2007年8月
平成19年8月
  186号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
虎頭要塞     虎頭要塞日中共同学術調査団日本側調査研究報告書発刊
 虎頭要塞日中共同学術調査団が2005年から2007年にかけ、4回にわたって調査した報告書がこのたび発刊されることになった。これは、岡崎久弥氏が代表を務める虎頭要塞日本側研究センター(通称JCR−KF)が発行したものでA4版、250ページに及ぶ学術調査記録である。報告書は直近の調査からさかのぼる形式で記されており、調査団の副団長兼調査班長の任にあたっている防衛庁戦史資料室主席研究員の辻田文雄氏の克明な調査報告や軍事考古学研究者の山本達也氏の詳細な計測・作図が収められている。また、調査団に同行した様々な立場の人々の率直な感想が掲載されており、読み物としても興味深い。

虎頭要塞とは…
 『中華人民共和国、黒龍江省・最東端の国境の街・虎林市虎頭鎮。そこには、日本の旧関東軍が第二次大戦中、対ソ戦を想定して、山稜の地下に極秘裏に築城した、東洋最大の重火力軍事要塞があります。虎頭には、他の巨大トンネル群と共に、各種の要塞重砲が大量に配備されていました。当時、同じく東洋最大の巨砲といわれた口径41センチ榴弾砲(射程20キロ)が、厚いコンクリート製ドームの中に設置され、シベリア鉄道を射程におさめていました。更に、世界でも稀な、列車砲(列車で移動する巨砲。射程50キロ)も存在し、虎頭要塞は当時の関東軍の最高機密とされていました』(虎頭要塞日本側研究センター「豆知識」より抜粋)

 発行した岡崎久弥氏はセンターの方針について以下の基本方針を明記している。『日中共同学術調査と平和友好活動の精神……中国の関東軍要塞の発掘・保存事業の実現は、戦争で塗炭の苦しみを味わった元兵士と遺族の皆さんによる80年代初頭から長年月にわたる無私無欲、誠心誠意の日中交流の成果であり、私たちは、先人への尽きない敬意と、広範な市民が参加して実現した歴史を謙虚な姿勢で後世に伝え、その成果を市民に広く還元しながら、より幅広い活動へ展開するように細心の注意を払う必要があります。共同調査の本来の目的は過去の歴史を直視しつつも、日中間で未来志向の友好交流が促進されることです。(略)』

 今回の報告書の発刊にあたって、岡崎氏は「多くの若い人々に読んでもらい、歴史的事実を知ってほしい」と期待している。「虎頭要塞を守備していた旧関東軍・第十五国境警備隊は八月九日のソ連対日参戦以降、戦闘に突入し、8月15日の終戦の連絡を信用せず、8月19日に組織的戦闘が再開され、8月26日まで破滅的な戦闘を展開し約3,000人いた守備隊の生存者はわずか53名でほぼ全滅した」(報告書より)

 その、8月26日を発行日とした。1,000部限定自費出版。2,800円で希望者に頒布する。

 《お問合せ先》
JCR−KF虎頭要塞日本側研究センター
 電話・FAX(086)224−0737
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/kotou-top.htm

 
中西寛治さんを偲び日中友好の歴史を受け継ぎ、次代につなげよう
 さる7月22日、日本で最初に日中友好協会支部を創立した中西寛治さんの12回目の法要が自宅で行なわれ、協会から片岡会長と松井事務局長が参列した。檀那寺であり、協会の理事でもある真言宗御室派長泉寺の宮本僧正の読経が終わり、参加者が焼香して法要を終えた。その後、中西貞子夫人から、中西さんが遺した友好関係の資料をすべて岡山市日中友好協会に寄贈したいとのお申出があり、片岡会長も喜んで承諾した。この資料整理については理事会にはかった上、協会としての受入態勢を作っていくことになろう。

 中西さんは、井原市出身である内山完造氏に師事し、日中友好活動に入り、1949年には全国で初めて日中友好協会岡山県支部を創立した。新中国の建国が1949年で日中友好協会中央本部が設立されたのが1950年なので、いかに早かったか、想像できる。

 中西さんは、協会の支部設立後、精力的に活動に取り組んでいる。その活動の中心は、各種訪中団の派遣事業、中国人遺骨の送還事業、在中国日本人の帰国支援活動であった。国交のない中で、日本赤十字や平和委員会などと共同で取り組んだ。

 訪中団の派遣は1956年の「訪中学術視察団」(団長−林修一岡山大学教授ら16名)、57年の「平和友好使節団」(団長−寺田熊雄岡山支部長ら28八名。先月NHKはじめマスコミ各社が報道した)、58年の経済視察団と連続しており、全国的にも団体での訪中は珍しい時代に、毎年大型の訪問団を派遣していたのは、当時の岡山での友好活動が相当活発であったという証だろう。

 その活動の背景には、内山完造氏と郭沫若氏ら中国要人との強いパイプがあった。1955年には郭沫若(当時、中国科学院院長)を団長とする中国科学院訪日団を岡山に迎え、熱烈歓迎をした。岡山での滞在中、郭氏は第六高等学校留学時代に慣れ親しんだ後楽園を散策して、当時放し飼いになって自由に飛び回っていた鶴が再訪した時には一羽もいなくなっていることに心を痛め、岡山県主催の歓迎会の宴席で即興詩を創作し、中国から鶴を贈呈することを約束したのだ。その後、中国から音沙汰がなかったので、中西事務局長は「その後、鶴の件はいかがなりましたでしょうか?」と催促の書簡を出している。このように、歴史のひとコマひとコマの中で、日中の架け橋として尽力した友好協会の活動の足跡を検証し、記録として残し次代につなげていくこともわが協会の大きな任務であろう。

日中国交正常化三十五周年  日中高校生交流団が出発!
 岡山県下の10校から成る20名の高校生が7月29日上海に向けて出発した。これは、岡山県日中教育交流協議会(会長−岡田浩明県生涯学習センター所長)が、財団法人福武教育文化振興財団(以下財団)の委託を受け実施している青少年交流プログラムで、本年で第3回目になる。

 11時40分から岡山空港2階出発ロビーで出発式が開催され、団長の岡田会長が挨拶、続いて生徒代表の倉敷南高校2年の田川崇さんが「交流を深め、友達をいっぱいつくって、一回り大きくなって帰ってきます」と元気よく決意表明をした。見送りには、財団から森崎岩之助常務理事、同、赤松事務局次長、朝日高校の板谷校長、昨年の引率教員岩崎先生、そして大勢の父兄が駆けつけた。見送り者を代表して森崎財団常務理事が挨拶に立ち、「素晴らしい機会を生かして、多くの友人を作って、元気に行って帰ってきてください」と激励した。

 一行は上海滞在中、交流先の上海新中高級中学の宿舎に宿泊しながら、英語授業、高校生交歓会などに出席し、交流を深め、8月4日に帰国予定。

 本年は、日中国交正常化三十五周年の関係で、全国レベルでも高校生交流が行なわれるが、地方レベルで20名もの高校生が英語を介して交流するという企画は珍しく、全国的にも注目されている。この交流では11月に、上海から高校生を迎え、岡山の高校訪問やホームステイの活動を予定している。

洛陽だよりA                               洛陽大学研修生 安井 美那子
学校生活
二胡を習う

 女の張先生と一対一のマンツーマンのレッスンを受けている。毎回基礎練習の音だし、ドレミファソラシドの練習から始まる。先生はとても熱心に教えてくれる。私は毎回、手と肩に力が入るのでその度に「放松!」と言って手取り教えてくれる。彼女の二胡の腕前は本当に最高である。こんな二胡が上手なよい先生に会えて本当によかったと思った。

 最近やっと「きらきら星」が弾けるようになった。自分でもだんだん上手になってきているのが分かるので嬉しい。次週から「さくらさくら」「エーデルワイス」を習うこととなる。弾けるようになるまでにはかなりの時間がかかると思う。しかし毎日少しでもいいから練習しようと思う。ここにきて思うのだが、毎日の積み重ねがとても大切だということだ。岡山に帰った時にはみんなの前で披露できるようになりたいと思っている。そのためには毎日練習!!

 最近、異常な天気のため、昼間外で運動をしている人はいない。この前の最高気温は41.9度であった!この暑さでも教室にはクーラーがないので本当に痛い。「学期末」は6月の終わりなので生徒達は今から準備しているようである。土曜にも午前中授業があり、平日の夜、毎日ではないが7時半から9時半まで授業がある人もいる。中国人の学生は本当に聞いているだけでも大変である。本当に勉強に対する熱心さにはいつも感心させられる。私も彼らのように頑張らねばと励まされる。

親善活動
 友達が新しい友達を連れて来てくれるので次々に交流の輪が広がっている。本当に日本に興味を持っている人が多く、みんな日本へ留学に行きたい人ばかりである。その中の一人に来年から日本留学をしようと考えている生徒がいる。岡山に行きたいと考えている生徒だったので、岡山市の地図をあげた。彼は目を輝かせて喜んでいた。岡山市について、日本について、色々教えてあげたところ、岡山市について、日本について本当に好印象をもってくれた。質問も積極的であり、具体的であった。

 日本語学科の生徒と交流する時は、私は中国語を話して、彼らは日本語で話しをする。その時、私が間違った中国語を話すと正しく直してくれ、また彼らがおかしい表現で話す時は私がなおしてあげている。お互いが相互に勉強できるので本当にためになる。

 外事弁公室の副主任の楊先生は中国語を日本語へと翻訳する仕事をしている。私はよく彼女が訳した日本語が正しいかどうか添削している。また中国語の文と楊先生が書いた日本語の文を照らし合わせながら読む事もある。その時気づいた事は、日本語にはある単語が中国語にはなかったり、中国語にある表現が日本語にはなかったりするということである。どのように訳すか本当に難しい。また「〜へ」「〜は」などの区別は日本語を習う外国人にとってはとても難しいのだなと思った。

視察
 中国語の先生の張先生と中国三大石窟である龍門石窟を訪れた。世界文化遺産でもありその壮大さには本当に感動した。この石窟は歴史をみてきたのだなと思うと本当に何ともいえない、言葉ではいうことができない感じになった。昔のものに触れることによって昔の事が少しだけ分かるような気がする。次回、もう一回一人で来たいと思った。龍門石窟は石窟をみると同時に緑の木々と川を眺めることもできた。

日本語教師と懇談
 洛陽にいる日本語教師たちに会う。洛陽大学、洛陽科技大学、洛陽師範学院、洛陽外国語学校で働いている先生方であった。そこで先生たちは日本語指導・支援のあり方について意見交換をしていた。その話を聞いていて、本当に日本語教師という職業は奥が深いものなのだと知った。また本当に大変な仕事であるということもよく分かった。またその時に、先生方は洛陽の事情・中国について沢山の事を教えてくれた。中国にきて1か月とちょっとしか経っていないのでまだ知らない事が沢山ある。先生方の話によって、よりローカルな中国について知ることができた。本当に有意義な会であったといえる。

日本からの訪問団
 5月14日には岡山の人たちが来られた。その会は日本人と中国人合わせて大体40人であった。とても有意義な会であったと言える。ご飯を食べながら中国語・日本語で話をする。久しぶりに沢山の日本人に会えたし、片岡会長にも会えた。本当に懐かしかったし嬉しかった。沢山の人から励ましの言葉を頂き、胸がいっぱいになると同時にこれからもっと頑張らねばと思った。その会では日本人全員が舞台に上がって「こいのぼり」を歌った。また洛陽市役所の方双建さんが日本の歌を歌った。ある日本人の年配の方は何年かぶりに中国人の友人に会えたようでとても喜ばれていた。国境を越えての友情にとても感動した。とても和やかで楽しい会であった。

シリーズ洛陽(6)  九朝の都
 九朝の都――洛陽は王朝が9つも変わった。つまり若者たちが反乱し、9度も破壊と創造をくりかえした永遠のロマン、エネルギーに満ちた古都だと言えよう。

 つまり商、周、後漢、曹魏、西晋、北魏、隋、唐、後晋。この中で日本に関係深い一つが後漢である。

 後漢は永平元年(57)、日本の使者・大夫が洛陽で金印「漢倭奴国王」を授かった。中国仏教最初の白馬寺はその10年後に建つ。

 魏王朝は2つあり、いづれも仏教文華が花と咲く。いわゆる曹魏は『魏志倭人伝』に女王・卑弥呼を伝え、曹植によって仏教音楽「声明」が盛んになる。北魏は龍門石窟が開さく――日本に仏教が伝わった欽明13年(552)は伝聞の限り、実はもっと早かったか。

 そして隋代(607)、煬帝に聖徳太子が国書を寄せて「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」と。これも洛陽、青年太子の面目躍如である。

 いつの時代も破壊と創造のロマンが要る。今年は日中交流1950年、洛陽に太子が国書を届けて1400年目。九朝の都――洛陽に想いをいたすことである。(協会理事 宮本 光研)

ちょっとチャット(44)  少数民族の健康観−養生調査の立場からー
                                 岡山理科大学特任教授 太田 正和 
 私達日本養生学会会員は健康生活をテーマに雲南省少数民族の3家族を2006年8月29日〜9月1日にかけて中国伝統養生調査を試みた。

 それはナシ族家族と、チベット族のなかでも、裕福な家庭だと思うが、年間を通じて遊牧の仕事から一時解放される時期にシャングリラの地に家を建立している家庭を訪問しての交流であった。

 以下に訪問した内容の要点のみを、順序は前後になるがまとめてみた。
  • 家畜と共に暮らす自然生活で常に鍛えあげられている発声は大声ではっきりしている。
  • 一年中働いて(遊牧等)いるので運動量が豊富である。生活は簡単で毎日楽しくすることを心掛け実践している。そして精神面の向上に励みいかに功徳を積む生活をするかの毎日であるとのこと。
  • 伝統的に家族の絆を大切にしている。他人との交流の場をなるべくもつよう努力している。老人になるほど幸せになるよう心掛けている毎日であり、そのようになっている。
  • 食物は自然食が多くビタミン・ミネラルを多く摂取しているので病気にならない。(一例だが無農薬、堆肥で作った野菜や山野草の摂取、土の上で飼育運動量の多い鶏の卵を食す等)
  • 早起きで運動量が多い生活。たまたま病気になっても山野草(漢方薬的内容)の組合せの摂取等をはじめ伝統医学で回復を計る場合が多い。80才位の人も多く100才の人もいる。人の葬儀は天葬、水葬、土葬、火葬等であるとのこと。
 以上のように厳しい生活環境それは自然との共生を地でいく少数民族の方々(全てとはいわないが)は五官(耳、目、鼻、舌、皮フ)も鋭く、精神力が養われていくであろう。その漲る活力人間性から発するオーラに日本養生学会の目的でもある生涯学習のきわめつけ、病の予防・生きる力、人間力向上のためのヒントをいただいた思いである。(協会会員)

活動日誌
6/14 中国三誌友の会159回定例会
6/20 会報「岡山と中国」185号発行
7/12 中国三誌友の会160回定例会
7/22 中西寛治理事の回忌法要に参加
会員消息
【出版】片岡和男会長が「どくとる三人衆」を出版した。(ドクター三人の共著)
【当選】協会会員の姫井由美子さんが参議院議員に選ばれた。

協会会員の磯野昌郎氏が友好議連の会長に就任
 6月22二日、岡山市において岡山市洛陽友好都市議員連盟の総会が開催され、役員の改選が行なわれた。
 前会長の楠木忠司氏が宮武博議長と共に顧問に、新たに磯野昌郎氏(前幹事長)が会長に就任した。幹事長には若井達子氏が就き、市議会議員53名の中で、全会派から51名が参加した。今後の友好都市交流の促進に大きな期待が寄せられる。

図書紹介 『そうだったのか!中国』
 中国人青年の反日感情は中国政府の反日教育の結果だと単純に言う日本人がいるが、そんなに簡単に割り切ってしまっていいのだろうか。
 この本は、中国共産党の歴史をたどり、現在の経済発展社会問題を、日本・アメリカ・ベトナムなどとの関係をふまえて「反日」は、どこから生まれてきたのかを丁寧に解説している。中国現代史の格好の入門書である。
(池上彰著 集英社出版 B5 256ページ 1,890円)



先憂後楽
 牛窓の岡さん宅で1957年の平和訪中団の写真500枚が見つかったので、見てほしいと、NHKより依頼があった。ディレクター氏と同行し、拝見した。周恩来総理や郭沫若氏との集合写真、李徳全女史(当時中国衛生部長で紅十字会会長)との会見の様子など貴重な写真に見入った。岡さんは訪中団参加者のご子息だが、そのいきさつや団員、日程などは不明という。

 何とか詳細を知りたいとの要望で思いついたのがわが大先輩の中西寛治事務局長のこと。早速連絡をとってご自宅にお邪魔することにした。中西夫人は88歳の高齢にもかかわらず、お元気な様子だった。そして中西氏の書斎兼応接間は生前のままだった。

 整頓された資料を探していると、「平和訪中団関係資料」と書かれた茶封筒が見つかった。日程はもちろん、団員の写真・肩書き、訪中の受入れに関する中国との書簡などが判明した。そして、何人かが生存されていることもわかり、その人々の生の声をインタヴューでき、番組が完成した。

 もし中西さんの資料がなかったら500枚の写真は「日中友好の証言」にはならなかっただろう。

 これらの資料の保存と整理は岡山のみならず全国の友好事業に携わるものにとって、大きな任務だ。中西さんの時代の友好運動を引き継いでいるわが協会もその責を逃れられない。(松)

アジア・コム旅遊消息
暑中お見舞い申し上げます
 いつもアジアコムをご利用いただきありがとうございます。アジコムは今春からIATA(国際航空運送協会)の公認代理店となり、自社で航空券の発券業務を行なっています。これにより、急なご要望にお答えすることができるようになり、顧客サービスの向上に努めて参りたいと存じます。
◎学生割引航空運賃!
岡山 − 上海(往復) 46,000〜
岡山 − 大連(往復) 57,000〜
岡山 − 北京(往復) 59,000〜
広島 − 大連(往復) 57,000〜
広島 − 北京(往復) 57,000〜
※空港税、航空保険、燃油チャージは別料金になります。詳しくはお問合せください。

秋のツアー情報
長城ウォーク(天満屋スポーツ企画)
 通常の八達嶺長城ではなく、険しい金山嶺から司馬嶺にいたる約10キロのウォーキングツアーです。雄大な景色と秋の北京を満喫する旅です。健脚の方、ふるってご応募ください(ご旅行代金:約11万円。広島発着)

福建の旅(10月)
 世界遺産・武夷山と客家の故郷・土塁を訪ねる旅(ご旅行代金:約16万円。岡山発着)
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   航空券担当:藤井、松岡、金
   ツアー担当:松井、西上、岩尾
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