2000年7月
平成12年7月
  136号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
「中国」をメインテーマに平島っ子カーニバル開かる
 平島小学校(岡山市)で、すべて生徒たちの手で企画、運営される"平島っ子カーニバル"が開催され、またそれに先立って発表会があった。そのメインテーマが「中国」ということになり、外部から「ゲスト・ティーチャー」を招くとして、事前に指導を依頼された。因みに平島小学校は江西省南昌市松柏(スン・パイ)小学校とすでに友好関係を結んでおり、子供たちの作品を交換している。だから立派な書道作品などが校内に掲示されている。

 私宅へ電話をくれたのは、先生からではなく6年生の女の子からだった。中心は6年生、指定の時間に行って見たが、みんななかなか積極的で、図書館の本などから中国語を調べてノートに単語を数ページ書いている。カタカナで読み方はだいぶ覚えているが、悲しいかな、発音がわからないから教えてほしいとのこと。

 とにかく第一目標は自己紹介がしたいというのだ。

 私も小学生に教えた経験はあまりないので、一瞬とまどったが、そう簡単に話せるようになる性質のものではない、「四声」という難関があることなどの説明から始めて、それぞれ自分の名前の中国音をカタカナで黒板に書いて覚えさえた。

 「我叫○○○○」をできるだけ性格に発音することを繰り返し練習した。そしてこの音と字を、先生にビデオカメラへ収めてもらった。これでみんながマスターする材料になったことは勿論だ。昔とは勉強方法が違うのだ。

 発表会を、校長先生のご案内で見せてもらったが、水餃子(すいぎょうざ)や杏仁豆腐(アンニントウフ)はおいしそうなのができていた。ちょっと試食してみて批評したかったのだが…。炒飯(焼飯)はたまごがほどよくまざっているようだったが、小さなフライパンで少し無理な感じだった。炒飯を作るのはなかなか難しいのだから、専門家や料理の得意なお母さんの直接指導が必要だろう。

 ことば、あそび、衣服、料理などそれぞれテーマを持って各グループにわかれて、研究したそうだ。「あそび」を選んだグループは予定した情報が得られずに困った由。わたしもわかる限りの情報を提供して協力した。"平島っ子カーニバル"の中国語訳にはちょっと困ったが、"平島孩子節"(ピン・タオ・ハイ・ズ・チエ)にした。

 「6B言葉班」発行の「中国だより」にもちゃんとのっている。

 自己紹介もみんなできるようになって、当日いっしょに訪問した岡山情報ビジネス学院研修生の周敏(チョウ・ミン)さん、李明(リー・ミン)さんと話をした岡本泰志くん(6年A組)の自己紹介は立派に通じた。

 また研修生たちの日本語もレベルの高いのに驚かれたようで、校長先生はじめ先生方におほめいただいた。

 ほんのわずかだったが、お互いに楽しい時が持てて、おおいに満足した1日だった。(取材・教会会員 家野四郎)

私費留学生の生活支援にご協力を
 7月5日、岡山県中国留学生学友会の馬福山会長・布仁特古期副会長・毛雪飛副会長の3人が協会に来訪。私費留学生のための生活用品援助の要請をした。9月の新学期をめざして、初めて来日する私費留学生は、重くて大きい生活用品を持ってくることができないため、到着の初日から、ふとんが無い食器が無い等日常生活に困っている。現在、岡山県内には公立・私立合わせて約500人の中国留学生がいる。その中の95%が私費留学生で、これからますます増える傾向にある。中国留学生学友会は、「新しい留学生に少しでも生活の面で援助を行い、日本民族の暖かい心を感じさせようと思って生活用品の募集を始めることにしたので、暖かい援助をお願いします。」と協力を要請した。協会は、この友好運動に全面的に協力することを決め、協会事務局で贈呈品を受け付ける準備を整えた。贈呈品一覧表ができ次第留学生に示し、希望の品を直接取りに行ってもらうことにしている。下記の生活用品で贈呈できるものがありましたら、協会(電話:086-225-5068)へご連絡ください。


椅子・机・冷蔵庫・洗濯機・ホームこたつ・扇風機・国語辞典・ソファ・電気なべ・電気スタンド・掃除機・カラーテレビ・電気ポット・灯油ストーブ・トースター・ふとん・日用品・パソコン等

岡山―上海就航2周年記念訪問団が上海市人民政府を表敬訪問!
 江草安彦氏を名誉団長とし、大藤眞氏を団長とする岡山県の訪問団が就航2周年にあたる6月30日に上海を訪問した。上海市人民政府では岡山にもなじみの深い周慕堯副市長と会見。岡山上海線の順調な推移を確認し、日中友好の架け橋として大きな役割を果たしていることなどが話し合われ、今後週3便へ発展するよう期待が述べられた。

 会見には、人民対外友好協会の姚全福常務副会長、日本処の張雪娜処長が、東方航空公司からは貨運航空公司総経理の周礼国氏並びに市場経営部副総経理の趙景愛氏らが同席した。

 岡山上海便は平成11年度の通算搭乗率が62.7%とまずまずの結果だったが、今年度は更なる搭乗率アップが期待されている。

坪田譲治の童話 中国語翻訳本出版にご協力を
 中国で日中児童文学研究会の会長を務め、岡山大学大学院文化科学研究科に留学して、現在、博士課程で岡山市出身の作家坪田譲治さんが、坪田譲治の童話を中国語に翻訳して出版するので、出版費用約40万円の資金集めに協力してほしいと、協会に来て片岡会長に要請した。このことについては、第2回理事会で協力することが決定しているので、いよいよ行動に移ることになった。ご芳志を協会でも受け付けていますのでよろしくお願い申し上げます。

この夏中国へ出かけてみませんか―ユネスコ世界遺産を訪ねて
 世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から引き継がれた宝物である。それは今日を生きる世界のすべての人びとが共有し、そして未来の盛大に引き継いでいくべき貴重な遺産である。世界遺産は「文化遺産」「自然遺産」、そして自然と文化の両方の要素を兼ね備えた「複合遺産」に分類されている。世界遺産には国境が無い。たとえばエジプトのピラミッドは、エジプト人にとってのみ価値のあるものではなく、私たち日本人、ひいては、人類全体にとっても、同じく顕著な普遍的価値をもっている。

洛陽の曹植―仏教音楽の始祖説  日本人と洛陽(5)          長泉寺住職 宮本 光研
 おどろくなかれ、日本仏教の音楽「声明(しょうみょう)」の始めは三国時代、洛陽を都とした英雄・曹操の三男坊だとされる。名を曹植、子建、陳思王とも呼ばれ、紀元192~232年の41年を生きた。

 中国最大の詩人、天下の才能「独占八斗」と称された。唐の詩人・李商隠が「洛陽の辞賦の神ならん」と崇めた。

 曹植が山東省東阿に封じられ、その地「魚山」で梵天の音楽を聴き、そのまま「梵唄」に制作したというエピソード「魚山空中聞梵」がある。また『瑞応本起経』を書き、梵音を漢音にし、梵音学習の模範とされてきた。

 こんなことが『三国志』『魏書』に記されているが、当時「武」の時代とみられがちな中、曹植は仏典を好み、仏教こそ究極のおしえとする「文」の人。読経すればその声は自然に七種の声調を帯び、そのリズムを人びとが好んで歌いはじめた。

 ちなみに魚山は泰山に近く、黄河に面している。海抜82メートル、河中の魚が飛びはねるのが見えるほどの小山。曹植はここで東阿王と称したが、陳(今の河南省淮陽)に封じられて亡くなったので陳思王と呼ばれる。

 残念なのは現状、中国で梵唄の楽譜は失われ、旋律ももとの姿から随分、変わってしまっている(岩田宗一・大谷大学教授)らしい。日本に伝承されている声明『唄』が曹植の制作になるものだとしたら一度、白馬寺でお唱えしてみたいものである。

 日本で声明を『魚山』の代名詞でいう。魚山に源流を求め、そこに曹植のお墓がある。仏教音楽の創始者として曹植、魚山の研究が進み、一大開発プロジェクトになっている。この文は松下隆洪、東寺真言宗声明大全刊行会代表の教唆による。(協会理事)

活動日誌
6/20 中国三誌(ピープルズチャイナ・北京週報・中国画報)友の会第88回月例会
6/25

第41回中国検定試験、ノートルダム清心女子大学で実施。参加者75名。

会員消息
【入会】
岡山市乙多見、佐々木正邦さん(会社役員)
岡山市東畦、渡辺誠さん(会社役員)
倉敷市笹沖、小川光子さん(看護学校副校長)
岡山市駅元町、岩藤稔さん(再入会)

【お悔み】
岡山市円山、平松保さんがご逝去。(5月)
協会理事赤木宣雄さんの実父ご逝去。(6月)

中国関係消息
胡弓平和コンサート
 二胡演奏家の田川さんとエレクトーン演奏家の広原かおりさんと平和の語り部の森岡まさ子さんによるDEN SEN第2回チャリティ胡弓平和コンサートが8月5日(土)14時より、岡山市民文化ホールで開かれる。チケットは全席自由で前売3,000円、当日3,500円。協会にもチケットを預っている。

図書紹介 『楽しい木の家』
 会員の米田弥寿雄さんが、このほど「楽しい木の家」という本を出版されたので紹介する。筆者は株式会社ウッディヨネダの代表取締役社長を務めるかたわら、専門紙および財界誌等にユーモアをまじえた辛口時評、エッセイなどを執筆してきた。

 筆者は、この本の出版の意図を次のように語っている。現代の世相を返り見て、コンクリート、新建材に囲まれた住宅、それに伴うシックハウス症候群、子どもや少年少女のアトピー症状や精神的不安定などの要因の軽減に、又昔の気候風土に合い、且つこれらと共生する住宅、家庭の復権に多少たりともお役に立てばと思い筆を取った。これを堅い、古い懐古趣味と笑う者がいるかもわからないが、良い伝統を大切にし、年老いて死ぬ時は是非この家で死にたい家と思うような家を造らなければならないと思う。

先憂後楽
 七夕が来ると小学校の音楽会を思い出す。長兄が司会をしていたため名前を呼びつけで紹介したので、会場は爆笑。恥ずかしくて顔を真っ赤にしながら『ささのはさらさら…』と一生懸命歌った。

 織り姫とひこぼしが天の川で1年に1度だけ会うというロマンに満ちた七夕の日は、中国では七七といって、日本軍の中国侵略の日、つまり1937年の盧溝橋事件を彷彿とさせる日だ。

 このことは、中国に関わりだしてから知ったことで、もし知ることがなければ私にとっての七夕は小学校の思い出だけに終わっていただろう。

 いい加減に忌わしい過去を離れて、輝かしい21世紀の日中関係を展望しようじゃないか。という声を聞くたびに、即座に同意すべきではないと逡巡する。それは一面正しいが、歴史を正しく踏まえることが前提で、この点は曖昧にできない。

 文部省新指導要領による総合的学習がまもなくスタートする中で日中間の学校交流がますます増えてくるだろう。正に21世紀を担う青少年たち同士の直接交流が本格的に始まるのだ。

 国際交流はそれぞれの歴史・文化を尊重し合うことから始まる。学校での取り組みもその点を是非とも踏まえて、文字通り総合的な学習になるようにしてほしいものだ。(松)


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