2001年5月
平成13年5月
  145号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
岡山市・洛陽市友好都市締結20周年記念
岡山市民訪中団 大きな成果をあげて無事帰国
 萩原誠司岡山市長を団長とする岡山市洛陽市友好都市締結20周年記念岡山市民訪中団一行141名が、4月17日から21日の5日間洛陽と北京を訪問した。

 岡山空港からチャーター便で直接洛陽空港に到着した一行は洛陽空港で王常務副市長ら洛陽市人民政府関係者多数の出迎えを受け、獅子舞や太鼓踊りなどの熱烈歓迎を受けた。

 宿泊先の洛陽牡丹大酒店では、劉典立市長がロビーで一人一人と握手して一行を出迎えた後、早速全員参加による市長会見がはじまった。劉市長は『20年を回顧し、この間の交流に尽くした政府指導者や友好人士らに敬意を表し、人間で言えば大人への仲間入りになったことを意味するこの友好の絆を更に強めていこう』と力強く挨拶した。団長の萩原市長は『141名の岡山市民が洛陽の人々とふれあうことによって、今後の友好の基礎としたい』と答礼の挨拶をした。当日の夜開かれた歓迎宴では、50人ほどの洛陽市民と一緒に洛陽料理を楽しみながら、和やかに歓談した後、河南省主催の『洛陽牡丹花会』に特別招待を受け、国レベルの華やかな歌や踊りを満喫した。

 一行は、翌朝牡丹の花満開の国色牡丹公園を参観したあと、昨年世界文化遺産に登録されたばかりの龍門石窟をはじめ関林廟、白馬寺などの名所旧跡を見学した。

 洛陽から北京へ移動する19日には『20周年祝賀行事』に参加し、両市の書道家による特別揮毫や踊りや歌を披露し交流を深め、別れを惜しんだ。訪中団はこの後北京の観光を経て、21日北京から岡山への直行チャーター便で帰国した。

 今回の訪問団は、萩原市長体制になって、初めての大型訪中団であり、アジアとの交流を活発に展開している岡山市にとっても、市民同士の友好促進を願う当協会にとっても大きな役割を果たしたに違いない。

片岡会長より劉典立市長に火災見舞金を贈呈
 岡山市民訪中団の副団長として洛陽を訪問した片岡会長は、昨年12月洛陽で起きたビル大火災の犠牲者へのお見舞金として20万円を持参し、訪問団の市長会見後、直接劉市長に手渡した。

 劉市長は『事故発生後一番に安否の問い合わせをしてくださったことを知っています。会員が中心となって早速寄付金を集めていただいたことに深く感謝します』と会長に話し『岡山市民の洛陽市人民に対する友情を忘れません。現在原因究明と復旧作業にあたっています。会員の方々によろしくお伝えください』と感謝の言葉を述べた。協会は昨年の火災発生後緊急支援体制を設置し、情報の収集に努めるとともに、お見舞金を会員に訴え、総額20万円が集まった。

15年ぶりの洛陽―多くの”老朋友”に会って興奮            協会会員 家野 四郎
 この度の洛陽は実は3度目だったが、まずその変わりようのはげしいのに驚いた。

 初めて行った1985年、大阪空港から唯一人で日航機で先ず上海へ、そして夕刻寝台車に乗り約18時間、午後3時ごろ洛陽駅に着いた時でさえ、60年前長崎から27時間かけて上海港へ上陸したことを思えば今昔の感に堪えない感慨を覚えたのだからこれが時の移り変わりというものだろう。

 岡山空港での出発式で見送られて、一飛び僅か3時間余りの飛行で、もう2,000キロ真西へ着くとは全くたまげるばかりの速さである。

 わたしとしては初めての洛陽空港へ降り立った時、勇壮な獅子踊りと共に、にこやかに出迎えてくれた15年来の"老朋友"2人と握手をかわしてから、わたしの胸は興奮の極、足が地に着いていなかった。そして公安局の先導車に従って80キロ以上の猛スピードでぶっ飛ばし30分で見慣れた中心街へ入ってしまったのにまたびっくり。

 とにかく、昔1年5ヶ月住んでいたところに、たった2泊しかしないのだから、何処と何処が見られるだろうかと考えていたが、竜門石窟へ行くにも白馬寺へ行くにも道路は全て以前の3倍位に広くなり完全舗装。まるでよその国へ行ったように様変わりしていた。

 しかし祝賀式場へ並んだ洛陽側の来賓をはじめ主だった人たちのなかには、いわゆる"老朋友"がずらり。覚えきれぬ程の人々と挨拶し、握手を交わし、ああ来てよかったと感ずることしきり。

 岡山側の人たちの宴会での盛り上がりを見ても民間外交の実は多いに上がっていたといっていいし、25周年にもまた来なければならないとしみじみ思った。

 洛陽時代にこんなことがあった。

 わたしは二十歳前に上海に渡り、青春時代の数年を過ごしたこともあって、勝手に上海を第二の故郷と決めた。しかし洛陽で暮らしていると、次第に好きになってきて、洛陽を第二の故郷に格上げしたい。上海は第三に格下げだというと、みんな手を叩いて喜んでくれた。

 その後上海へ行く機会の方が多くて、また順位が入れかわりそうになっていたが、今度の2日間でまた考え直すべきかどうか、悩みの種がひとつ増えてしまった。

 それにしてもわたしにとっては、非常に得るところの多い5日間だった。

 最後に北京での話の種をひとつ。

 長城(八達嶺)への途中の昼食専門の食堂の中華風「幕の内」弁当だが、日本人観光客のために最近出来たそうでこれも北京の新名物といっていいだろう。お目にかけたいと思ってカメラに収めた。

台湾訪問記(2)                                 協会理事 岡本 拓雄
科学産業展示室
 先端技術の粋を集めた科学産業展示室の入口は、指紋弁識方式になっていて、指紋を登録している職員でなければドアが開けられない。

 内に入ると壁一面に科学技術歴史年表と産業年表が掲示されていて現在の進んだ科学技術が、どのような課程を経て発展してきたかがよく理解できるように工夫してある。そして、現在の科学技術の成果が、壁の前の台上にならべられている。

 各種パソコン・テレビ・テレビ電話・完整半導体成品・ロボット・冷光発光体・レーザー彫刻・携帯電話・光ファイバーケーブル・光プリンタ・モデムなどのほか、バイオテクノロジーの医薬品や食料品が展示されている。

 午前中、400人の中学生が参観に訪れたということだったが、青少年にとっては、科学する心を大いに刺激される場所である。ここの参観を契機に科学技術方面に進路をとる子どもも出るのではないかと思われた。外国からの参観者も多く、そのうちの3割を日本人が占めているそうだ。

科学工業園区
 科学生活館参観のあと、車で既定路線に沿って科学工業園区を見学して廻った。手続きをすれば特殊工場の見学もできるとのことだったが、予約をしていなかったので車窓からの眺めとなったのは残念だった。

 この新竹科学工業園区は、工業区と、住宅区と、レジャー区の3つのエリアからなっている独立型の地区社会で、広さは605ha、人口は6万人、新竹市の中心部まで6キロ、台北まで70キロ、台中まで80キロで、中山高速道路が貫いていて、交通至便の地に位置している。

 工業区には、スタンダード工場やメーカー独自が建設した工場のほか、銀行、病院、郵便局、運輸関連施設などを、住宅区には、マンションに加えて、快適な生活空間を提供するアスレチック施設、レストラン、書店、静心湖、活動センターなどを完備している。兵役を終えた若者が住宅地の警備にあたっているので治安が良く、この住宅区に居住を希望する市民が多いそうだ。

 新竹科学園区は、1980年の設立段階から環境を重視し、管理局周囲は木を植え、静心湖、中国式花園、有名彫刻家の作品を配置して美しい景観を備えた公園となっている。また、管理局は、汚水処理場も完備しており、汚水を浄化処理した後、再度自動噴水システムに利用している。

 終日、雨のため、車から降りて、美しい花園でゆっくり休む暇が無かったのは心残りだった。台湾のシリコンバレー(●(いしへんに夕)谷)を2時間にわたって案内してくれた呉孟曼さんと熱い握手をして新竹市にさようならをした。

漢文鑑賞 帰去来辞   陶淵明 
帰去来兮 田園将蕪胡不帰

既自持心為形役 奚惆悵而獨悲

悟已往之不諌 知来者之可追

實迷途其未遠 覚今是而昨非

舟遙遙以軽颶 風飄飄而吹衣

問征夫以前路恨晨光之憙微
帰りなんいざ 田園まさに()れなんとす (なん)ぞ帰らざる
(すで)に自らの心を以て(からだ)(しもべ)となす (なん)惆悵(ちゅうちょう)として(ひと)り悲しむ
已往(いおう)(いさ)むまじきを(さと)り 来者(らいしゃ)の追うべきを知る
(まこと)(みち)に迷うことそれ未だ遠からず 今の是にして昨の非を(さと)
舟は遙遙(ようよう)として以て軽く(あが)り 風は飄飄(ひょうひょう)として(ころも)を吹く
征夫(せいふ)に問うに前路を以てし 晨光(しんこう)憙微(きび)なるを(うら)
[解説]
 さあ、帰ろう、故郷の田園が今にも荒廃しようとしているのに、なんで帰らずにいられようか。もとめて自ら理想を体制に迎合させてしまい、なにを独りくよくよ悲しむのか。過ぎ去った事は、今更悔やんでもしかたがないではないか。人生の航路を迷ってしまったが、それほど遠くに来てはいない。今この決意がまことで、今までの暮らしが間違っていたのだ。船はゆらゆらとわずかに上下する。風は衣を巻き上げる。船頭に前方を尋ねるが、朝まだ早くほの暗いのが残念だ。

[陶淵明]
 中国東晋時代の詩人。(365年-427年)。淵明は陶潜の字。現在の江西省●(さんずいに尋)陽の生まれ。若い頃から博学で文学に志があったが、親が老い、家が貧しかったので、生計のために地方の小役人となったものの、まもなく辞職して郷里に帰った。その後、軍隊の幕僚となり、さらに彭沢の県令になったが、これも在職80日ばかりで郷里にもどり、みずから耕作にはげんで田園生活を楽しんだ。大の愛酒家として、また菊を愛する詩人として知られ、詩酒の境地を理解することにかけては古来第一の詩人と言われている。

 「帰去来辞」は、かたぐるしい役所のしきたりをきらって辞任し、在職わずか80日ばかりで郷里に帰った時の気持ちをつづったものである。

 この文は、自然を楽しんで富貴を願わず、わが意にかなった田園生活のうちに天命をまっとうしようとする心境を述べている。「帰去来辞」に表現された思想は、古来、文人墨客の思想と考えられ、画題として描かれたものが、非常に多い。

ちょっとチャット(4) 常に新しい物を求め続ける意欲           協会理事 片岡 琢之 
 最も尊敬し、また親族でもある、今は亡き人間国宝、大野昭和斎先生のお宅へ、私はよくお伺いしておりました。故大野先生は特別の師匠もなく自分で技を磨き、創作した作品により、人間国宝、重要無形文化財保持者として指定を受けられました。その作品である工芸品や書にふれ、木工芸は箱に始まり箱に終わる。芸術の基本は線と空間など、先生のお仕事や芸術に対するお話を拝聴する機会もたびたびありました。

 先生にはその内に秘めたる作品づくりへの情熱とすばらしい感性、また新しいものを求め続けておられる創作意欲が常に感じられ、私もこのことが以前勤務していました専門学校の校務運営に創造面で大きなプラスとなりました。また、先生とのいろいろなお話の中から、教育内容の質的変化の必要性に気づきました。外部環境の変化に合わせ、いかに適切に教育内容の質を変えていくことができるかという視点が大変重要であること――つまり、社会構成、商業構造の変化、高年齢化、情報化、国際化等々を充分見極め、あらかじめその準備に取り組み、適切な時期にすばやく実行に移す、ということです。その結果として、5年計画「人に優しい人材の育成を目指して」をスタートさせ、物の豊かさ故に失われつつある心の豊かさを、今こそ取り戻さなければならないと考えたからです。そして教職員、在校生、および卒業生がボランティア活動を通じて社会的貢献するようになるための指導、教育だけでなく、社会福祉コースの新設など、学科そのものの性質が人に優しい人材育成に合致する、新しい学科づくりに力を入れました。

 そして心の教育に重点を置きました。人の考え方、感じ方、思い方を大切にする時代、また大切にしなくてはならない時代。不登校やいじめの急増、多発する少年事件などに対応するために、心の教育推進チームを結成し、学生及び教職員が一丸となって、心の教育実践を積極的に推進して参りました。全国でもトップレベルの合格実績となっています。今静かに振り返るとき、今日の繁栄は教育で最も重視すべき使命感に燃える教職員の情熱ある指導と学生のヤル気、頑張りが合致した信頼関係にあると思われます。

 今は専門学校を退職していますが、いつまでも情熱と新しいものを求め続ける意欲を持ち続けたい。

活動日誌
4/10 中国三誌友の会。第99回例会。人民中国雑誌社東京支局長・張哲氏歓迎交流会を挙行。
4/17 岡山市民友好訪中21日まで。
5/11

中国三誌友の会。第100回記念、会員親睦旅行(中国文明展参観、広島県立美術館)

会員消息
【入会】
岡山市丸の内・依田忠雄さん(医師)
【転勤】
片山主計理事が県立生涯学習センターへ

中国関連消息
沈社長歓迎会
 人民中国雑誌社の沈社長の一行が、6月14日に来岡されるので、岡山中国三誌友の会第101回の定例会を兼ねて翌15日に歓迎交流会を開く。

中国文明展
 かつて黄河流域とされた中国文明の起源は、近年の研究で各地で多元的に発生したことが明らかになった。中国文明は一つと思われがちだが、実はいろいろな顔を持つ複合体である。悠久の歴史をたどる「中国文明展」が6月17日まで、広島市の県立美術館で開かれている。

 三星堆のユニークな青銅器、曾侯乙墓の貴重な玉類、兵馬俑、馬王堆漢墓の漆器等。世界初公開の唐代壁画は酷似した高松塚古墳壁画のレプリカも合わせて展示し、日本との交流を証明してみせる。料金は大人1,200円。【前売りと20人以上団体900円】

先憂後楽
 「ポルノか新人類文学か?」というショッキングな帯が人目を引く『上海ベイビー』という本が売れている。内容はヒロインと外国人男性との奔放な性愛や「新人類」の一見自堕落な風俗を描いており、中国でもベストセラーとなったが、性描写の多さとドラッグを扱っているという理由で発禁処分となった、いわくつきの小説。

 作家の衛慧は27歳の女性でこの作品は彼女の私小説との解説もある。彼女がこのほど来日し、私は政治には関心がないと断言していたのが印象的だった。

 中国は変わったな、などと今更感心するつもりはないが、改革開放政策は人々の考えをも確実に開放していることを実感した。離婚率が高まっているのも共稼ぎで経済的に独立しているからだけが原因ではなく、価値観が大きく変化している結果だろう。

 小泉首相にならってあらゆる既成概念をもう一度洗いなおして、我々も中国と中国人に対する意識改革をしなくてはいけないのかもしれない。ただ、故谷口澄夫先生の持論だった「不易流行」つまり、変わるべきものと変えてはいけないものを見極める能力は必要だろう。(松)


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