岡山と中国 2010年1月
平成22年1月
  200号


発行人 片岡和男
編集人 松井三平
2010年 年頭のご挨拶
観光客の誘致にも協力                      岡山市日中友好協会 会長 片岡 和男
 
 新春を迎え、皆様、明けましておめでとうございます。新しい抱負をいだかれていらっしゃると思います。

 日本もアメリカも政権交代、岡山市は政令指定都市に移行しまして、時代は大きく変わりました。政治・経済・生活環境など順調に推移することを願うものであります。

 岡山市日中友好協会の昨年はめまぐるしい1年でした。4月の訪中団には、私、都合で同行できませんでしたが、綾野富美子団長のもと、訪問して頂きました。

 牡丹祭、世界切手展に参加され、さらに小浪底植樹開幕式に参加され、西上忠志会員には協会などの援助で新築された申窪小学校の活気ある現在の姿を視察されました。

 6月4日には日中友好の架け橋であった郭沫若氏の展示会で娘さんと会話が出来ました。11月3日には中山時子先生の中国語学習法について、耳より入り細胞で受けとめるべきとの熱弁の講義を頂きました。

 また、11月21日には中国残留孤児の体験から中国の養母のことなど、日中友好「遥かなる絆」城戸さん父・娘トークは感銘を受け盛況裡に終わりました。
 
 新たに入会された方々、ご紹介してくださる方々、有難うございます。そしてチャットに投稿いただいた中島豊爾先生には有益な経験談をお書き頂きました。日中協力によろしくお願いいたします。

 高谷茂男岡山市長様には洛陽よりの観光客の誘致についてのご提言をされています。ご協力してゆきたいと思います。また、日中友好団体のネットワークは大変良い案であろうと思われます。

 さて、2011年は岡山市・洛陽市友好都市締結30年、岡山市日中友好協会設立30年になり、様々な記念行事が行われる予定であります。

 更なる両市の経済・文化・福祉などの交流の増進が望まれます。

 皆様のご支持、ご協力を念願し、ご健康、ご多幸をお祈りいたしまして、年頭のご挨拶といたします。

得難い発展のチャンス                    中華人民共和国駐大阪 総領事  鄭 祥林
 
 新春を迎えるに当たり、中華人民共和国駐大阪総領事館を代表し、片岡和男会長をはじめとする岡山市日中友好協会の皆様に謹んで新年のお慶びを申し上げます。

 2009年は中華人民共和国成立60周年という節目の年でした。ここ60年、とりわけ改革開放30年来、中国は国家の近代化で大きな進展が見られ、国民の生活が著しく向上し、安定、調和、繁栄、向上の局面が切り開かれています。

 中日関係も厳しい政治的試練を乗り越え、新たな歴史的スタートラインに立っています。両国は戦略的互恵関係の下、互いに協力パートナーとなり、得難い発展のチャンスを迎えています。

 岡山市日中友好協会は長期にわたり、中日友好の信念を貫き、弛まぬ努力を払い、中日民間友好のために積極的な役割を果たされてきました。

 また、様々な交流活動を通じて、岡山市と中国との国民同士の相互理解と信頼を増進させるために大いに尽力されました。

 ここに、改めてこころから敬意を表します。今後とも引き続き、中日友好のため皆様とともに努めていく所存であります。
 結びに、片岡和男会長はじめ岡山市日中友好協会の皆様のますますのご健勝とご活躍を祈念しまして、新年のご挨拶とさせて頂きます。
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岡山、洛陽両市長が祝賀メッセージ
水と緑が魅せる心豊かな庭園都市-幅広い分野での交流を継続-      岡山市長 髙谷 茂男
 
 新年明けましておめでとうございます。

 皆様方におかれましては、希望に満ちた輝かしい新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。

 平素から、洛陽市との交流など、国際友好交流事業をはじめ市政全般にわたり、格別のご理解とご協力を賜り、厚くお礼申し上げます。

 とりわけ、貴協会が本市における日中民間交流の中心的役割を担われ、幅広い分野で実りある成果を上げておられることに対し、改めて深く敬意を表するものであります。

 昨年は、中華人民共和国建国60周年を祝し、中国国内外で祝賀行事が行われました。本市においても、岡山市友好訪中団が洛陽市を訪問し、私も団長としてこれに加わり、郭洪昌洛陽市長をはじめとする関係者の方々と会談しました。

 洛陽市は、「水在城中(都市の中に水がある)」「城在緑中(緑の中に都市がある)」「人在景中(風景の中に人がいる)」を目指して、都市整備を進めておられます。

 「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」を都市ビジョンに掲げる本市と多くのまちづくりの共通点を再確認できました。

 このほか、国際友好交流都市「中国・洛陽の風景展」の開催、「洛陽牡丹祭り」等の開催に合わせた貴協会からの訪問団の派遣など、幅広い分野での交流が継続しておりますのも、貴協会の多大なお力添えのおかげであり、皆様方には、今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 また、昨年は本市にとって、全国で18番目の政令指定都市に移行するとともに、市制施行120周年の節目の年でもありました。

 移行して2年目を迎えます本年は、権限や財源、恵まれた地域特性を生かし、都市ビジョンに掲げる「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」並びに「中四国をつなぐ総合福祉の拠点都市」という2つの都市像を目指して、さらに着実に前進する年にしていきたいと存じます。

 子どもや孫の世代が郷土に誇りや愛着を持ち、この地で幸せに暮らしていけるまちづくりに向け、皆様には、変わらぬご支援と本市のまちづくりへの一層積極的なご参加を賜りますようお願い申しあげます。

 年頭にあたり貴協会のますますのご発展と会員の皆様方のご健勝、ご多幸を祈念申し上げまして。新年のごあいさつといたします。 

「一枝華夏韻、四海洛陽春」友誼の花-中日の友好の旗を高く掲げよう-    洛陽市長 郭 洪昌 
 
 「春が近づき、森羅万象が新たまる」新年を迎え、喜ばしい時節に際し、私は洛陽市人民政府並びに市民を代表し、岡山市及び岡山市民に対し、謹んで新年のお喜びを申し上げます。

 洛陽は黄河文明の揺りかごであり、河洛文明の発祥の地でもあります。

 「千年の都、牡丹の都市」というキャッチフレーズのとおり、文明の歴史は5000年、都市の歴史は4000年、都としての歴史は1500年にのぼるというふうに、歴史の重みを感じさせられる文化の薫る聖なる都市です。

 洛陽は古くから「河山が拱戴し、景勝天下逸品なり」といわれ、風光明媚で傑出した人材を輩出しています。文化的香りが高い上に、優れた自然にも恵まれ、歴史の重みと現代文明が映え合っています。

 岡山市は瀬戸内海に面し、旭川、吉井川などが市内を廻り流れ、日本三大名園の一つである後楽園などの観光地は人々に知られています。

 海と森林が観光客を魅了させ、人間と自然が調和共生し、住みやすい自然環境に恵まれています。

 親友は遠近と関係なく、万里離れていても隣人のように親しい。中日両国は一衣帯水の友好隣邦で、歴史文化の面において深い関わりがあります。

 岡山県で出土された「師は洛陽に出づ」という銘文の刻まれた鏡は洛陽が中国歴史上において初めて日本と関わった都市だということを裏付けています。

 洛陽は昔、日本との交流がもっとも多い都市だということも数多くの史料によって証明されました。

 昔からの度重なる交流が美しい友誼の花を咲かせることができました。28年前、洛陽市は岡山市と友好都市を締結しました。洛陽市にとって岡山市は海外と結んだ初めての友好都市で、洛陽と世界各国の友好交流の門が開かれました。

 以来28年間、両市政府と市民は友好都市交流に尽力し、経済、文化などさまざまな分野での交流と協力を絶えず拡大、深化してきました。これら双方の努力により培われた友情の樹木は、両市市民の心の中に深く根付いています。

 日本からの遣唐使、阿倍仲麻呂は詩の中でこう歌っています。「蓬莱(ほうらい)郷路遠く、若木 故園の林」。

 繁栄と発展は我々の共通の願いです。我々は岡山市と今より幅広い分野での更なる交流と協力を期待しております。

 「一枝華夏韻、四海洛陽春」。牡丹は洛陽市の看板であり、洛陽と岡山の友情を結ぶ重要な使者でもあります。

 両市の友誼は牡丹のように色とりどりで、クロガネモチのようにいつまでも青々として枯れることなく続きますことを衷心より祈念します。

 互いに努力し、中日友好の種を撒き、中日友好の旗を高く掲げましょう。
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中国残留孤児「父娘」トーク 貧困蔑視の中で生活  養母を思うと涙涙涙
父の足跡をたどる娘 「牡丹江」を望み感慨
 中国残留孤児を扱ったNHKドラマ「遥かなる絆」をテーマにした父娘トークが、当友好協会の主催で11月21日、岡山市の山陽新聞社さん太ホールで開かれた。

 会場には約200人が詰め掛け盛況。旧満州からの引揚げ者の姿も見受けられ、体験の伝承と相互理解の重要性をあらためて感じさせた。

 登場したのは、ドラマの主人公で中国残留孤児だった城戸幹氏(68)と、その娘でドラマの原作者、城戸久枝氏(33)。

 幹氏は1941年、軍属だった両親の元に旧満州で生まれ、終戦の混乱で両親と生き別れ、中国人養父母に育てられた。中国名は「孫玉福」。

 高校卒業当たりから日本人を自覚し帰国運動を開始、苦難の中で両親を捜し当て、日中国交回復前の1970年に帰国を果たした。

 久枝氏は、幹氏が帰国してから結婚、1976年に生まれた二女。徳島大学在学中に吉林大学に2年間留学。2007年、父の歩んだ歴史をたどった「あの戦争から遠く離れて-私につながる歴史をたどる旅」を執筆、講談社ノンフィクション賞などを受賞。ノンフィクションライターとして活躍している。

 ドラマは、NHKが久枝氏の原作を基に制作し平成21年4月から5月にかけて放送。大きな反響を呼んだ。

 トークは、娘の久枝氏が父・幹氏に問いかける形で進められた。引揚げ途中でソ連軍の攻撃を受け親子生き別れになった状況、中国人にもらわれての幼小時代のこと、頭道河子村での貧困・蔑視の中での生活体験、日本への思い、肉親捜しの体験など、スライドなどを交えて話した。

 幹氏は「ここにおられる方々は、終戦の経験をされた方が多いと思います。私もその中の一人です。けっして不幸というものは私一人のものではありません。私以上に苦労された方もたくさんおられると思いますが、とりあえず私の半生のことを話したい」。

 途中、養父母や親切にしてくれた人たちのことに話が及ぶと涙ぐむ幹氏。旧満州からの引揚げ経験者らは、自らの実体験とダブらせ、目頭を押さえる姿も見受けられた。

城戸久枝 父と歴史を語る   城戸久枝氏メッセージ
過去の体験を伝えよう 若い世代に引き継ごう
 私は、父の経験を本にするために10年くらい取材をしてきました。学生時代には2年間、父の過ごした中国・東北地区の大学に留学もしました。そこでいつもぶち当たった問題は、日本とか中国といった「国」という問題でした。いろんな場面で遭遇しました。

 「過去の戦争」のことについて問い質されたこともありました。しかし、私自身、その問い掛けに対し、どう言ったらよいのか答えられませんでした。

 その経験を通じて、私が感じたことは、本当の子どものように育てられた父と、その養母との関係は、私たちが言葉にすることができないくらい深いのではないか、ということでした。

 そういう人と人の関係と、「国」というものは関係ないのではないかと思うのです。日本とか中国とかいう「国」を個人が背負ってしまうと、一人ひとりの顔が見えなくなってしまいます。

 「あなたと私」という常に相手が見える立場になって、お互い歩み寄っていかなければならないのではないでしょうか。

相手が見える立場になりお互い歩み寄らないと
 現在、日本で中国のことをいろいろ報道されていますが今一つ分かり難い。同じように、中国でも日本のことを本当に知らないのだと思います。お互いにお互いをまだよく知らないのです。

 この取材をする中で、私は父が育った頭道河子村(牡丹江市郊外)の牡丹江の川岸に立ってみました。父にとっては、夢にもうなされるようなつらい思い出の川なのです。

 すると、不思議に懐かしいような気持ちになったのです。私にとっては初めての土地なのに…。ゆったりと流れる川と同じように、大きな歴史という流れの中に私たち家族もおり、この中に私は生きているのだと実感しました。

 そういう風に感じることができて初めて、父のことが少しだけ理解できたように思えました。

 戦争とか満州とか残留孤児とか、つらい体験をなさった方は多いと思います。しかし、今の時代、若い世代にはそんな歴史のことについてなかなか伝わっていません。

 なんとかこれら体験を若い世代が引き継ぎ、また次の世代へと伝えていかねばなりません。そのためにも、体験なさった皆さんには、簡単には言えないことかもしれませんが、ぜひ伝えてほしい。

 また、日本と中国の交流は意外に進んでおらず、知っているようで知らないことが多いのです。人間同士の付き合いをもっと続けるべきだと思います。

 人間同士の理解を進めていく以外に真の友好・交流はありません。例えば、日本人の若者は、どんどん中国の家庭にホームステイすべきだと思います。

 私は今、中国からの3人の女性引揚げ者を取材しています。体験は皆壮絶です。私は若者の代表の一人として「次に伝える」役割の一端を担えればと取り組んでいます。
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中山時子特別講義より
私が歩んだ道と中国語(上)
              お茶の水女子大名誉教授 中山時子
まず聞き、身体で覚えよう
 

私は母の胎内で聞かされた


 私は1921年(大正10年)生まれです。父が三井物産に勤めていた関係から、幼い時から中国暮らしで、小学校2年の時、上海事変(昭和7年)勃発により強制帰国させられました。

 東京で女学校を卒業し、「何かやりたい」と昭和16年、上海にいた父を頼って単身中国に渡り勉強したのです。私が今日ある背景について、少しお話しします。

 私が母の胎内にあった時、両親の実に楽しそうな「あ、あ~、あ-」という声が聞こえていたのです。産まれてからも朝と言わず夕と言わず、聞かされたのです。

 後に分かったのですが、これこそ両親が中国語の発声(四声)のおけいこをしていたのです。私はそれを腹中にあっても聞いていたのです。ありがたいことだったと思います。

 上海事変のため帰国させられ、私は小学校、中学校を卒業し旧制の女学校(青山女学院)に入学しました。そこでまた重要な体験をするのです。

 入学初日の第1回目の授業でした。英国人の先生の英語の授業で、その先生は日本語ができない人でした。紹介した先生は「しっかり聞いていればよい」とおっしゃっただけ。私たちはびっくり、大緊張しました。

 英人のその先生は、なにやら色紙を出され「レッド」とか「イエロー」とおっしゃり、次に各生徒ひとり一人に質問されたのです。

 私の番では、何か色のことを問われたと思います。私は、この色の紙を取れと言われたのだなと思い、スッとその色の紙を抜いたのです。

 正解だったのですね。褒めてくれました。嬉しかった。ほとんどの人が出来ませんでした。私にとって極めて感激的なことで、私の生涯を決めるような体験でした。英文法の先生も厳しかったのですが、英語は楽しくてしかたなかった。

 女学校卒業に当たって、私は「英語も好きだが、誰もしないことをやりたい」と決意し、中国語をすることにしました。

 昭和15年旧正月だったと思います。父に連れられ上海から北京に行き、清水安三先生(桜美林学園創始者)を紹介され、預けられたのです。

 北京の朝陽門外にあった崇貞学院(清水氏が創立)でした。

 20歳くらいの娘が一人ぼっちで学校の寮みたいなところに入れられました。清水先生曰く「ワシの言うようにやればよい」「言葉をまず聞け」-。(次号へ続く)

県日中教育交流協議会
江草氏が記念講演 まず仲良くしよう
 岡山県日中教育交流協議会(岡田浩明会長)の創立10周年記念講演会が、11月28日、岡山市北区伊島町3丁目1-1の岡山県生涯学習センター大研修室で開かれました。

 同協議会名誉会長でもある江草安彦氏(川崎医療福祉大学名誉学長)が「日中医療福祉そして教育の交流」について講演。

 江草氏は、自身のフランス留学中の体験を踏まえて「私は30歳代のころパリの病院で研修しました。そこで言われたのは、平和は子どもたちが交流することから始まる、ということでした。そして、帰国する時に、お礼をどうしようかと聞くと、あなたが研修に満足したのなら帰国してから、そのままを海外からやってくる研修生らにしてあげて欲しい、といわれました。これが私の活動を支える原体験です」と披歴。

 そして、交流について「交わることの重要さが分かって頂けたと思う。国と国との関係と、友人の関係は別だ。ささやかな努力でも、しているうちに変わってくる。出来ることからする、そこから始めればよい。それにはお互いがまず仲良くすることです」と強調されました。

 講演会には、同協議会の会員をはじめ関係者ら約100人が参加。江草氏のユーモアたっぷりの話に聞き入り、交流活動の意味合いをかみしめていました。

新刊紹介 「甲骨もじであそぶ」 絵本を出版
 
 漢字の源流ともいえる甲骨文字をやさしく絵本にした「甲骨もじであそぶ ちゅうごくの十二支の ものがたり」(東京・JULA出版局)=写真=が、出版された。

 著者は、書家で甲骨文字研究で知られた故欧陽可亮氏の長女、関登美子さん。父親が子供を膝に乗せて、甲骨文字を示しながら、子どもに楽しく文字を教えたり、干支の話をするとの構成。

 親が子供の年齢や興味に合わせて話せばよいため、幼児から小学生まで、幅広く楽しめる。「親子のコミュニケーションに活かされれば」と中山時子氏も推薦している。

 変形、32ページ、1,200円。岡山では主要書店に注文すればよい。
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会員消息
【入会】
阿部喜恵子さん(岡山市)
宗政富美男さん(岡山市)
赤木陽一さん(岡山市)

先憂後楽
 NHKの特集番組「チャイナパワー」を見た。中国が、世界一の外貨保有を背景にして、政府の後ろ盾によりすさまじいばかりの海外進出の攻勢を取材していた。

 アフリカへの携帯電話の独占的進出、資源確保、世界的規模でのM&A(企業買収)。いまや、世界経済をリードしているのは間違いなく中国であるということをまざまざと見せつけていた。
 
この中国と私たちは市民レベルでの友好の絆を結ぼうとしている。何をもって友好をすればよいのかと、逡巡としていた時に、協会が今年取り組んだ行事に登場いただいた方々の言葉を思い出した。

 中国語の日本での最高権威者といっても過言ではない中山時子先生は、日中交流のあり方に触れ、うわべだけの交流はやめなさい、中国語を勉強して、中国をもっともっと理解すべきと訴えられた。「遥かなる絆」の父娘トークの最後に城戸久枝さんが、日本とか中国とかという「国」を個人が背負ってしまうと、一人ひとりの顔が見えなくなる、「あなたと私」という立場になって歩み寄っていかねばならないのではないでしょうかと客席に問いかけた。そして、日中教育交流協議会の十周年記念講演会で江草安彦氏は、フランス留学中に学んだこととして、歴史的に戦争が絶えなかったドイツとフランスが、子供の交流を通じて平和になっていったことを例に挙げ、交わることの大切さを強調された。三者三様の表現ながら、私たち民間の友好団体が拠り所とすべきキーワードが潜んでいるような気がして勇気づけられた。

 本年も会員の方々と力を合わせて、協会と友好事業の前進のために力を尽くしたいと思います(松) 


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