2002年10月
平成14年10月
  157号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
日中国交正常化30周年 夏休み 小さな子供たちの大きな交流
 学校や地域で中国の子供たちと交流を続ける日本の子供たちが、夏休みに中国を訪問し、交流を深めた。

早島小学校と上海威海路第三小学校
 早島小学校は平成8年より中国との交流に積極的に取り組み、平成9年以降上海市のまん中静安区にある威海路第三小学と交流を始め、作品の交換やメールのやりとり、相互訪問などを続けている。昨年は威海路小学校の教師・児童が早島を訪問し、友好校の締結をした。

 今年、7月30日から8月2日までの4日間、早島小学校の児童19名とPTA代表・引率教諭5名が上海を訪問し、威海路小学校で交流を深めた。岡山空港を離陸し上海浦東空港へ到着すると、威海路小学校の黄校長ほか教師・児童らの熱烈歓迎を受けた。

 翌日、威海路小学校を訪問した一行は、交歓会に臨み、練習したリコーダーの演奏や歌を披露した。中でも中国の歌「茉莉花」を中国語で歌い大きな暖かい拍手を受けていた。交流会の後、それぞれ仲良くなった中国の子供と一緒に音楽・書道・図工・パソコンなどやスポーツを楽しみ、学校で一緒に中国の給食をとった。午後からは一泊だけのホームステイへ。各家庭では、一緒に餃子を作ったり、一緒に市内を観光したりと、言葉の壁を越えて日中双方忘れがたい1日を過ごした。翌日、青少年活動センターという子供たちのためのコミュニティの場で一緒に遊んでいる時には、日本・中国の子供の区別がつかないほど打ち解けていた。

 4日間の短い日程を終え、来年の早島での再会を約束して上海を後にした。

阿波小学校と西安戸県南関小学校
 苫田郡阿波村は、1998年より小学生から国際的感覚を養い、広い視野を持たせるため「小学生海外体験学習」事業を展開し、中国各地を訪問して子供たちと交流をしている。今までに内蒙古・包頭、江西省南昌市、北京の学校訪問を行った。

 阿波小学校は全校生徒40名足らず。その全6年生4名と小椋康寛教育長ほか引率教諭、PTA代表の一行9名で、中国の古都・西安を訪問。阿波の子供たちはこの日のために、中国についていろいろ調べたり、中国語を勉強してきた。中国でも4人で力を合わせ、ものおじしないで積極的に中国の人たちに話しかける姿が印象的だった。西安市の東郊外、戸県まで延々続くとうもろこそ畑を1時間ほど車で走って交流先の南関小学校に到着。南関小学校は全校生徒1,000名で、中国では普通の規模の学校だが、海外の訪問団を迎えるのは初めて。限られた交流の時間の中で、阿波小の子供たちは中国語であいさつをしたり、ケン玉を披露してそれをプレゼントをしたり、卓球の試合などを楽しんだ。昼食は阿波小の子供たちだけ2名ずつ家庭を訪問し、家庭料理をごちそうになった。食べきれないほどのごちそうを食べながら、身振り手振り、筆談で話しかけ、また日本のお菓子を持参して味わってもらった。訪問先の家庭も初めての日本の子供たちの来訪に精一杯のおもてなしと、笑顔で応えた。限られた時間の中で、たくさんの交流をした子供たちは名残惜しそうに、自分達の名札を渡して「忘れないで」と握手して別れた。その他、世界遺産・兵馬俑や大雁塔などの歴史にふれ、小学生最後の有意義な夏休みを過ごした。

綾南小学校と洛陽申窪村希望小学校
 岡山市と友好都市である洛陽市西郊外にある貧困地区・申窪村の子供たちのために小学校を建設しようと、当協会が中心となって活動を始めたのが4年前。その活動に賛同し、学区を上げて協力くださったのが綾南小学校と学区のみなさん。1998年に希望小学校が完成した際にも、またその後も学用品を送ったり、相互訪問を重ねて、学校のみならず学区住民との交流をも深めているユニークな例。

 今年、学区の住民や綾南小の教諭に加え、小学生代表・三上大介君(12才)が申窪村を訪問。前日、上海から鄭州経由で夜12時を過ぎて到着した疲れもものともせず、1時間ほど車で走ると、丁度道路工事をしている途中の道を通り、申窪村へ。以前は、大型バスが途中までしか入れず、途中から学校まで歩いたそうだ。青々としたとうもろこしや粟の畑の中にぽつんと希望小がある。校門では村民が太鼓を叩いて、子供たちが並んで熱烈歓迎。洛陽テレビも取材に訪れていた。

 学校関係者とそれ以上多くの村民が訪問団を取り囲む中歓迎式が行われ、席上では、学区・学校が日本から持参した学用品・スポーツ品・おもちゃ・お菓子などたくさんのプレゼントと、音響機器が贈呈された。児童代表として三上君があいさつし、また得意の縄跳びを披露した。交歓会では、訪中団が河南省の民謡「編花籠(花かごをあもう)」を中国語で歌い、またハッピ持参で「炭坑節」を踊り、最後には村のおばちゃんやおじいちゃんも輪に加わり楽しく交流した。

 机と黒板以外には何も無い殺風景な教室、きれいなトイレもないが、はるか日本からの善意で建てられた学校を子供たちが大切にしている様子が、懸命に学ぶ姿がほほえましかった。歓迎会で出された近くで取れたゆでたとうもろこしのお土産と、多くの村民の見送りを受けて、短時間だが内容の濃い交流を終えた。(記事と写真・西上普美)

洛陽外国語学校と交流会<はじめての中国>                     家野 淳子
 わが家は、時々中国になります。岡山に来ている中国の人達がいたるところから自転車で集まり、洛陽に何度も行っている父と妹は中国語を交わしながらその中になじんでおり、私のほうがむしろ客のようなありさまで、手作りの餃子をごちそうになっています。

 本場の中国をいながらにして味わえる私は、今まで行く機会のなかった中国に、やっと今年の夏初めて、修学旅行の引率として行ってきました。聞きしに勝るとはまさにこのこと。まずは上海空港から、中国国内線の靴まで脱がされる検査に驚きつつ西安空港へ。華清池、兵馬俑坑、大雁塔、西門城壁、黄河をめぐり、龍門石窟、関林廟、姉妹校である班別市内自主研修、交流会(もちろん餃子作りも)、人民政府歓迎夕食会、さらに白馬寺、少林寺とまわって、鄭州、上海経由で帰って来ました。

 岡山後楽館高校2度目の修学旅行は、先達たちにトイレのショックも食事の話もよく聞いての訪問で、生の食材が所狭しと並んでいる自由市場などおそるおそるのところもありましたが、現地のガイドの方にも助けられ、充分に中国を満喫した旅でした。私個人的には、できれば今年のは下見ということにしてもらって、来年もぜひ行きたいと願っている今日このごろです。

協会の誇り 田口光代さんが信陽栄誉区民賞を受ける
 9月30日、河南省信陽市シ河区人民政府において、『栄誉区民授与式』が開催された。

 この授与式には、信陽市シ河区側からは曽昭宝党書記をはじめ趙興華区長ら区政府指導者ら10人と岡山からの訪中団「岡山信陽友好訪問団」一行13名(顧問―片岡和男協会長、団長―田口光代)が参加して、厳粛に行われた。

 式では、趙区長が受与理由を含めた挨拶をし、研修生として岡山に滞在したこともある柴明貴副区長が区人民政府の決定通知書を読み上げ、栄誉区民賞と記念のネックレス(鍵)が贈呈された。

 このたびの受賞は、新見市と信陽市(現在は行政改革によりシ河区になっている)の友好都市締結10周年に際し、田口光代さんが永年にわたり、友好都市実現と促進に対して貢献したこと、そして約300万円の教育基金を含めて一貫した教育支援に対する功労が認められたものである。

 信陽市との交流は故田口克巳氏(光代氏の夫)が第二次世界大戦中に敵国にもかかわらず命を助けてくれた青年へのご恩返しと日中平和友好への限りない願いがベースにあり、1984年にはじめて新見市市民訪中団が訪問したことから始まった。新見市との友好都市は1992年に実現したが、この間7回に及ぶ訪問、300万円の教育基金創設、中学校への図書館建設費寄贈、教育機器の寄贈等、第三小学校、第十三小学校、第一中学校(現在は第三中学校と改称)を衷心に教育支援を継続してきた。

 田口さんは今年87歳の高齢で、しかも1週間前に右肩骨折というアクシデントにもかかわらず、車椅子に乗り、信陽訪問を果たした。

 これまで岡山県内で受賞している栄誉賞は上海市栄誉市民の江草安彦氏、洛陽市栄誉市民の安宅敬祐氏等が受賞しているが女性としては初めて。(協会調べ)

 今回の受賞は田口さん個人としての名誉であると同時に、協会としても誇りとすべき慶事である。(記事と写真・松井三平)

大連アジア児童文学大会に参加して
 "第6回アジア児童文学大会"に参加するため、8月下旬に大連へ飛んだ。日本からの40数名の一人としてだがその中の最高年齢だった。

 主力は無論中国だが、ベトナム、マレーシア等からもあり、総勢180人を超える大会だ。5泊6日ホテルへ住み込んでの討論。観光は世界和平公園(1998年建設)や旅順の二〇三高地へもデラックスな観光バス3台を連ねて訪れた。

 二○三高地は数年前まで未開放で外国人は立ち入り禁止だったが、今は日本人観光客をどんどん受け入れ、有力な観光資源になっているようだ。麓には「かご」が十数台待っており、しきりに声をかける。

 攻防戦にロシア軍5,000人、日本軍10,000人の死傷者を出したという有名な古戦場だ。犠牲者に申し訳ないと、歩いて登ったが、なかなか疲れた。乃木希典将軍が建てたと言う忠霊塔が「日本軍侵略の罪証と恥辱」を記念するために敢えて残してあるのだ。

 "乃木保典戦死の場所"という標示もわざわざ日本人のためにまた建てたらしい。

 大連の路面電車は、北京、上海が廃止された現在、日本の統治時代のままの電車が懐かしさを止めているが、今やヨーロッパ型、中国製の新車にとって代わられつつある。

 普通の観光客は乗る機会はあまりないが、わたしは以前からよく利用するので今度も乗ってみた。

 なんとワンマンカーになっており、乗客が自分で料金箱へ1元を投げ込むのだ。運転手はそれを見ているだけ。因みに運転手はすべて女性。

 奥のほうへ入って吊り革を持った途端にすぐ前の若い女性がすっと立って席を譲ってくれた。日本ではちょっと考えられぬことだ。

 早速大連在住の人に話したら、最近生活にゆとりが出てきた現われではないかとのことだった。(協会理事 家野四郎)

中国雲南省小学校親善交流
 平成14年8月25日から6日間、岡山後楽ライオンズクラブのメンバーと岡山市立岡山中央小学校の児童・教師合わせて14名は、中国雲南省余楽小学校を訪問し、教育・文化交流をしました。1997年の大地震で倒壊した余楽小学校再建のお手伝いをしたのが縁で今回が3度目の訪問となりました。日中国交正常化30周年の今年、日本の小学生に親善大使になってもらいました。交歓会が始まると両小学校の子供達はみぶり、手ぶりで、言葉は通じなくともすぐ友達になりました。日本の児童はリコーダーを使って「そうらん節」など3曲を演奏し、村人の大喝采を受けました。余楽の児童は歌と踊りで歓迎してくれました。最後に納西族の美女が我々全員をうまく誘って踊りの輪に入れ、楽しい時を過ごさせてくれました。心に残るのは、余楽村の人々が村を挙げて、心の底から歓迎してくれたこと、どちらの小学校の子供達もとてもいい笑顔で交流していたことです。(清水内科医院理事長 清水直樹)

新刊紹介 『南京戦―元兵士102人の証言』(社会評論社)
 やっと60数年前の歴史の重い扉が、鈍いきしみの音とともに開かれた。人間の<負>の記憶の扉はまことに重い。人間に本来備わった精神防衛機能なのかもしれません。とりわけ遠い過去の自分自身の非人間的・犯罪的行為の記憶については、戦争だからと、その記憶の中で正当化し、自ら重い鍵をかけてしまう。自分にとって心底辛い、にがい<負>の記憶は、無意識に記憶の"表層"から消す事ができるのでしょうか。

 私は戦後世代で、父親などから戦争体験をよく聴かされることがありました。兵役でどんなに苦労したかとか、空襲がどんなに大変だったかとかの苦労話はよく聴きました。しかし戦争は本来殺し合いするはずで、戦地で何人をどうやって殺したかといった話は、一度も聴いたことがありませんでした。語りたくなかったのでしょう。

 こうした意味でこの『南京戦』という本は凄い迫力を持っています。見方を変えれば人間の本質にかかわる重い重い証言の一書と思います。近年いわゆる東大の藤岡某・漫画家小林某などの自由主義史観の方々が、南京虐殺は無い、慰安婦はいない。実際に実行した人間の証言が有ったら出してみろと豪語広言されていましたが、ついに、その証言が出てしまいました。

 この102名の元兵士の生々しい証言は、皆80才を過ぎた高齢な方ばかりで、しかも60数年も昔の事にもかかわらず、非常に具体的かつ鮮明で驚いてしまいました。更には同じ部隊の複数の証言をならべて読んでみると、時間と場所が立体的に見事に符合し、あの12月13日前後の様子を我々に実感を持って描き出してくれています。これはもう一級の歴史資料です。なかに同じ部隊の証言で食い違う証言をする人もいます。しかしその食い違いを比べてみると、どちらが正しい記憶なのか明瞭に分かります。むしろ必死に忘れようとしてきた一方の老人の戦後の長い時間がかえって哀れとも思えてきます。忘れようとして忘れられない、にがい60数年前の重い記憶の扉を、迷いながら苦しみながら語るこの元兵士の老人たちの勇気証言を私は襟を正して読み進みました。しかしながら現実には、今なお多くの元兵隊たちは、かたくなに口を閉ざし、また無い、無いとヒステリックに過去を否定し、沈黙し、自らの体験を語り伝えることなく死んで行くのです。加害の歴史をうすめ、ごまかし、抹殺し、美化する輩が徘徊する日本は世界から信頼されない国となるでしょう。なぜあんな事が出来たのかと、過去の罪過の歴史と誠実に向き合う事は、これからの日本人の生き方に関わる問題でもあります。そして中国の真の友人となるための大前提です。

 私はこの本を読み終えて、人間の狂気と獣性を沸き立たせる戦争に言い知れぬ嫌悪が走りました。またいとも簡単に個を押し潰してしまう国家主義に怒りをおぼえました。そして今、自分自身が何をなさなければならないか深く考え込んでしまいました。

 この本は決して過去の戦争物語ではなく、戦争の本質に迫り、同時多発テロ後の現代世界が抱えている問題にも問いかけています。それは証言の多くに登場する、「戦友が戦死すると"復讐心"が出て、中国人にむごいことができるんじゃ」といった証言に代表される、人間の心奥に潜むエゴイズムをいかにして乗り越えるか、ユネスコ憲章にある「心に平和の砦を築かなければならない」との理想をいかに実現するかを我々日本人の魂に突き付けています。

 南京を訪問された方が、必ず行かれる長江大橋の展望台、その揚子江向かって左手獅子山の先が、あの〔下関〕なのです。二度とこの街の惨劇は繰り返してはならない。私は南京を訪れるたびにこう思うのです。本書は協会事務所に置いておきますので、是非お読みになることをお勧めします。(協会理事 洞富美男)

「生きがい療法」で癌に勝つ―中国の気功も取り入れて―
 私は8月に、一人の姉を進行性膵臓ガンで亡くした。ガンの告知を受けても、気が動転した様子も無く、至極落ち着いていたし、手術についても、80才を越えた高齢での手術は例が少ないと言われると、医療の研究の為には一例でも多い方が良いでしょうと積極的に手術を受けた。身内の者は口裏を合わせて、手術は成功したと告げた。その言葉を信じて希望を持ってリハビリに励んだ結果、退院することができた。

 しばらくして体調を崩し、再入院した。検査の後、ガンが肝臓に転移していることを知らされた姉は、今までとは打って変わり意気消沈してしまった。ベッドから起き上がる気力もなく、日に日に衰弱していった。伊丹先生の『生きがい療法』をしていたら、最後まで、もっと前向きに生きられたのではないかと、今更ながら後悔している。

 私が『生きがい療法』を知ったのは、今から16年前の1984年4月、岡山衛生会館で開かれた『生きがい療法実践会』の発足総会に参加してからである。

 当時私は岡山新医療研究会で「自分の健康は自分で管理しよう」という学習をしていたので、伊丹先生の「死に直面する重大な病気におかされた患者が自らの病状を正しく知り、"自分が自分の主治医である"という自立自助の精神で積極的に闘病生活を送ることは、どのような高度の医療テクノロジーにも劣らない治療効果を持つ。ガン患者自身の<自立>をあらゆる面から支えてゆく総合的ガン医療へのニーズは、非常に大きいものがあると思い『生きがい療法』を提起する。」という趣旨にすぐ共鳴した。

 伊丹先生は、特別の人生体験や高度な知識教養・深い信仰など無くても、ごく普通の人々が『生きがい療法』の学習訓練ステップを経ることによって、ガンと直面しながら、人間として成長し、一日一日を個性的に充実して生きてゆくことができると語っている。(協会理事 岡本 拓雄)

ちょっとチャット(15) 中国語学習雑感                   協会会員 小六 宗平
 外孫が1995年春大学に入学したのに触発されて、私のような老人でも桃を作りながら何か勉強しなくてはと思いました。そこで近くの一宮公民館で陳紅麗老師の中国語講座に参加し七十の手習いで中国語の勉強を始めました。その後国際交流センターに移り郭艶萍老師、劉建雲老師、張忠任老師に学びました。次に広瀬町の旭公民館で金丈峰老師に教わり、以上5名の中国人留学生の方に中国語を習いました。現在は自宅でNHKラジオ中国語講座と中国中央電視台(CCTV)のテレビを視聴しています。

 中国語講座のなかでとくに印象に残っている授業の一つは張忠任老師の魯迅の短編「故郷」があります。以前に竹内好訳での講義を聞いてみて、日本語訳の文章とは異なる中国語独特の雰囲気に引き込まれて、作者の気持ちをじかに強く感じることができました。

 ところで私の中国語の力はいつまでも初級の段階で、とくに聞き取りの力不足を痛感しています。今までの経験から中国語の力をつけるには次のような方法が良いと思いますがいかがでしょうか。

 ①聞き取りの力をつけるため中国語を聞く機会をできるだけ多くもつこと。(例)NHKラジオ、テレビの中国語講座、中国中央電視台テレビ(かつてNHKテレビ中国語会話のゲストをしていた朱迅さんが「学漢語」の番組に出ています。)など。

 ②語彙(ごい・単語)を増やすために中国語の文章を読む機会をもつこと。(例)テキスト、新聞、雑誌など。

 聞き取りの力と語彙の豊富さとは車の両輪のようなもので、相互作用もしくは相乗作用があり語学学習の力をつけてくれるものと思います。

活動日誌
8/2 早島小学校訪中
8/18 綾南小学校訪中
8/20 友好の翼訪中。参加者117名
9/12 中国三誌友の会、第112回例会
9/24 万里の長城ウォーク
9/29

田口会員、シ河区名誉区民授賞式に参列、片岡会長同席

会員消息
【お悔み】
岡本茂子さん(岡山市兼基))

中国関連消息 
日中友好茶館
日時 11月30日(土)10:00-17:00
場所 岡山済生会ライフケアセンター(国体町)
内容 ①煎茶お手前  ②中国茶表演  ③その他
お茶券

500円(当日受付)

公開講演会 「抗ガン革命―中国のガン生還者3名を迎えて―」
 「歩く気功」など自己鍛錬で進行ガンを克服した3名を、中国から招待して話を聞く。日本のガン医療への大いなる問題提起となるでしょう。
日時 11月15日(金) 13時開演
会場 岡山県国際交流センター(奉還町)
内容 講演①ガンの多角的 基本療法(伊丹仁朗)
講演②ガン克服体験談(中国人3人)
実演 歩く気功
受講料 1,000円
主催 郭林新気功協会
後援 岡山市日中友好協会

先憂後楽
 先月「三峡下りの旅」と「万里の長城ウオーク」に添乗した。ラストオプ三峡と銘打って今年は三峡ラッシュが続いた。来年の6月には水位が170mになり、鬼城などが島になり、白帝城が近くなるなど景観が大きく変わる。地元観光局は変化した三峡をもう一度とセールスに暇がない。

 武漢滞在が2日あったので岳陽に足をのばそうという日程を組んだのが甘かった。建設中の道は大変な悪路で往復12時間かかり、現地滞在はわずか1時間。参加者の方々にご迷惑をかけた。それでも岳陽楼に登った時は、洞庭湖の眺めと本題にもなっている先憂後楽で有名な岳陽楼記の原書を見ることができ、感激した。

 長城ウオークは観光用の八達嶺ではなく、北京市内から北東120キロほどになる金山嶺長城から司馬台長城までの約9キロを歩こうというもの。OSKスポーツクラブ創業30周年記念事業の企画で平均年齢60歳くらいの人達55名が参加された。

 高齢者と侮るなかれ、上り下りの急勾配や崩れた階段など想像以上に険しい道のりをほぼ全員が走破。日ごろ運動に縁がない添乗員が筋肉痛と関節炎に悩まされるという事態になった。

 中国の旅はバラエディに富んでいるがこれからは、健康とエコツアーを兼ねた企画が広がっていくに違いないと実感した。(松)


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