2008年2月
平成20年2月
  189号


発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
2008年度定期総会
2008年度の定期総会が2月9日(土)午前10時から、岡山ピュアリティまきびで開かれた。開会に先立ち、昨年度亡くなられた黒瀬茂さん、河田義男さん、高尾佳子さんに黙祷を捧げご冥福を祈った。
 片岡和男会長の開会の挨拶のあと、議長の選出を行い赤木宣雄理事が議長に就任した。書記に綾野富美子理事、議事録署名人に家野四郎理事、萱野哲朗監事委嘱したあと議案の審議に入った。慎重審議の結果、提案された議案は修正されることなく、すべて承認された。

2007年度事業報告
Ⅰ事業実施の概括
 
2007年度は日中国交正常化35周年にあたり、日中関係は大きな節目を迎えた。特に、安倍政権から福田政権への交替により年末には福田総理が中国を歴訪し、胡錦涛主席、温家宝首相と会談し、戦略的互恵関係を確認しあい、2008年度以降の交流の促進に大きな役割を果たした。また、長年の懸案であった残留孤児訴訟が、日本政府の謝罪と生活支援を骨子とする残留邦人支援法が成立し、平和的な解決をみた。
 このような中で、岡山市日中友好協会は、25周年記念行事の開催、洛陽市との緑化協力事業の継続、協会創立時代の資料保存等の活動とともに多彩な日常活動を実施し、民間交流団体としての一翼を担った。

Ⅱ事業実施に関する項目
一、岡山―洛陽友好促進事業
① 協会訪中団(団長―片岡 会長)
② 岡山後楽館高等学校中国語教師招聘 閻佳先生
③ 洛陽市民営企業視察団歓迎会
④ 洛陽市仏教訪日団招聘
⑤ 「吉備文化を語る会」講師洛陽文物工作隊招聘

二、中国緑化協力
日中緑化交流基金助成事業第二期『洛陽小浪底緑化協力事業』
① 専門家派遣(國忠征美氏)
② 日中友好桃園の開園式挙行
③ 第三期日中緑化交流基金助成決定

三、文化行事等
① 村上彩子ソプラノコンサート
② 岡山・中国映画上映会「水没の前に」 岡山県日中懇話会との実行委員会主催
③「日中友好飯店」出店(生涯学習フェス)

四、都市交流促進
① 上海市との交流
   第18回福祉の翼後援(旭川荘主催)
   教育交流訪中団 STUDENT EXCHANGE事業(日中教育交流協議会主催)
② その他の都市との交流促進支援
   信陽市?河区政府訪日団
   田口さんお見舞い

五、組織広報活動
① 協会25周年記念事業開催 総会・互礼会・記念コンサート
② 理事会開催(四回)
③ 会報「岡山と中国」の発刊年6回
④ 25周年記念誌Ⅲ発行
⑤ 平成19年度会員状況(12/31現在)
   新規入会者 一般会員6名 賛助会員1名
   退会者 一般会員17名 賛助会員0名
   現在会員数 一般会員210名 賛助会員14名

六、中国語センター
① 会話教室運営【入門6名、初級17名、中級13名、個人5名】
② 通訳・翻訳サービス
③ 日本中国語検定試験会場受託

七、『人民中国』普及
①『人民中国』普及拡大
②三誌友の会活動

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新春特別講演会
 定期総会終了後、10時から牛田和子さんの司会で、特別講演会が開かれました。講師は北京在住の横堀克己先生。先生は1996年に東大東洋史学科をご卒業になり、同時に朝日新聞社外報部に入社。北京支局長、論説委員等朝日新聞きっての中国通としてご活躍されました。退職後、人民中国社で編集に携わっていらっしゃいます。「中国の今」と題して1時間30分にわたって講演をして頂きました。

はじめに
 中国の庶民の目線に近い外国人の感覚で話そうと思います。北京に住んでいますのでホットな話を披露します。それにより中国への理解を深めて頂きたい。現在「人民中国」誌を作っていますが、人民中国社を代表した意見ではありません。それに朝日新聞北京支局長時代のように、ニュースソースも秘密情報もありませんので、特別なお話は出来ないと思いますが、ただ改革・開放をまのあたりに見て来たので、個人的に話させて頂きます。

 さて二月七日は旧暦で春節。毎年一月から二月にかけての大きな休みです。出稼ぎに出ている農民も故郷へ帰り、春節を祝う大きな祭りでもあります。最近では、1月の終わりから2月にかけての正月は困るという意見もあります。今や中国は世界的な経済の取り引がもあり、正月が不定期なことで、経済はストップするし、学校教育でも学期の終わりが動き、カリキュラムが組みにくいなどとの意見も多い中で、相変わらず農暦で世の中は回転しています。

 去年は、干支で60年に一度という金豚のおめでたい年で、)結婚した者も多くブームになりました。オリンピックベビーをねらい、それは大変でした。今年は子年で、子年生まれの人は頭が良いとかで、巷では近頃は干支の話もよく聞かれます。

 土建業者が、子年の都市開発局長に鼠の等身大の金の置き物を贈ったら、「うちの家内は丑年ですから来年もよろしく」と言ったとか、汚職がらみの話も横行しています。土地、マンション転がしの悪い噂も流布し、移転の対象となった庶民は、高いマンションは買えないので、立ち退きを渋ります。立ち退かない住民に対して、土建業者は周りを深く掘って孤立させるという嫌がらせをするので、土建業者への怒りは増大しています。政府は土建業者に対して取締りをしていますが、「上に政策あれば、下に対策あり」で、問題解決にはなっていません。

 さて、日本へ帰国して、ぎょうざのニュースの過熱ぶりに、びっくりしました。中国では、あまり報道されていません。春節の日のTVで日本との友好発展を望まないものの仕業かといっていましたが、その後何も報道されていません。ただあの天洋食品の工場のある場所は、河北省石家荘で対日感情のあまり良くない地域です。反日テロ行為かと見るムキもありますが、地元の人は、あの工場のお蔭で相当救われているので、果たしてやるかなあとも思います。

 中国外務省の報道官は、「何故ぎょうざ事件を報道しないのか」と言う質問に「中国と日本ではマスコミのあり方が大きく違う。中国ははっきりしてから報道する」と答えています。日本のマスコミはニュース性で売っています。ニュースは速報性と意外性から成り立っていますが、意外性ばかり書き、よく読むと何の根拠も挙げていません。中国はこれだからこわいというイメージが出来上ってしまいます。今日はマスコミが書き立てている中国ではなく、客観的に冷静に見た普通の中国の話をすすめます。

「中国は○○だ」と断定するべからず。
 食べ物にしてもいろいろです。だから中国料理は辛いと一方的に決め付けるのは止めた方がよい。風土、歴史、文化、方言、体型など全てのことが中国は多様であることの理解が大切で、その前提の下で判断しなければならないと思います。

縦軸と横軸で中国像を結ぶべし。
 鄧小平さんが実権を握って、改革・開放が始まって30年になります。1979年、私は朝日新聞日本代表団の一員として中国を訪問し、人民大会堂で鄧小平さんと会見しました。「人民中国」2月号「外国人の眼に映った『改革・開放』のある断片」という題で記事を掲載しています。

 鄧小平さんからは非常に強烈な印象を受けました。事前に質問項目を出すこともなかったし、その話しぶりはメモを見ることもなく雄弁で全く独演会でした。ふと天井のシャンデリアを見て、電球が切れているのを指さして「中国を変えたい。今の電球は300時間で駄目になるが、工業の土台を固めて800時間もつ電球を作りたい」と言いました。それが今となれば大正解でした。

 中国の実質経済成長率は平均して9.67%です。そんな成長率を30年保っている国は世界にありません。成長の原因として農業の生産請負制、外資の導入、国有企業の改革、市場経済化があげられます。改革・開放後、農家ごとの生産高リンク請負制が急速に農村に広まり農民の生産意欲を刺激しました。生産が上がればその利益が自分に返ってくる。それが良かったのです。

 経済的刺激が労働意欲を高め、経済は向上し、外資も入ってくるようになりました。国有企業は計画経済から市場経済へと変わりました。成長率について、朱鎔基前首相の指摘によると地方から出た数字には水増しがあるということです。水増し分は3%という説もあります。それに、物価上昇の問題もあります。政府は水増し報告は止めろと指示していますが、なかなか止まりません。

軍は独立しているか。
 兵力を減らして、軍の近代化を図っています。1951年末の兵員数は、史上最多の600万余でしたが、2005年末には230万へ約400万減っています。兵力の削減と軍事費の増大の両面を見ないといけないと思います。

 軍が強いとクーデターが起こりはしないかと心配する人がいますが、クーデターは起こり得ません。軍は、軍司令官と共産党の政治委員とが指揮しています。指揮系統の違いがありますから、政治委員が命令しないと軍は動けません。現実に1949年に新中国が成立して以来、クーデターは起っていません。

人口はどこまで増える。
 人口政策は厳しく、強制的に実施していますが、国民は当然と思っています。食糧事情や教育問題もあって一人っ子政策に大きい反対はありません。一人っ子政策といっても都市と農村では差があります。農村は労働力が沢山ある方が生産が高まるので、第一子が女児であれば第二子を生んでも良いことになっています。農民の移動は昔は出来なかったが、今は出来ます。出稼ぎなしには都市機能が回らなくなりました。農民工で建設業は補われています。
 2033年には、人口はピークを迎え、15億人と推計されています。今は、約13億5000万人といわれています。15億人をピークに、うまく人口を抑えて減らしていく計画ですから、中国人が世界中に溢れ出るという心配はありません。今後、中国社会も高齢化して、若い人の負担が増加しますが、若い人の力で支えきれるかどうかが問題です。また男女比率が男子108対女子100で、結婚出来ない男性も出てきます。また、高学歴者の人口減の問題があります。

経済優先から安定成長へ
 胡錦濤さんの政策に注目したいと思います。温家宝さんとのコンビがとても良く、過去5年間高度経済成長が維持されて来たのは最大の業績です。格差の是正が成長の中に吸収されて来ました。基本は、胡さんと温さんの絶妙なコンビネーションが非常に良かったからです。外交も対米関係が良くなりました。海南島に米軍機が不時着した問題も平和裡に解決しました。貿易では対米輸出が第一位です。

 日本との関係は小泉首相の時代に本来あるべき交流が途絶えました。胡錦濤さんは安倍首相の訪中を受け入れました。これは胡さんの決断です。福田首相になっても関係は改善されてきました。経済関係は、日本にとって対中貿易は第1位ですが、中国にとって対日貿易は第3位です。中国は今貿易を世界各国へ危険分散しています。近隣諸国との関係も良くなっています。特にインドと良い関係を作りました。インド首相の中国訪問で、中国とインドは結束したので、世界の第三のパワーになるでしょう。ロシア・中央アジアの国とも仲良くするという体制を作り上げました。

 昨年開かれた共産党の十七回党大会では、胡錦涛さんが党大会の政治報告の中で、「科学的発展観」という言葉を何回も使っています。これは今まで経済成長ばかり考えたが、経済優先政策から資源のことを考えて安定的な成長をしようということです。つまり、経済の成長が一定の線まで達したので舵をきったということです。一つの変換期の大会になるのではないかと考えています。

 では今後、中国はどう変わるのか。大会前政治局常務員は9人いました。17回では7人に戻すという見方もありましたが、やはり九人でした。派閥のバランスをとったと見る人は多い。江沢民さんの影響力は今は余りありません。力も人気もダウンしました。テレビを見ていても江沢民さんは髪を染めなくなりました。若さをアピールする必要がなくなったということです。中国社会は全員が上ばかりを見ている「総ヒラメの社会」などと冗談を言われていますが、一党独裁で権力は絶大です。胡錦涛さんは二期目に入り、権力基盤を固めたいと思います。

 オリンピックの開催を心配する人がいますが、天安門事件の直後に開かれたアジア大会は期間中、偶数、奇数の車ナンバーで通行を規制したので、車は2分の1になりました。オリンピックでも車の混乱は避けられると思います。外国人も入るし、人権問題を訴えたい人もいます。しかし、国民の意志としては、国を挙げて成功させようと意気込んでいます。

中国とどう付き合うか
 日本も世界も中国との関係を発展さす以外にありません。上手く手を組んで、しかし言うべきことは言いという関係を築くべきです。中国脅威論を叫ぶ人は、中国とどういう関係になればよいと思っているのか、はっきりしません。中国と断交しようと言うのでしょうか。中国と協調していくより他に選択肢はないと思います。事実に基づかないことを言うのは良くありません。歪んだ言論に惑わされず客観的で正しく冷静な判断で等身大の中国の像と結んでゆく。それが大切なことです。

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新春互礼会・バザー
 新春記念講演会の後、12時30分から、ピュアリティまきび3階『橘』の間で新春互礼会が開かれた。逢沢一郎衆議院議員、津村啓介衆議院議員、姫井由美子参議院議員、江田五月参議院議員(代理)、村田吉隆参議院議員(代理)、高谷茂男岡山市長代理、天野勝昭副市長、立岡脩二瀬戸内市市長、井尻昭夫岡山商科大学学長、赤木忠厚山陽学園大学学長、岡崎豊岡山県議会議員、磯野昌郎岡山洛陽友好都市議員連盟会長、楠木忠司岡山洛陽友好都市議員連盟顧問、若井達子岡山市市議会議員、劉、勝徳岡山県華人華僑総会会長、横堀克己人民中国雑誌社編集員、森崎岩之助岡山県日中懇話会会長、岡田浩明岡山県日中教育交流協議会会長、王雪松岡山県中国人留学生同友会会長等、多数の来賓をはじめ中国人留学生・研修生と会員約80名が集まって新春を祝った。

 次の方々から祝電を頂いた。郭洪昌洛陽市長、劉典立洛陽市人民対外友好協会会長、逢沢一郎衆議院議員、津村啓介衆議院議員、村田吉隆衆議院議員、姫井由美子衆議院議員。
 
 郭洪昌洛陽市長からは、次のような祝電を頂いた。

祝電
岡山市日中友好協会御中
尊敬する片岡和男会長様
尊敬する各副会長様

 貴会総会が開催される時にあたり、私は洛陽市人民政府並びに私個人の名義において、皆様方と皆様方を通じて貴会のすべての会員各位に対し、熱烈な祝意と良好なる気持ちをお伝え申し上げたいと存じます。
 岡山市日中友好協会は創立以来、私ども両市の友好関係を打ちたて、発展させ、両市の各領域の交流と協力を促進し、両市人民の理解、友情そして信任を増進するためにたゆまぬ努力を堅持し、貴重な貢献を果たされました。
 昨今、日中関係は改善と発展尾春を迎えており、先の福田総理の訪中は成功し、双方の指導者はともに関心のある問題について広く深く意見を交換し、多くの貴重な共通認識に達しました。
 中国国家主席最初の訪日であり、両国関係が長期にわたり健康で穏やかになるために更に強固な基礎を打ち込み、重大な歴史的意義を有することになるでしょう。
 私どもは、日中両国関係が発展する大変素晴らしい契機を利用し、更に一歩両市の友好関係を推し進め、各分野の交流と協力を発展させ、日中友好事業にとって果たすべき貢献をいたしましょう。
 各位の友人の皆さんが、この一年幸福で、喜ばしく、健康で順調でありますよう衷心よりお祈り申し上げます。

洛陽市人民政府市長郭洪昌
2008年2月5日

 祝電披露のあと、森崎岩之助岡山県日中懇話会会長の音頭で乾杯。祝宴が始まった。多額の寄付を頂いた家野四郎理事に対し感謝状の贈呈や宮田宏子さんの二胡の演奏があり、厳粛な中にも和やかな互礼会であった。

バザー
 会場の一隅に、会員が寄付した数々の品が並べられていて、祝宴の合い間に、入れ代わり立ち代わり訪れるお客様で、バザーコーナーは賑わった。下津井電鉄寄贈の胡蝶蘭は、年ごとに美しさを増し、今年も瞬く間に売り切れた。売上金は洛陽岡山友誼林の建設基金に充てられる。

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中西寛治随想記(4) 蟻の話と人間の生き方について
 プロレタリア作家、小林多喜二の小説『一九二八年三月十五日』の中の一節に次のようなエピソードが書かれている。

 それは「蟻が豊富な食糧のある場所を求めて大きな群をなして移動する場合、途中で水の流れにぶつかることがある。はじめ蟻の先頭の群は、向こう岸へ渡るべき場所を探すために、流れに沿って上がったり下がったりする。

 そして最も渡りよい場所をみつけると、先頭の勇敢な奴が、どしどし水の流れに飛び込んで行く、そして向こう岸へ渡ろうとする。

 だが次から次へと押し流されて下流へ見えなくなってゆく。それでも後から後から勇敢に飛び込む。水面にはゴマをまいたように無数の蟻が流されてゆく。やがてその中の強いのが一匹、とうとう向こう側の岸へ辿りつく。そして岸からたれ下がっている草の葉先へうまく泳ぎつく。だが岸へ這いあがらないで、そのまま草にしがみついている。すると後からまた一匹また一匹と同じ草の葉先へ泳ぎつくとどの蟻も岸へ這い上がらないで、前の蟻の尻にしがみつく。そういう蟻が次から次に増えてゆく。そして黒い蟻の紐が段々に流れを横切って斜めに細長くこちら側の岸へのびてくる。とうとう紐の先が、こちらの岸の草の根にとどく。ついに蟻の細長い浮橋が流れの上にかかkった。と思うと、こちらにひかえていた蟻の大群が、その上をどんどん渡り始める。蟻の大群は、橋になっている仲間の上を踏み越え踏み越えて渡る。

 そしていつの間にか何万とも知れない大群が見事に向こう岸に渡り終った。だが全部の蟻が渡ってしまった後になっても黒い蟻の橋は流れの上に浮いたままじっと動かない。よく見ると橋になった蟻は一匹残らず皆死んでいるのである。先頭の強い蟻の一団はこのようにして死ぬまで橋を崩さないで自分たちの属する大群を向こう岸に渡したのである」と。

 この蟻の話は、人類の歴史を一歩前進させ、この社会をもっと住み良い社会にするためには、旧い社会の悪弊と闘い、新しい社会を前面に押し上げるために、時あってこの蟻の橋と同じ社会的役割を果たす前衛的な舞台が必要なのだ。対岸がいかに豊かな楽園であってもこの蟻の橋と同じ社会的役割を果たす先進的な勇気ある人達がいなければ我々の子孫を永久に対岸の楽園に移動さすことは出来ないのである。と筆者は述べている。

 このエピソードは前後によく照応して読む人に実に深い感動を与える。私も感動の余り幾度か巻をふせて瞑想した。

 昭和初期の日々に軍靴の足音が高くなる灰色の社会に、支配階級に対する憎しみ、若き青春の血をたぎらせたのであるが、戦争へ巨大な流れに杭し切れず、我々の世代の人達は一様に貴重な青春を軍国主義に奪われたのである。(1960年)

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ちょっとチャット(48) 私にとって中国は特別な国                     黒住昭子
 今、私の関心事の大きな位置を占めているのは「中国」というキーワード。

 そのきっかけとなったのは、ある中国人留学生との出会いでした。

 彼女の名は呂燕玲さん。平成16年11月に倉敷市内で交通事故にあい、一命は取り留めたものの、現在も意識不明の状態で入院しています。

 私は「おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ」というNPO法人で、犯罪や事故などの被害者やそのご家族を支援する活動をしています。その関係で依頼を受け、事故にあった呂さんとのかかわりができました。

 事故の直後、中国からお姉さんが急きょ来日し、以来燕玲さんのつきそい看護をしています。初めて来る日本。言葉も全くわからない…。そして変わり果てた妹の姿に対面し、どんなに心を痛めたことか、察するに余りあります。

 私は昨年1月に初めて病室を訪ね、付き添っているお姉さんが孤独と不安で潰れてしまわないように…との思いから、時間を作ってできるだけ病室に顔を出すようにしています。初めの頃は、たまたま習い始めていた中国語も、会話ができるような状態ではありませんでしたが、それでも笑顔があれば気持ちは通じると思い、通い続けました。その傍ら、中国語の勉強にも自然と身が入り、今では辞書を片手になんとかコミュニケーションをとることができるようになりました。

 事故からはや1年3ヶ月がたち、お姉さんは病室の固いソファで寝泊りしながら、今も毎日妹にマッサージをし、車椅子に乗せて散歩をし、音楽を聞かせ、少しでも刺激を与えて意識を回復させたいと、看護を続けています。私はこのお姉さんと接している中で、中国の女性の芯の強さ、大らかさ、優しさを感じました。また、家族の強い絆にも胸を打たれます。

 去年12月15日、中国在大阪総領事館において、長年中国人留学生の生活や学業の支援をしてきた日本人に対する表彰式が行われ、私もそこで表彰をしていただくという栄をうけました。これは、呂さんと信頼関係を築きつつ、支援というよりも良き友人としてのかかわり方を良く知ってくれた岡山県中国人留学生学友会の学生が私を推薦してくれたことによるものです。言うまでもなく、私などよりも、長年日中友好活動、留学生への援助をして来られた方が大勢おられ、私などが表彰されるのは、少々おこがましいことであったようにも思います。しかし、私はこのことを「これを機に益々日中の相互理解のために、尽力するように」というメッセージととらえ、感謝の気持ちを持って表彰を受けました。今や私にとって「中国」は特別な国になりました。そのこともあって、今年に入ってすぐ、当協会にも入会させていただきました。

 これからも、人との出会い、人とのつながりを大切にして、中国の方々との交流、また協会の活動にも積極的にかかわっていきたいと思っております。新米会員ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、前述の呂さんですが、未だ事故の賠償問題が難航しており、解決のめどがたっていない状況です。私共の団体の弁護士も入り、他の友好団体、学友会や現在入院している病院のスタッフの皆さんも共に、1日も早く安心して中国に帰れるようにしてあげたいと願っているところです。
 
 今後、当協会の松井事務局長はじめ、会員の皆さまのお知恵やお力もぜひお貸しいただければ・・・と思います。重ねてよろしくお願い申し上げます。

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活動日誌
12/25 会報「岡山と中国」188号発行
1/17 第4回理事会
1/28 2008年度総会準備委員会
2/9

2008年度定期総会・新春特別講演会・日中友好新春互礼会開催

会員消息  
【入会】
黒住昭子さん(岡山市尾上)
高達志さん(赤磐市下仁保)
古新和美さん(岡山市北方)
井上峰一さん(倉敷市二日市)
井尻昭夫さん(岡山市津島京町)
石井一志さん(岡山市今村)
髙木文彦さん(岡山市平田)
秋山治道さん(倉敷市藤戸町)
尾崎敏之さん(倉敷市児島田の口)
岡田茂さん(岡山市番町)

先憂後楽
 井原の興譲館高校と言えば、高校女子マラソンで全国一、そして今春のセンバツ高校野球で見事岡山県代表で甲子園出場を果たした高校ということが思い浮かぶ。しかし、この学校が校是としているのが中国江西省九江市にある白鹿洞書院掲示であることはあまり知られていないのではないか。

 白鹿洞書院は、中国南宋の時代(1179年)に、理学者で教育者の朱熹が興し、講義式の教育で儒家伝統の倫理思想を基礎とした巨大な理学体系を打ち立てた書院である。(「人民中国」紙から抜粋)

 興譲館高校は、1853年に後月郡(いまの井原市)の領主である一橋家の友山勝次によって開設された郷校「興譲館」を基礎としている。初代館長に招かれたのが坂谷朗盧で、彼は、儒学の教えを人間教育の基本とし、中国宋の儒家である朱子(朱熹と同じ)が白鹿洞書院に掲げた掲示を興譲館の校是とした。

 いま、興譲館高校では、人間力の育成を更に強めるため、白鹿洞書院との交流を本格的に始めようと、代表団の派遣や学校交流校の選定などの作業に入っている。

 折りしも中国が和諧社会実現のために孔子孟子の儒学を推奨している時期に、「逆輸入」的な興譲館の中国との教育交流は大いに歓迎されるに違いない。

 スポーツで全国区になりつつある興譲館が、朱子学を通じた人間力育成の場として更に名声を博し、文武両道の学校として発展していくことを期待している。(松)



「岡山と中国」
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