2004年12月
平成16年12月
  170号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
新春を迎えまして                               協会会長 片岡 和男
河南省訪問  岡山市日中友好協会会員の皆様、ご支援・ご協力いただいている皆様には新年をお迎えになり、おめでとうございます。昨年をふり返りますと、①NPO法人化記念日中友好公開文化講座は11月に7回目を行い、各回とも有意義な内容でありました。②7月27日河南省雑技団の岡山公演は好評裡に終わりました。③岡山中国三誌友の会は益々充実した内容の活動が、小路理事さんの企画・指導により、12月9日に135回を迎えました。
河南省人民対外友好協会を表敬訪問

 10月30日からの訪中では④10月31日には、河南省人民対外友好協会を表敬訪問し、雑技団岡山公演のお礼を述べ、今後の友好交流を話し合いました。⑤11月1日には、洛陽市孟津県小浪底鎮への「岡山―洛陽友誼林」の植樹を、地元の人たちとともに行いました。今年は桃の接木植樹を加える予定で、多くの方々のご参加をお待ちしております。⑥同日夕方には洛陽市人民対外友好協会主催のレセプションがあり、劉典立会長と岡山市と洛陽市との交流の展望、民間交流の増進などについて、話し合いました。

 ⑦11月2日は龍門石窟、白馬寺などのほか、新しく発掘された洛陽周王城博物館を見学しました。⑧11月3日は北宋の都、開封を訪れ菊まつりに目を楽しませました。その後、⑨11月30日には、白馬寺の釈印楽監院を団長とする洛陽仏教訪問団が来岡され、歓迎会を行いました。⑩同訪問団に同行して、洛陽科技大学附属病院の看護士さん2人が来ました。岡山市日中友好協会が招いたものであり、岡山市長の承認のもと、岡山市国際交流協議会のご援助を頂いたものであります。1年間、岡山済生会総合病院およびライフケアセンターにおいて研修いたします。成果を期待しておりますのでご協力をお願いいたします。

 今年も、引き続いて色々の事業展開を進めてゆきたいと思いますが、どうか皆様方のご意見、アイディアをお寄せいただき、ご指導を賜りたいと存じております。

 皆様方の今年のご健康とご多幸をお祈りいたしまして、新年のご挨拶といたします。

協会の歴史的偉業始まる! 「洛陽・岡山友誼林」(目標2万本) 建設第一陣訪中
                               ヒマラヤ杉・槐の苗木を400本植える
「洛陽岡山友誼林」をみんなで育てよう!・・・洛陽市人民対外友好協会 副会長 方 双建

 岡山市日中友好協会会長片岡和男先生を団長とする”洛陽岡山友誼林”植樹代表団一行14名は10月30日から11月2日まで洛陽市をご訪問なさいました。

 洛陽市の北、黄河のほとりの孟津県の小浪底ダムのそばで”洛陽と岡山との友好のシンボル『洛陽岡山友誼林』”最初の第1本の苗木を植えました。
緑化活動1
友誼林起工式会場
 ご承知のように洛陽市と岡山市の友好都市関係は凍結した状態ですが、洛陽市市民と岡山市市民との民間の友好交流は依然として活発に行っております。特に現在この『洛陽友誼林』を造るのは非常に重要な意味をもっております。これは中日両国が世々代々に友好につきあっていきたい人々の気持ちを十分に表すものです。今植えた木は小さいですけれど、日が経つにつれて大木になるにちがいありません。木が増えるにつれて青々とした森林になるにちがいありません。中日友好は両国国民の心に刻まれていて、両国交流の主流です。今の状態は一時的なもので両国の友好は永遠なものです。中日友好のために力を尽す方々は手を携えて両国の友誼の木に水と肥料を注いで、中日友好の木を1日も早く大木に育ってほしいと願います。私たちは中日友好の木を大切にしなければなりません。

緑化活動2 緑化活動3 緑化活動4
小浪底特区管理委員会牛増剛主任に
寄付金を手渡す片岡会長
植穴を400掘ってくれた地元農民の
出迎えをうける
地元農民と協力して
槐の苗木を植える
緑化活動5 緑化活動6 緑化活動7
ヒマラヤ杉の苗木を植える植樹訪中団
植樹がすすむ小浪底鎮
はるかに水清き黄河を望む
「洛陽・岡山友誼林」建設に参加して
協会会員 山本直樹
 黄河を堰き止めた小浪底ダムの上からの眺めはすばらしい。どこまでも黄土高原が広がる中、黄河上流側は澄んだ青色のダム湖、下流側は、この大地の間を黄河とは思えない青色の川の流れが遠くまで続く。このダムのすぐ近くの岡の一つに、今回、我々は400本の植樹をした。

 風が吹くたびに土ぼこり(黄砂)が舞い上がる、草木のない荒野を想像していたが、バスで植樹地点へ行く途中の丘には、大きな木はないものの植林されているのか小さな木が育ち、草も生え、地肌が見える所は少なかった。

 晴天の下で、地元の人たちの応援で植樹作業は順調に進んだが、この木々が根付き、そして、我々が日常的に見ている日本の山のように、木々が丘を覆うのはいつになるのか。気が遠くなる時間が必要だと思うと同時に、「河清を俟つ」という諺が脳裏をよぎる。黄土高原を自分の目で見ることにより、山林開発が進む日本では、惜しげもなく森林が伐採されていることに疑問を感じ、又、日本の山々の樹木を大切に保存する必要があると感じた。

協会理事 赤木 宣雄
 洛陽市孟津県小浪底鎮の人たちと、ヒマラヤ杉と槐のそれぞれ苗木を植えた。我々は、あらかじめ掘ってある穴に苗木を入れ、土をかけるだけで簡単であったが、この穴を掘る方は大変だったろう。諺にも「井戸の水を飲むときには、井戸を掘った人のことを忘れるな」というではないかなどど、しおらしいことを思いながら植えていたが、そこは小生、根っからの拗ね者(探究心旺盛?)。このヒマラヤ杉なり槐は、かなりな大木に…?こんなところにこんな間隔で植えて…?しかも槐の苗には根がほとんど無い…?ふと手にしているスコップの柄を見る。このスコップの柄は…?一服するような振りをしながら回りを見るが、やはり同じような柄で未加工の自然木だ。植えている槐では…?この槐の苗木の皮を剥いだのがこのスコップの柄では?そうだ、村の人たちはスコップなりクワなり金属部分だけ買って来るのだと一人納得した。

 村人たちのスコップやクワの柄用の槐の木を供出させたのでは?それなら我々のこの植樹は村人たちにとって本当にいいことなのだろうか?

 植樹後すぐ、同行の専門家樹木医の國忠さんに尋ねたら「あれで付きます。大丈夫」との事。あースコップやクワの柄用ではなくて良かったと一人また納得した。

それなら、この植樹は、小浪底鎮の村人たちにとってもいいことなのだ。それは、孟津県にとっても、洛陽市にとっても、河南省にとっても、中華人民共和国にとっても、いいことなのだ。

 そして、それは我が愛する祖国日本国にも、岡山県にも、岡山市にも、いいことなのだ。

 そして、それを仲介している我がNPO岡山市日中友好協会にも、いいことであり、存在価値があるのではないかと、一人またまた納得した。

協会理事 家野 四郎
 「洛陽岡山友誼林」、これがこの度わたしたち14人で植えに行った植樹林に付けられた名称なのだ。

 洛陽はよく知っているつもりだ。1年半も住んでいたのだからという気があった。しかし20年という日にちが経っている。街のたたずまいもすっかり変わっている。孟津県へも2度ばかり行った。王鐸記念館も知っている。王鐸故居も覚えがある。

 しかし、実際行ってみると、全く変わっていて、あの田舎町変じて都会の町筋だ。

 「小浪底鎮」に至っては、聞いたことさえなかった所へ、立派なダムが造られて、およそ黄河の水からは想像もできない、青々とした美しい湖から、黄河の本流を遙か下の方に眺められるのである。思わず見とれるほどの風景だった。新しく「休暇村」が建設され、宿泊設備と近代的な食堂まで完成しているのには驚いた。

 中国の発展は、ここまで進んでいるのだと、自分の認識の遅れを今さらのように恥じ入る思いだった。

 この黄河周辺に、壮大な計画の「洛陽岡山友誼林」が出来上がるのだ。すでに400本分の穴が地元農民たちの労力で準備されていた。わたしたちが先鞭をつけたこの大事業は10年、20年と子々孫々まで続けられて行くのだ。

 この意義ある仕事を末永く見守って行きたい。

洛陽市仏教交流訪日団
洛陽市仏教交流訪日団歓迎会
 洛陽市、白馬寺の新しい監院・釈印楽さんと待者・高宏陽さん。洛陽市宗教局副局長・邱平欽さん。洛陽市外事僑務弁公室副主任・方双建さん4人から成る「洛陽市仏教交流訪日団」の歓迎会を11月30日、まきび会館で開いた。空海入唐1200年を記念して洛陽・西安を訪問した真言宗関係者20名と協会関係者20名計40名が出席。和気藹々のうちに交流を深めた。
歓迎会で挨拶する釈印楽白馬寺の新住持
岡山市日中友好協会NPO認証記念 第7回公開講座
「中国とのパートナーシップについて」
  講師 下津井電鉄㈱代表取締役社長 永山 久人
 『政冷経熱』という言葉をご存知でしょうか?これは今の日中関係の状況を端的に表現したものです。つまり、経済的には量的にも質的にも緊密な関係が続いているのに対して、政治の関係では小泉政権以降両国の首脳の相互訪問すら実現していない中で、さまざまな問題が累積して国民感情にも良くない事態が続いている、このような状態を言い表していると思われます。
 
 このような中で、わが岡山県内の中で比較的早い時期に上海のタクシー会社を合弁で立ち上げた下津井電鉄株式会社の中国との交渉の経過や、文化習慣の異なるパートナーとどのようにパートナーシップを築いていったかなどについて、現社長の永山久人氏にお話を伺うことができました。

 今年44才。新進気鋭の若き経営者の熱弁に深く感銘しました。紙面の都合でその一部を掲載致します。

 今、私どもは上海でタクシーとハイヤーの会社を経営しています。始めて約10年になります。3年前から広州で胡蝶蘭の栽培も始めました。

 先ず、上海でタクシー会社を起こすようになったいきさつをお話します。きっかけは、私の父(注・永山久也氏)が下津井電鉄の社長をしていましたときに、社会福祉法人旭川荘の理事をしていました関係もあり、常々障害者の福祉に関心を持っておりましたので、1991年から始まりました旭川荘主催の「福祉の翼」訪中団の顧問として上海へ行ったのが中国との出会いの始まりです。

永山久人講師  レセプションの会場で、主賓席に座ることになった父の隣に、当時の上海市副市長・謝麗娟さんが居られまして、上海紅十字会(注・日本の赤十字社にあたる)会長でもある謝女史が、父の名刺を見て「鉄道会社の社長がなんでここへ来ているの?」といぶかしそうに聞かれたので「運輸業は接客業であるから、障害を持つお客さんの世話を誰でもできないといけない。車椅子で動きまわるのが如何に大変か体験したい。社長だけでは不十分なので従業員も連れて来ました」と答えたら「あなたは変わった人ですね。経営者としては珍しい」と言われ、そこでひとつの中国とのつながりができました。
熱弁をふるう永山久人講師
 時あたかも上海は改革開放政策のまっただ中にありまして、中国人は、日本人の顔を見たら「いっしょに仕事しましょう。いっしょに仕事をしましょう」と合弁の仕事あさりに必死の状況でした。

 その頃、いわゆる中国残留孤児といわれる人が、肉親探しに日本に来ておられました。中国の方は、敵国の日本の子どもを立派な大人になるまで育ててくれた。ありがたいことだ。日本人は中国に対してお返しをすべきではないのか。我が社は日本の小さい会社ではあるが、ご恩返しに中国の役に立つ仕事をしようという気持ちが社長の心の中にわき起こったのであります。

 たまたま、お知り合いになった上海紅十字会の謝さんを通じていっしょに仕事しようという話が持ちかけられました。初めはトラック工場の経営、次は港の改修の話、それからバス会社の経営と話がころころと変わるのでとまどいましたが、結局上海近くの松江県の国営ホテルが持っているタクシー会社をホテルと紅十字会とうちとで3分の1ずつの株を所有する合弁会社を立ち上げることになりました。

 4,000万円を投資して「中国でもうけたお金は日本へは持って帰りません。中国で中国人の役に立つことに使います」と約束したが、中国人は信用してくれない。「そんな馬鹿な。もうけを自分のものにしないのなら捨て金じゃないですか。何のために中国へ来たんですか」と信用してもらえなかったです、しばらくの間。

 中国人には、小さく生んで大きく育てるという発想がないようです。とにかく今持っている金で、やれるだけのことをどんどんやろうとする。だから、日本人的感覚の『小さく生んで大きく育てる』という経営のしかたがなかなか理解してもらえなかった。いちばん厄介だったのは、私たちが、中国の為にやろうとしていることを理解してもらえない。日本人にだまされているんじゃないかと思われたことが多々あったのじゃないかと思います。しかし、何度も中国にお邪魔をして膝をつきあわせお話しをしていく中で、この日本人は嘘をついていないなということがご理解頂けたあとは、早かったですね。あっという間に問題が解決しました。タクシー会社は、その当時、花形の仕事でしたので引く手あまたでしたが、よその会社におりるはずであった免許をとりあげて、私どもの会社に営業免許をおろしてくれました。

 もうひとつタイミングよくいったことがあります。わたしたちの会社に楊君という中国人の社員がいます。もう長いことうちに勤めています。彼は岡山大学を卒業して岡山の電機会社に入社し、上海の現場要員として働いていました。しかし、景気が悪くなったため会社を辞めさせられてしまいました。ぶらぶらしていましたので、うちの会社に来てもらいました。この楊君はものすごく優秀な男で、彼のおかげで中国の仕事が順調に発展したと思っています。タイミングよく良い中国人にめぐりあえたと喜んだものです。彼の何がすごいかというと、日本人になりたいというくらいの態度で、彼が日本流の経営を徹底的に勉強してくれて、それを徹底的に中国でやってくれて成功したことです。そんなこんなで合弁会社でタクシー会社ができました。

 タクシー会社を始めて苦労したことの一つは、当時、中国の会社にサービスという言葉がなかったことです。したがって「お客様に気持ちよく乗って頂けるように車をきれいにしといてね。サービスが大切だよ」と言っても、全然通用しなかった。社員にサービス精神を植えつけるのに苦労しました。

 中国で会社を経営してみてわかったことは、成功の鍵は「良い中国人」に出会えるかどうかにあるということです。
(文責 岡本拓雄)

ちょっとチャット(28) すばらしい出会い                   協会会員 松岡 由美子
 私は、この度、初めて岡山市日中友好協会洛陽植樹友好訪中団の旅に同行させていただきました。

 それは、洛陽の大学に留学している娘に会うため、そして洛陽という街を自分の目で確かめたいからでした。

 娘が洛陽を選んだのにちょっとしたドラマのようなものがあったのです。今から13年前、小学6年生の時に、今回副団長の赤木先生から少林寺拳法を習っていた兄が河南省の少林寺、そして洛陽を訪ねる2週間の旅があり、それへの同行を許してもらったのでした。その旅から帰ってきたとき、疲れ果てているだろうと思いきや、帰国第一声が”私、また行きたい!”だったのです。
筆者写真
洛陽市人大常委会主任劉典立さんと
記念写真
 10年余り経ち、社会人になって1年5ヶ月、思い切りよく仕事をやめ、中国語を勉強しだしたのです。そして1年、この8月末に洛陽へと旅立つ1週間前、赤木先生がたまたま我が家へ来られ、留学のことをお話すると、当時のお世話になった方双建さんの話をされました。すると、娘はすぐ13年前に方双建さんからいただいた名刺を大事そうに先生にお見せしたのです。

 赤木先生はすぐ方双建さんに連絡して下さり、方双建さんはお忙しい中娘を訪ねてくださったのです。こんな再会があろうとはどちらも夢にも思わなかったことでしょう!

 そして又、今回皆様の暖かいお心で、多くの場で洛陽での同席を許して下さり、娘と同じ大学で教鞭をとっておられた家野さんから同僚を、通訳していただいた徐さんからは友人を紹介していただき、本当に皆様との出会いのすばらしさに、娘ともども一生の宝物を得た思いで一杯です。

 団長の片岡先生、副団長の岡本先生、赤木先生、そして皆々様、そしてアジア・コミュニケーションズの松井様本当にありがとうございました。

2005年度 総会を開く 正午より総会―互礼会―バザー
 NPO岡山市日中友好協会第23次総会は、2005年2月5日(土)、岡山駅南の日生ビル5階会議室で開きます。

 行事は、いつものように、午前11時から年次総会、正午から新年互礼会。会場に慣例のバザーコーナーを設けます。バザーの出品物を提供して下さいますようお願い申し上げます。

 提供して頂く品物は、会員の皆様に喜んで買って貰える日用品とか酒類、菓子類、お茶、石鹸、美術品など何でも結構です。記念品、贈答品等押入で眠っている物も歓迎。

 品物は1月20日までに協会事務所(南田辺ビル2階)へお届け下さい。

 互礼会の会費は、7,000円です。当日受け付けます。

活動日誌
10/22 会報169号発行
10/30 会員14名、洛陽市小浪底植樹ツアーに出発、11月4日に帰国
11/11 中国三誌友の会、第134回定例会
11/20 第7回文化講座「中国とのパートナーシップについて」講師は永山久人氏
11/30 洛陽市仏教交流訪日団歓迎会
12/9

中国三誌友の会、第135回定例会

中国関連消息
 協会の招聘で洛陽市から技術研修生2名が来岡した。ふたりとも、河南省科学技術大学第一附属病院所属の若い女性の看護師・張淑梅さんと鮑静さん。岡山済生会総合病院と済生会ライフケアセンターで1年間研修する。

先憂後楽
 2004年は日中友好の内実が改めて問われた年だった。小泉首相の靖国神社参拝に対して胡錦涛主席が直接不快感と抗議を申し入れた。わが小泉首相は『多少の意見の相違があっても友好はやっていける』と強気だ。この問題に関してある新聞社の世論調査では日本の国民感情はほぼ二分されているという。サッカーのアジア大会で日本人選手に浴びせられた罵声と反日行動に対し、『中国が反日教育をやっている結果だ』という意見がまことしやかに語られた。

 政熱経冷といわれて久しい。デイリー化した岡山上海便もビジネス客のベースが堅調で搭乗率70%あたりをキープしている。中国内の状況を見ても貧富差の拡大はますます激しさを増しており、社会問題として憂慮すべき事態になりつつある。

 日中関係は最大の危機状態にあるのかもしれない。いや、それは今に始まったことではないのかもしれない。国交正常化以降、日中友好というムードに包まれたまま両国の国民感情にそれほど大きな変化がなく、いまそのムードがはがされて実態が明らかになっているだけではないか?相互理解は深まるどころか経済の緊密さに隠れて疎遠になって来ているのではないか?

 事実求是という言葉どおり、事実から出発するしかない。政府間の問題は指導者の見識に拠らざるを得ないが、もう一つの国民感情は地道でも民間交流を強化し一人でも多くの理解者を増やしていく努力で少しでも良い方向に進むだろう。

 2005年は植樹活動を継続し、市民間交流を増やし、目に見える形の「友好活動」を推進していこう。洛陽市との友好都市凍結が氷解する年になることを会員の皆様と共に祈りたい。(松)


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