私は「朝日があたると黄金色にかがやく谷」と理解している。どうやら勘ちがいで、現存する「金谷園」は洛陽市東北10キロの孟津県にあり、ぜひ行ってみたい。

 ちなみに洛陽八景は先の2つと「龍門山色」「馬寺鐘声」「天津暁月」「銅駝暮雨」「平泉朝游」である。八景巡りも楽しからむ。

 さて岡山八景があってもいい。かつてあっただろうが、今様八景を詠んでわれらが市の詩情を高めたいものです。

活動日誌
5/19 中国三誌(ピープルズチャイナ・北京週報・中国画報)友の会・会員親睦旅行。とっとり花回廊、大山(参加者21名)
5/30

第2回協会理事会

会員消息
【入会】
岡山市赤田、西尾雅子さん(会社員)
上房郡賀陽町、川野明さん(自由)
上房郡賀陽町、三尾尊弘さん(農業)
岡山市花尻、赤井恭子さん(主婦・講師)
岡山市下伊福本町、秋本晄久さん(医師)
岡山市北方、岡將男さん(中国食品工業㈱常務・会社役員)
(6月2日現在)

お知らせ
外国人労働者相談コーナー
 外国人に仕事の斡旋をする日本人、また、日本で働きたい外国人は、4月より岡山県職業安定課の組織が一部統合されて、岡山労働基準局が岡山労働局となったのでご留意下さい。岡山労働局は、労働省に所属し、労働基準監督署と公共職業安定所を管轄しています。

 「外国人労働者相談コーナー」は、今までどおり、岡山労働局の労働基準部の監督課に設置されています。外国人労働者の労働相談や労働災害の相談に応じています。

 岡山労働局の所在地は、下石井1-4-1 岡山第一庁舎。

 監督課の電話は、(086)225-2015です。

図書紹介 『日中ことわざ辞典』
 日本語とそれに対応する中国語のことわざ約2100組を収録。例えば「愛縁奇縁」と「千里姻縁一線牽」(一線牽は一筋の糸で結ばれている)「ローマは1日にして成らず」と「百丈高台、始則一石」など日中の発想の意外な共通点や微妙なズレに、思わずはたと膝を打つ。拼音順中国語索引付き。
(金丸邦三編著、同学社、四六版、306頁、3,500円)

先憂後楽
 中国と米国の関係を評して『いつも喧嘩ばかりしているが、決して別れることはない夫婦のような関係』とある評論家が言っている。確かに米国人は人権問題や台湾問題などで堂々と中国を非難し続けている。にもかかわらず、水面下では大統領の命を受けた使者が中国要人と会見し、重要な協力プロジェクトを交わしている。

 中国に対する最恵国待遇を議会に通過させたこと、そしてこれによって中国のWTO加盟が事実上決定したことなど、一体中米関係は良いのか悪いのか我々一般人には分かりにくい。しかし、これが外交というものであろう。

 朝鮮半島では歴史的な南北首脳会談が着々と進められている。それに先駆けて朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記が中国の江沢民総書記と会談している。南北会談の背景に中米の交渉が存在していることは、日中国交回復前の米中会談を省みるまでもなく、想像に難くない。

 ところで、現在の日中関係はどのように評されるべきだろうか?日中友好は成熟しているのだろうか?どうも日本を頭ごしにしてアジアのドラマスティックな外交が進んでいるような気がしてならない。

 『失言』を発しては謝罪したり撤回したりしている場合で半句、近隣諸国との友好と日本の国益とをしっかり見据えた外交政策を実行してもらいたいものだ。(松)


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