2001年4月
平成13年4月
  144号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
第1回理事会開かる―協会創立20周年記念事業ほぼ決まる―
 3月28日、協会事務局で本年度最初の理事会が開かれ、10名の役員で次のことを協議した。

岡山市日中友好協会設立20周年記念事業
①岡山市民友好訪中団
  萩原市長を団長とする143名の訪中団が4月17日洛陽に向かって出発
②「洛陽の伝説と民話」発行委員会を設置
  責任者 岡本理事
  発行日 2001年9月
  発行部数 1,500部
  頒価 800円前後
  費用 75~80万円(市の寄付 25万円)
岡山市内の小・中学校には無料配布
協会会員にはレセプションの時に贈呈する。
③洛陽名酒「杜康酒」特別輸入販売
  輸入数 1,000本
  売価 2,500円(1本)
  3種類 度数の違う杜康酒(3種類1セット1割引)
④中国展(5/23~5/29) 高島屋岡山店
 協会コーナー(杜康酒販売、洛陽書画家揮毫販売、20年の歩みパネル展示)
  責任者 松井事務局長
  店番 当番制
⑤協会20周年史発行について
  責任者 小路理事、岡本理事
⑥学生シンポジウム協賛(7/31~8/4)
⑦記念レセプション
  目的 協会設立20周年を祝う。21世紀への日中友好をつなげる。
  内容 講演(交渉中)
レセプション(会費制会食)
来場者に「洛陽の伝説と民話」贈呈
  日時・場所

未定

日中友好の後継者育成事業案
  • 小学生・中学生・高校生対象に「日中友好クラブ」をつくる。
  • 中国との交流校、岡山市教育委員会、岡山県日中教育交流協議会等協力
  • 協会が指導的役割を果たせるか?総合学習との関連。教師との連携。

【当面の活動】
  4/10 人民中国雑誌社張哲東京支局長協会訪問歓迎会
  4/17 岡山市民チャーター便出発

【その他】
  ・岡山せとうちライオンズクラブ訪中団(3/30~4/3)洛陽市新安県五頭鎮、『洛岡希望小学校』開校式出発
  ・『悠久』第4号発行(岡山県日中教育交流協議会会報)

協会創立20周年記念事業募金 目標額を達成!
ご協力ありがとうございました。
寄付者のご芳名(敬称略・順不同)
【1万円】小野愛子
【165,500円】バザー収益金
3月31日現在 1,067,080円

協会創立20周年記念事業 特別寄付金の御礼                    協会会長 片岡 和男
 岡山市日中友好協会は今年9月に20周年を迎えます。付きましては、記念諸行事を行うとともに、経済基盤を確立して行きたいと考えまして、会員の皆様より特別寄付金を頂くというご無理なお願いを致しましたところ、早速、多くの方々より多額のご寄付を頂き、総会でのバザー売上金を含めまして、100万円を突破致しました。

 定期総会に提案致しました活動方針に従いまして、細部の協議をしておりますが、活気ある日常活動、組織の活性化に取り組みつつ、有意義な20周年事業を展開して行きたいと計画しております。どうか、引き続いてのご支援をお願い致します。

 先ずは、特別寄付金への皆様の絶大なるご協力に対しまして厚く御礼申し上げます。

岡山「中国三誌友の会」月例会100回記念 張哲東京支局長との交流会開かる
 6月に岡山「中国三誌友の会」月例会が100回目を迎える。2ヶ月早いがプレ100回ということで、郭沫若先生の詩碑のある後楽園の桜の咲く時期に合わせて、東京から張哲東京支局長を招いて、4月10日、岡山「山佐本陣」で友好交流会を開いた。参加者35名。

 先ず小路代表幹事の挨拶で会が始まった。

 三誌友の会は岡山市日中友好協会の中に設けられた中国三誌普及委員会の実行機関として出来たものであると三誌の会の性格を話した後、会員の協会で月例会が100回を迎えたことの喜びを述べた。最後に会友が中国を訪問した時、その都度、心のこもった世話をして頂いた張哲さんへ感謝の意を表した。続いて、片岡会長と三島前会長の歓迎の挨拶があり、そのあと張哲支局長の流暢な日本語の挨拶があった。

 昨年7月に日本に来たが、ジャーナリストとして仕事をするのは初めてである。日本の社会、歴史、文化などを先入観なしに取材したり執筆したいと思っているとジャーナリストとしての基本姿勢を明らかにされた。次に、岡山市日中友好協会の多くの会員が中国三誌を愛読していることに感謝の言葉を述べられた。故周恩来総理は、かつて『中日友好の土台は民間交流にある』と何回も言っている。三誌友の会の活動はまさに周総理の言った民間交流に当たるもので皆さんは中日友好交流の土台を築いていると三誌友の会の活動を賞賛された。

 昼は、瀬戸大橋を案内して頂いたが、世界的に有名な雄大な大橋と美しい風景を見て感動した。『百聞は一見にしかず』という諺どおりだった。今夜、また多くの方々とお目にかかれてうれしいと交流会に参加できたことの喜びを話された。最後の菲才ながら于明新・李恵春の大先輩に負けないよう努力していくと固い決意を表明されて挨拶を終った。

 懇談の中で「ピープルズチャイナ(人民中国)」に対して次のような感想や要望が出た。
  • 雑誌の大きさがA4版になり、写真も全部カラー写真になったので美しく親しみ易く読み易くなった。反面、文学的な記事が少なくなったように感じられるので、中国の故事・古典についての記事を増やして欲しい。
  • 雑誌の名前について…日本人向けの雑誌にピープルズチャイナという名前は、そぐわないので、漢字を使った名前に変えてほしい。臣民とか人民とかいう言葉に抵抗感を持っている日本人が多いので、可能ならば人民を使わない題名にしたらどうだろうか。「現代中国」「中国現代」「現代の中国」なども一案。
  • 毎月の号数を表す数字が小さくなったので、何月号か見てすぐわからないので、数字を大きくして欲しい。
 最後に張哲支局長の要望
  • ピープルズチャイナにアンケート用紙が付いているので活用して頂きたい。意見や要望をアンケート用紙に書いてどんどん送ってほしい。
 
台湾訪問記(1)                                 協会理事 岡本 拓雄
 3月26日から4日間、20年ぶりに台湾を訪れた。新竹県新埔小学校高等科20回生の同窓会に招かれて行った。

 出発の日が寒かったので、カッターシャツにチョッキを着て出かけたが、結局帰るまで同じ服装で過ごした。準備していた半袖シャツは着ることもなく持ち帰った。太陽が出れば暑いそうだが、ずーっと曇りか雨だったので、日本と同じ服装で過ごせたわけだ。

 台北の空港まで6人の教え子が40キロの道のりをマイクロバスで迎えに来てくれた。空港の出口で『岡本先生歓迎』と書いた紙を持って、にこにこして並んでいた。子どもの頃の面影が残っているので、名前をすぐ思い出すことができた。懐かしかった。本当に懐かしかった。マイクロバスの車窓から見える水田には、20センチメートルほどに伸びた稲が青々と育っていた。旧正月頃に植えた苗で8月の夏休み頃収穫して、そのあとすぐ2回目の田植えをするそうだ。台湾南部の嘉義を北回帰線が通っているので米の二期作ができる。

 今回の旅の目的は、同窓会に出席することと新竹市の郊外にできた科学工業園区の見学である。ここは台湾のシリコンバレーといわれている所で電子関連産業が最も発達した所である。周囲には交通大学、清華大学、工業技術研究所などの学術研究機関が点在している。

 どんなご縁で話がもちあがったのか知らないが、岡山市と新竹市の間で、友好都市締結の話し合いが進んでいる由。かつて新竹県に3年住んだことのある私にとっては、興味と関心をひく話である。しかし、新竹市民は、岡山市が日本のどこにあるか知らないし、岡山市民も新竹市が台湾のどの辺りにあるか知らない。もう少し市民間の交流を深めてから、友好都市締結をした方がいいのではないかと思う。

 2日目、予約をとってくれていたので、科学工業園区の見学に行くことができた。先ず、テクノロジー生活館に入った。入場料150元(日本円で約600円)。玄関先まで専門スタッフが出迎えに出てくれて、約2時間最後まで案内してくれた。

 先ず、日本語版の園区紹介ビデオを見たあと、科学生活館の説明を受けた。次に、科学産業展示室の見学をした。

漢詩鑑賞 山行   杜牧
遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅于二月花
遠く寒山に上れば 石径斜めなり
白雲 生ずる処 人家有り
車を停めて坐ろに愛す 楓林の晩
霜葉は 二月の花よりも紅なり
 『七絶・山行』は晩唐の詩人杜牧(803-852)の代表作の一つである。この詩は晩秋の山に遊んで、夕日に映える美しい紅葉を楽しんだことを歌ったものである。結句の「霜葉紅于二月花」は古くから非常に広く人口に膾炙している。この作品は秋の風景が恰も彩色画を見るように鮮やかに描き出されている風景詩である。色彩の方では「白雲」と「霜葉」とが対応の中心を成しており、特に転句に「晩」の字を使っているから紅葉が夕日に照らされて赤々と映る様子を思い出させる。この美しい情景にじっと見とれる作者自身もこの絵の中に溶け込み、自然美と一体となった陶然とした心境が表現されている。

 この書道作品は東漢の『曹全碑』を臨習した上で隷書字体で書いたものである。隷書という字体は篆書が正式の文字として通用していた秦代に創案され、公用の篆書に隷属する民間の文字であるという意味で隷書と呼ばれたと言われている。しかし、漢代には篆書の代わりに、広く応用される文字になったので、「漢隷」とも呼ばれ、楷書・行書・草書よりはもっと古い書体である。

 『曹全碑』(別名『郃陽令曹全記功碑』)は漢隷の代表的なものの一つである。この碑は東漢の中平2(西暦185)年10月に建立された。曹全、字は景完である。この碑は彼が西域の戍部司馬(古代官職)と陝西省、陽県令を担任した時の政積と継母に対して孝心篤く人徳を慕われていたことを記載したものである。碑の高さ253センチ、幅123センチであり、碑文の大きさは3センチで、字数は849時の陽刻であり、題名は陰刻である。『曹全碑』は民の万歴の初め頃、陝西省、陽県、里村で出土された後、陽県孔廟に収蔵されていた。1956年、西安の碑林へ移された。『曹全碑』は漢碑の中で一番良く保存された石刻の一つである。この碑は文字が清晰であり、鋒が新しき如く、元来の書写の風貌を保ちながら、章法は斎整、運筆は流暢甘美、静かな書である。縦画を比較的太く、横画を細く作り、澄んだ線質には伸びやかさと抑揚感があり、同じ東漢の『礼器碑』と共に漢碑の双璧として、並び称される一品である。(馬 福山)

篆刻の実演と即売
 5月23日から29日まで、高島屋岡山店で開催される「岡山市洛陽市友好提携20周年記念 大中国展」にコーナーを設けて、篆刻の実演と即売をする計画が進められている。篆刻師は、中国人留学生の馬福山さん。注文した印鑑を即座に彫ってもらえれる。待時間は約5分。材質は桜の木。

「人民中国」雑誌社より うれしい便り
 昨年10月10日に南京を慰霊の旅で訪れた会員の宮本容子さんの感想文を、会報140号に載せましたところ、北京の「人民中国」雑誌社より下記のようなうれしい便りが届きました。

 早速、宮本容子さんへ連絡して快諾を得ましたので、人民中国社へ連絡しました。

『岡山と中国』編集部御中

拝啓
 なごやかな春の季節、貴協会におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
 平素よりご協力、ご鞭撻を賜り厚く御礼申し上げます。さて、弊誌はこのほど誌上で『中国新千年紀の旅 写真・感想文コンテスト』を行いました。貴紙2000年11月15日(140号)に掲載された宮本容子様の「・・・南京で思ったこと」が目にとまり、ぜひとも弊誌に転載させていただきたいと切望しております。転載をご許可いただきたく、なにとぞよろしくお願い申し上げます。また、宮本容子様との連絡方法(電子メール、ファクス、電話など)を教えていただければ幸いに存じております。
 ご連絡をお待ちしております。貴協会のますますのご発展をお祈り申し上げます。
                                                           敬具
2001年4月2日
                                                      『人民中国』編集部
日本と中国の抒情 グループ風雅のコンサート
 岡山シンフォニーホール開館10周年記念事業として、音楽を通じて日中友好の絆を深めようと積極的に活動を続けている「グループ風雅」のコンサートが開かれる。
 日時…5月23日(水) 開場17:30
 場所…岡山シンフォニーホール
 料金…2,000円(全席指定)

ちょっとチャット(3) 草原の民に思いを寄せて               協会理事 小野 愛子
 黄砂が飛来する季節になると、内蒙古の草原へ思いを馳せる。年々、黄砂の量が増えている気がして、草原の痛みが進行していることを思い、心穏やかではいられない。内蒙古では、ここ数年旱魃が続いて砂漠化が進んでいる。昨年の夏は一滴も雨が降らなかった地方もあり、バッタの被害も重なって、全て草がはげてしまったという。草のない草原で牧畜はできない。シリンホト市南部のチャハル地域では、もはや牧畜ができず、貧困化が進んでいる。

 また、今冬、モンゴル国のみならず中国内蒙古でも雪による大きな被害が出たことは周知のことであろう。全体としては雪害であるが、12月31日の夜から1月2日まで、とりわけ1月1日は24時間、1メートル先も全く見えない程の突発性暴風による被害であったらしい。砂混じりの雪が糊のように固まって口や目や鼻の穴をふさぎ、家畜が行き倒れたという。この一晩で30万頭の家畜が行方不明になり、最終的に27人が死亡したとのこと。実に悲惨なことだ。草原が砂漠化し、家畜を失い、牧民として生きられなくなった草原の民はどうするのか。

 先頃、モンゴル民族学者である友人からE-メールが届いた。モンゴルパートナーシップ研究所(通称『モビ』)というモンゴル支援のためのNPO法人を設立することになったので、ぜひ会員になって欲しいとのこと。彼女とは、十数年前、内蒙古で知己となった。内蒙古大学の招待所で暮らす1年の間に、モンゴル族の衣食住の話や、羊や馬の話、ジンギスカンにまつわる話等々、私はまるで物語を読み聞かせてもらっている子供のようにワクワクしながら彼女の話に聞き入った。ブランバードルに1年留学した経験を持つ彼女は、モンゴル国と中国内蒙古とを比較しながら、その変化を見続けている。隣人としてモンゴルの民に熱い思いを注いでいる。

 内蒙古とモンゴル国では状況が異なるようであるが、牧民が牧民として生きられるよう願っている。伝統的な遊牧民の草原での暮らしを守りながら、なおかつ畜産が市場経済とうまく結びつくような方法を探って欲しい。そのために何か協力できることはないか、私も隣人の一人としてモンゴルの民の暖かいエールを送りたい。

活動日誌
3/8 中国三誌友の会第98回例会
3/24 岡山市民友好訪中団旅行説明会
3/25 第43回中国語能力検定試験(ノートルダム清心女子大学)
4/10

張哲人民中国雑誌社東京支局長交流会

会員消息
【入会】
繁森良二さん(会社員)

【人事】
福武教育・文化振興財団理事長谷口澄夫氏の死去に伴い、ベネッセコーポレーション社長福武總一郎氏が理事長に就任した。

図書紹介
 日本は、上古以来、その文字や生活習慣に中国の影響を受けてきた。明治維新以降は、中国は、語彙、経済、文化面において、日本から大きな影響を受けるようになった。日中両国は、相手の長所を取り入れ発展を続けてきたのであり、互いに不可欠の隣国ということができる。

 しかし、位置的に近いとはいえ、両国国民の生活習慣・考え方などに大きな差異が存在することも事実である。そこで、中国の状況を知りたいと願う人々のために、その理解の一助として作られたのが本書である。本書では、中国の自然環境・歴史・政治・経済・風俗習慣・国民生活などについて簡略な紹介を行っている。

 業務・観光・視察目的で中国を訪れる人々、中国語を勉強している学習者、中国に興味を持つ各界の人々にとって初歩的理解を身につける最良の手段であり、中国に関する諸知識習得のための最も適切な参考書である。
(羅 奇祥・栗原千里著、三修社刊、2000年11月発行、B5判166ページ、\2,000)

先憂後楽
 岡山市洛陽市友好都市20周年記念訪中団が出発した。それに先立ち、同行する山陽新聞記者の記事が掲載された。その中には当協会の活動足跡が多く含まれている。

 協会は1981年9月に発足した。友好都市締結は4月なので、まさに期せずして一致しているが、無理に合わせたわけではない。78年の日中平和友好条約以来全国的に友好の高まりがあり、岡山での運動を加速させたことは事実だろう。ただ、岡山は内山完造や岡崎嘉平太など全国レベルの友好人士がいたことで友好運動の基礎が豊富に存在していたことも幸いしている。

 山陽新聞の取材を受けているうちに、21世紀のタイムカプセルを思い出した。86年の日中青年キャンプを北房町で開催したとき、留学生を交えて参加者がそれぞれの友好への思いを書いてカプセルに入れ、当時の新聞とともに埋めた。2001年に開こうと約束して散会したのだ。あのときの参加者は今どうしているだろう。青い時代の思い出はそのまま協会初期の歴史と重なる。名簿を頼りに「集合!」をかけよう。(松)


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