岡山と中国 2010年6月
平成22年6月
  203号


発行人 片岡和男
編集人 松井三平
協会招聘「洛陽市医療視察団」来岡 
     岡 山
     洛 陽 
 医 療 交 流 を 促 進
岡大病院/岡山旭東病院/済生会を訪問 
「友好病院」の提案/岡大は協力提携に意欲 
  岡山市日中友好協会招聘による、6名の医療視察団が、5月25日より岡山市を訪問。岡山大学病院、岡山旭東病院、済生会ライフケアーセンターを訪問し、視察交流を深めた。

  一行は、洛陽市の朱其昌衛生局長を団長とし、洛陽中心病院、河南科技大学附属第二病院、同第三病院など、洛陽市内の主要な病院院長を団員とするメンバー。視察先では、病院経営管理をはじめ多岐にわたって質問しながら、現場を視察した。

  協会からは、土井理事、黒住理事、松井事務局長が随行し、洛陽出身の岡大医学部大学院留学生の鮑静さんが通訳として同行した。
 
高谷岡山市長らを表敬訪問 
市長表敬訪問
 

  訪問団は25日、上海岡山便で入国。一番に高谷茂男岡山市長を表敬訪問した。

  市長室では高谷市長をはじめ、佐古副市長、磯野岡山洛陽友好都市議員連盟会長らが出迎え歓談した。 


岡大病院は協力提携に意欲 
  26日午前中に、岡大病院を訪問。森田潔病院長は、病院の状況を説明した中で、小児心臓移植手術について、ベトナムと締結した協定を洛陽市とも提携したいとの意向を表明した。これに対し、朱局長は洛陽市中心病院を窓口として対応したいと応えた。
 
岡山旭東病院を訪問・見学 
  26日の正午過ぎ、一行は旭東病院に到着し、土井院長ら関係者の熱い歓迎を受け、早速昼食会に臨んだ。
  メニューは、京料理の一流シェフによるオリジナル松花弁当で、料理が運ばれると彩り豊かな日本料理に訪日団も感激していた。
旭東病院見学
 

  病院の紹介ビデオが上映された後、土井院長がプロジェクターを使って補足説明。訪日団からは、取扱高、収益率、人件費比率、人事考査、資産内容、患者負担の中での保険割合など、多岐にわたる詳細な質問が出たにもかかわらず、丁寧な回答がなされた。   また、スタッフを大切にする土井院長の経営理念に対して、洛陽へ来て指導してほしいと要請があるなど、大いに共鳴していた。 

旭東病院を“友好病院”に! 
  訪日団は、レクチャーを受けた後、PETやサイバー手術機など、最先端の医療設備や院内を見学した後、お礼の挨拶を行った。
  その中で朱局長から、土井院長に対して「岡山洛陽友好病院」に推薦したいとの言葉が出た。今後、岡山と洛陽の医療交流促進に大きな役割が期待される。 

済生会ライフケアーセンター訪問 
  27日9時に到着した一行は、平松管理者らの出迎えを受け、全体概要説明を受けた。介護保険制度などについての質問が相次いだ。施設見学では、有料老人ホームやデイケアーの様子を興味深く見学していた。

“カンペイ”で心からの交流 
  来日初日の夕食会は、協会主催による歓迎会。チャイニーズレストラン『福幸』で行われた会には理事や4月の協会訪中団団員ら25名が参加し、一行を歓迎した。
  また、二十五弦琴ユニット「心花」さんによる歓迎演奏が行われ彩りを添えた。洛陽の地酒『杜康酒』でカンペイが繰り広げられた。

  二日目の夕食会は神道山の「茶屋」で行われ、一行は大元鍋に舌鼓をうった。
  一行は、岡山を離れた後、橿原市、京都、東京を訪問し、30日に帰国した。
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支援
報告
 程さんの骨髄移植成功
         がんばれブンちゃん!
  程(てい・ぶん)さんに対する骨髄移植手術は、5月12日午前1時から、倉敷市内の総合病院で行われた。
  骨髄は、11日に同病院の血液内科主任部長が自ら現地へ航空機で取りに行き、日本到着後すぐに岡山へ移送され、処理をされてから手術となったもの。

  手術は、点滴の方法で慎重にゆっくり時間をかけて行われ、2時間ですべて注入され無事終了した。病院には福山から駆けつけた両親、程さんを支援する会の岩谷さん、協会から黒住理事と松井理事が立ち会った。
支援募金150万円を手渡す
 

  病院の特別の計らいにより、家族しか入れない部屋から電話で激励しながら落ち着いた雰囲気で行われた。移植された血液型と元々程さんの血液型は異なると聞いた両親が「性格が変わるかも?」と冗談も飛び出すほどの雰囲気だった。
                       
 
贈呈には協会理事の土井、黒住、家野、松井が同行。総領事館から領事の趙大為、王君朝、アタッシュの孫林各氏が駆けつけた。

  以下、移植コーディネーターの遠藤智子さんから届いたレポートを承諾を得てご紹介します。
○移植レポート○       そっと見守って!
  ブンちゃんの経過をお伝えします。5月11日に無事に移植を終え、3週間が過ぎました。ブンちゃんは精神的不安が強く、母親と離れることができず、バイオクリーンルームから直ぐに、一般の移植ユニットに出ました。
  感染などが懸念されたのですが、無事にドナーさんの骨髄液が生着し、白血球がどんどん増えてきています。

  ただ、生着に伴う様々な症状が起こり、息苦しさや倦怠感のため一日のほとんどを臥床して過ごしています。食欲がなく、食べれそうなものを少しずつ食べている状態です。移植直後は、生ものや、食べてはいけないものがあります。
  「こんなにしんどいとは思わなかった」と悲観したり、「早く良くなって学校へ行きたい」と意欲を見せたり、しんどさと戦いながら、それでも前向きに頑張っています。

  お母さんは仕事をずっと休み、ブンちゃんに付き添っています。お母さんの方が疲れているように感じます。
 お母さんの収入もなくなる上、付き添いをされているぶん、見えない出費も発生しているのではないかと心配しています。

  病状が安定するまでまだ時間がかかるかと思いますので、そっと見守っていていただければ幸いです。
  また、随時ご報告させていただきます。 (遠藤智子) 

特集 岡山市日中友好協会2010年「訪中団
   洛陽・西安・上海で熱烈歓迎の波(4/7~4/12) 
一片冰心在玉壺に干杯     我らみな「老朋友」
                         副団長 黒住 昭子
漢詩を諳じる黒住さん
 
  引き続き、2回目の訪問となった洛陽。今回は西安から、開通したばかりの「新幹線」に乗って洛陽に入った。
  駅では去年もお世話になった洛陽市人民政府外事弁公室の面々が出迎えてくださり、懐かしい再会となった。 
 
  岡山市日中友好協会訪中団の特徴のひとつに、この地元の外交担当者の方々との交流が挙げられる。
  皆さんは私たち訪中団のメンバーを「老朋友(古くからの友人)」として温かく迎えてくださり、二度、三度…と訪問を重ねるごとに、本当にその意味合いを感じることができるのが、訪中の楽しみでもある。そして歓迎の宴席を設けて頂けるのも、協会訪中団ならではである。

  今回、洛陽では、洛陽市長主催の歓迎レセプションをはじめ、3回ものおもてなしを受けた。
  中国の習慣に従い、アルコール度数50度を超える“白酒”が「干杯!」の言葉と共にあちらこちらで酌み交わされ、飲める人は一気に飲み干し、飲めない人もそれぞれにその雰囲気を楽しむ。
  そうしながら、場がしだいに和み、より親しみを感じて「老朋友」になっていくことを感じることができる。

  洛陽人民対外友好協会の歓迎会では、メンバーの方が尺八の演奏をしてくださり、日本文化の一端を披露することができた。得意のハーモニカを吹いてくださった方の「北国の春」に合わせて、日中両国、皆で大合唱になった。
  私は洛陽にまつわる「芙蓉楼送辛漸」という唐詩を暗誦した。岡山で知人の中国の方に発音を直して頂きながら、何とか憶えて行ったのだが、いざその場になると“白酒”のせいもあってか、暗誦も心もとない感じになりそうであった。

  しかし、詠み始めるとすぐに中国側の皆さんは何の詩かわかって、中にはうなずきながら一緒に詠んでくださる方もあり、最後の「一片冰心在玉壺」という有名な一節では、中国側の皆さんが大きな声で言いつつ皆立ち上がって「干杯」の声があがり、大きな盛り上がりとなった。
  予想以上の反応に、とても嬉しく感じると共に、皆さんがいかに洛陽の歴史や文化を愛しているか、またその文化が人々の心にしっかりと根付いているかを知ることができ、感銘を受けた。

  このような心の通いあう交流ができたことが、今回の訪中を更に実り豊かなものにしてくれた。これは、我が友好協会が継続して培った地元の皆さんとの信頼関係があればこそである。
  これからも洛陽との友好関係をしっかりと継続し、発展させていきたいという思いを新たにする旅であった。
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訪中旅行記・西安の巻    大雁塔は傾いていた 
                          団員 池田 武久
  4月7日、岡山空港で総勢26名全員の顔合わせを行った後、中国東方航空機で上海に向かった。
  上海浦東空港から、以前より拡張されている紅橋空港に移動して国内線の飛行機で西安に向かった。

  機内食が出たが西安でまた夕食を摂ってから四つ星の西安柴金山酒店に入ったのは夜9時を廻っていた。中国標準時間は西安を基準にしていると初めて知った。
  翌8日は8時にホテルを出発し世界遺産の兵馬俑博物館、華清池、大雁塔、吉備真備記念園を順次観光した。

  華清池は玄宗皇帝と楊貴妃が仲睦まじく過ごした温泉の地である。私は此処に来るのは3度目だが今回はグラマーな楊貴妃像といっしょに心花のお二人と写真が撮れて良かった。
  此処は蒋介石が一時期張学良によって軟禁された西安事件として有名な所でもある。

  次いで玄奘三蔵法師が往復17年かかってインドから持ち帰った膨大な量の経典を翻訳して納めた大慈恩寺の大雁塔に行った。
  塔は付近の農民が掘った井戸が原因で傾いたが現在は斜度約1メートルまで回復しているそうだが云われてみないと気が付かないくらいだ。

  次は弘法大師空海が恵果阿闍利から密教を学んだ清龍寺を参拝した。世に云う四国八十八寺の番外の〇(ゼロ)番だそうだ。

  最後は、我が郷里、縁の吉備真備記念園に行った。私は一昨年、盛大な建立20周年記念の式典に石井県知事以下の県民訪中団に参加して西安名誉市民のキイを貰った。尚日本語のひらかなは空海が、かたかなは吉備真備が作ったと聞いた。

  そしてこの夜は西安市人民対外友好協会の交流会があった。翌朝我々は開業間もない高速鉄道で洛陽へ向かい僅か一時間半で到着した。

嫁の父母と再会・親交   純真素朴な子供たち
                        団員 村田 多由
  日中友好訪中団に私は知人から誘われ参加しました。西安では、息子の嫁の父母と久しぶりに再会し親交を暖めました。
  初めての洛陽では、洛陽師範大学音楽学院での、「心花」さんの二十五弦の箏の盛大な演奏、「心花」さんと学生さんによるすばらしいジョイントコンサートには感銘をうけました。

  申窪村希望小学校訪問では、素朴で純真な子供達に会えて、心が和みました。中国の発展の裏で、こういう田舎もあることは考えさせられましたね。高塚先生が子供達に、大きくなったら岡山へ来て下さいと話されたのは感銘でした。
河南科技大付属第一病院前にて
 

  洛陽牡丹フェスティバルに特別参加できたのは、大きな感激でした。こんなところにも、友好協会の実績を垣間見ました。洛陽で岡山市長の高谷茂男さんにお会いできたこと、私が中国語を習っている西川アイプラザの張主任が、私に手を振ってくれたことも感激でした。

  また、河南科技大学附属第一病院長主催の歓迎昼食会も良かったですね。たまたまバスで同席した、済生会総合病院に留学していた張淑梅さんとの中国語混じりの会話も楽しかった。  

  盛大な歓迎を受けるにつけ、岡山市日中友好協会の歴史とその実績を思い知らされて、私には何か場違いの感じがしましたが、参加できた事を大変嬉しく思いました。 

申窪村小学校を訪ねて  桐の花、驀進する中国
                       団員 高塚 幸巳
  西安から洛陽へ、12年前の申窪村小初訪問と同じコース。変わらぬ車窓からの桐の花は、其の時頭に浮かべた事を甦らせる。
  幼き私の家の庭の桐、その下の貧窮の戦後の生活。桐の花は、中国の人々の「貧しさ」をも重ね合わせ連想させるものだった。

  干支一巡し見る桐は、ひび割れたガラスの車窓からではない。ぴかぴかの新幹線からの桐の花は、その上至る所にあがる高層建築のクレーンと対になり「驀進する中国の都市」をアピールする。
  13億余の中国の人々。私が知る僅か4人。刺身を奇妙な表情で飲み込む新安県教育長の韓さん、早朝私の妻の朝食を手伝う相校長、9歳にして物おじしない程君、算数が99点だったと来日後も嘆く陳さん。数日一つ屋根で寝食を共にした彼ら。会いたい。

  申窪村小学校の前でバスを降りる。おお!相さんがいる。私達は抱き合い手を取り合い、子供達の歓迎の列の間を歩く。
  寒風の中、幼子等が黄土に染みた一張羅姿で、足をハの字に直立。西上夫妻や陵南小の地域の人からのパソコン寄贈や髙木さんからの贈り物の式に臨む。式後、閉ざされた校門の外に村人にまじり陳さんの祖母がいる。彼女は今入院していると聞き胸が痛む。

  夜、訪中団の皆さんとは別れ西上夫妻と宴に招待される。其処に韓さん夫妻や新安県教育委員会の幹部、相さんや現校長さんがいる。韓さんは今洛陽市教育副局長とのこと。彼の企画のびっくりパーティである。翌日も韓夫妻から役所見学と昼食の接待を受ける。
  いつの日か申窪の黄土の大地に5人で手をつなぎ、時を気にすることなくぴょんぴょん跳ねたい。そんな私のこし方を全て凝縮したような一瞬を夢想し、韓さんの分厚い胸を感じつつ別れた。
 
龍門石窟・関林見学   英傑たちの声が…
                     団員 室賀 康史 
白馬寺を見学
 
  洛陽は、曹操、劉備、孫権の三国時代を強く匂わせる街で、世界遺産の龍門石窟にはたいへん感動しました。その雄大さ、数の多さ、細かさに驚き、黄河のほとりで眼をとじれば、英傑たちの声が聞こえてきそうでした。 

  続いての関林見学はすばらしかった。何しろあの関羽雲長の首塚がある所で、ここでは関羽は神として祭られていました。世界中どこにでもある関帝廟、学問の神様としての関羽がデーンと中央に鎮座していました。

  午後の洛陽師範大学音楽学院ホールでの「心花」合同演奏は大成功でした。ぴったりと合った音は、日本と中国が融合されたようでまさに日中友好そのものでした。
  夜には洛陽市長の歓迎レセプションがあり、韓国の方、ロシアの方、また、奈良県橿原市から橿原市議会議員の方も来られていました。 

  翌十日は洛陽新区体育広場での洛陽牡丹花祭り開幕式に特別参加させて頂きました。ここには岡山市長の高谷茂男氏もお見えになり、皆で歌に、舞に、空中雑技にと楽しいひとときを過ごしました。

  その後、申窪村希望小学校を訪問、新安県中窪村にある小学校で熱烈大歓迎を受けました。かわいい小学生の皆さんが旗を手に手に迎えて頂き感激すると共に、西上さんや高塚さん達の行われてきた支援に心温まる思いがしました。

  小学生や学校の先生、村の人々のお顔がとても輝いていたのが印象的でした。なんだか優しい空気に包まれながら村を後にしました。夜には洛陽市人民対外友好協会との会見及び歓迎夕食会があり白酒による「カンペー、カンペー」の嵐。本当に中国の人達は熱烈です。

  翌日は白馬寺を見学。大きなお寺で廻りきれなかったが、皆さん何度もこられているようで住職様からお茶までいただく歓迎ぶりで、普段は見られないところまで拝見させて頂きお土産までちょうだいしとても良い思い出になりました。
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洛陽牡丹祭り開幕式  凄かった、寒かった
                    団員 小郷原昌道・惠美子
  洛陽市の牡丹祭りの開幕式。外はすごい風で寒い。会場の新区体育広場まではそう遠くはないがバスを降りると「ぶるっ」と震えた。式場までがまた結構遠い。警官が大勢出て交通整理。人、人、人…まあ人の多いこと。

  厳重な警戒態勢の中、一段と高い特設観覧席の指定席に着いた。眼下の広大な体育広場には白い服に統一したマスゲーム員が約3千人、特設観覧席には招待客や政府高官が約6百人、それにズーッと向こうの特設大ステージで演技する者が4~5百人…大変な規模である。

  いよいよオープニングセレモニー。政府高官の挨拶の後、大ステージで舞踏団や有名歌手が次々と中国舞踊や歌を繰り広げる。盛大に花火は上がるし、舞踊も一ステージ約百人が踊るのだから迫力がある。

 大アドバルーンから宙吊りになった雑技団のメンバーが屋根より高い位置で空中演技を披露する……凄い!凄い!私は、規模の大きさ、熟練した踊り、女性はソプラノ、男性は凛と響くバリトン、応援隊のマスゲーム、集団の美……一つひとつに感動し、寒さも手伝って身震いしながら見入っていた。

  それにしてもノースリーブに腰まで開いたチャイナドレスの接待女性やスケスケ衣装の踊り子達は寒かろう。会場の外では夕刊が配られていた。「第28届洛陽牡丹花会今天正式開幕」「宏大的開幕式、気勢輝煌」などの見出しが目に付いた。
  私は初めて岡山市日中友好協会訪中団に参加した。初対面の方ばかりであったがすこぶる和やかな雰囲気で、楽しく貴重な体験をさせていただいた。

  片岡団長をはじめ副団長、幹事の名リードのお陰でほんとうに有意義に過ごすことができた。また、「心花」さんの二十五弦筝の特別演奏などもあって、普通の観光旅行では味わえない6日間であった。
 非常感謝?。 

私の“卒業”旅行   熱烈歓迎の子供たち
                  団員 山下 孝博
  このたびの訪中団への参加は、39年間のサラリーマン生活を終え、それに伴う慌しい状況と複雑な心境の中での“卒業”旅行となりました。
  訪中第一の関心事は、何といっても兵馬俑を訪れることでした。しかし、兵馬俑にしても龍門石窟にしても、期待感ほどではなかったのが残念でした。

 それは、期待感が大きすぎたこと、日本人にとっては馴染みがあるような遺跡であること、そしてテレビ・新聞・雑誌などで見慣れているせいかも知れません。特に、兵馬俑は、近代的な建物にすっぽり覆われて発掘現場と懸け離れた、まるで美術館の中であるかの感覚を受けたせいかも知れません。

  第二の興味は、申窪村希望小学校訪問でした。西安・洛陽とバスの中から垣間見る大都市の人々の活気とは裏腹に、貧しい村とは、そこの小学校とは、そして、そこの小学生はどのような様子なのかと、単なる観光地への物見遊山と違って、少しずつ何か惹かれるものが膨らんできました。

  我々一行が、申窪村希望小学校に到着すると、果してかわいい子供たちが両側に分かれて出迎えて、熱烈な歓迎を受けました。
 この日はあいにくの寒い天候の中、子供たちは恐らく30分、いや1時間以上も前から集まり、準備をしてくれていたのでしょう。

  4月15日の早朝にラジオを聴いていると、中国の貧困層は約1億5千万人であると報じていました。
 この村の人々やこの小学校の子供たちも、その層の中に含まれるのかどうかは知りませんが、国や地方の行政が及ばず、学問・芸術・スポーツなどさまざまな分野への教育機会が得られず、低学歴すなわち低生活を強いられることに繋がれば不公平で悲しいことだと思わずにはおられません。

  この小学校の素直でかわいい子供たちが大人になった時、いろいろな分野で一人でも多くが活躍していることを祈りたいものです。
  終わりに、今回の訪中団参加の旅は、出発前の不安はどこへやら、快適な旅となりました。片岡団長をはじめ素晴らしい団員の方々に恵まれ、また、中国を熟知された松井事務局長や現地の通訳・案内の良き方々にも恵まれたお陰だと感謝しています。皆々様、熱烈謝謝。

中国の歴史と文化   子供たちの笑顔が…
                       団員 難波 律子 
  昨年に引続き、日中友好協会訪中の旅に参加させて頂きました。実は前回の旅で中国の歴史、町並や人々の勢いのある活気に触れとても魅せられてしまったのです。

  2日目の西安では世界遺産の兵馬俑坑博物館へ。想像以上の壮大な規模で2千年も地中に埋まっていたとは思えない兵馬俑の多さ、兵や馬の表情の豊かさ。これが38年前に4人の農夫によって井戸掘りの時見つかりそのうち3人の方はまだ健在だと聞き、 広大な大陸中国ならではの規模に圧倒され、最初から驚きと感動の旅となりました。

  春の霞んだ空気の中の桐や柳の街路樹、町並は遥かなる昔の長安に思いを馳せるのに充分で、果し無く続く城壁を見上げ、唐の時代右大臣まで務めた吉備真備が遣唐使として、2回も長安を訪れ、18年も滞在したことなど、中国と日本の深い繋がりと悠久の歴史の流れを心から堪能しました。

  それから西安事件で蒋介石が捕われていた部屋、銃弾の跡、ここでは近代の壮絶な歴史を垣間見ての西安でした。
  洛陽で通訳の蔡さんがシルクロードの起点は洛陽だが、その先には奈良の飛鳥があると言われ日本と中国の歴史的に深いつながりに改めて感銘をうけました。

  最も感動したのが、申窪村希望小学校訪問で、とても風が強く寒い中、全学年の子供達が「熱烈歓迎」と迎えてくれ、日本の子供達が失っているものが残っており、もっとゆっくり交流したかったです。はにかんだ笑顔が忘れられません。
  今回は歴史・音楽・医学・緑化・小学校との交流ができ有意義な訪中でした。 
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□青海省地震募金□   ご協力いただいた皆さん
          =六月末まで当協会で受け付中=
(六月一日現在、協会到着分。敬称略、五十音順)
【一万円以上】綾野勝二、岡本拓雄、岡山外語学院、岡山科学技術専門学校、岡山ビジネスカレッジ日本語学科・国際文化学科、片岡和男、近藤弦之介、下田洋子、下津井電鉄㈱
【五千円】赤木忠厚、秋月皓淳、天野勝昭、綾野富美子、岡本多太資、片岡正文、熊代三鈴、酒井律江、多田利哉、山本直樹、吉本正志
【三千円】荒木敏雄、太田智子、㈱岡山情報処理センター、沖津俊夫、川野明、橘髙康子、高坂温和、坂本佐和子、志茂紀子、大道寺正子、長尾冨佐恵、則武卓巳、広瀬周平、松井三平、宗政富美男、室賀康史
【二千円】秋本胱久、秋山治道、井上房子、大森絢子、小川嘉子、片山主計、木山敬太郎、黒住昭子、小路広史、坂本睦士、里山八智代、角田勝盛、髙木文彦、高渕宣雄、塚元和良、土井章弘、野間啓輔、則次利益、三澤初子、光森節子、宮本悦子、安井貞子、山本寛
【千円】荒木安子、牛田かず子、北村彰康、髙木増雄、高橋達志、土井基之、中村勝夫、原政之、ホテルオークラ岡山、村田多由、安井照幸、山下孝博
[合計金額二十五万六千円]
 
中山時子の中国料理マナー教室〈上〉
    席順は主人の勧めに従う
            お茶の水女子大名誉教授 中 山 時 子
 
  中国には次のような言葉があります。「王者以民人為天、而民人以食為天(史記)」。つまり、王者は国民を一番大事なもの(天帝)と考え、その国民は“食”を最も大事なもの(天帝)とみなしている-こういう訳です。

  中国は“礼”の国です。その礼というものはまず飲食から始まっているのです。中国は、とにかく“食”を大事にする国であるということ、食べるマナーはしっかりしているということを、まず考えておいて欲しいのです。  それでは伝統的な中国の食のマナーについて考えてみたいと思います。
  まず、中国人がお客を招くこと、つまり「請客」(チンコオ)の心得から。そのためには、必ず招待状を配ります。ここからマナーが始まります。(招待状のマナー略)

  次に料理のメニューを決めねばなりません。通常、招く側の主人が決めます。注意事項は、招待される人の宗教を知ること。仏教徒は精進料理、イスラム教徒は「清真菜」(豚肉を忌む)となります。旬のものや薬効を考えてメニューを作ります。

  宴会の当日です。控えの間を用意しておき、陪席の客は定刻十五分くらい前に到着、主賓を迎えねばなりません。主賓になる人は同五分前くらいに到着。あまり早くては困ります。そこで熱いお茶と簡単なお菓子を出し、ねぎらいます。全員そろったら食卓の場へ。
  席順は主人が決めておき、まず主人が主賓を最初に案内し、その後招待者を一人ずつ席に案内します。食卓は「八仙卓」といって一卓、原則八人。主賓は入口を正面とし、招く側の主人は入口を背に座る。正面は、左側が最近、上席とされているようです。そして左右に交互に陪席客が座ります。

  中国では結構、席の序列については厳しいものがあります。自分がどの程度のランクなのか、よくわきまえて主人の勧めに従って座ってください。さっさと勝手に座ってはいけません。
  古来の礼では、席順についてお互い儀礼的ながら「私は上席すぎる」とか「あの人の方が上だ」とか真剣に譲り合いの大騒ぎをしたそうです。礼の中には、こんな儀礼的な部分もあるのです。

  開宴するとまず、主賓が挨拶、その後、主人が乾杯を促します。一斉に乾杯し、主賓が箸を料理に降ろしたら、初めてそこで出席者も全員が一斉に頂き始めます。乾杯の前に料理に手を付けてはいけません。

  料理が出るたびに乾杯して、前の料理の味を消して次の料理の味を楽しむのです。飲めない人は、乾杯では飲む仕草をして、杯を満々としたまま置いておけばいいのです。
  満々としておけば注ぎません。杯をひっくり返して伏せておくのは失礼です。主人側は、常に賓客側の酒肴が途切れることのないよう、酒を注いだり料理を取ってあげたり常に気を配るのです。

  自分が、自分で注いでひとりで飲むのは失礼に当たります。お互いの名前を呼び合いながら、楽しく飲んでください。注いでもらう時、日本でやるように杯を持つ必要はありません。
  白い酒は男性の酒、紹興酒のように黄色い酒は女性の酒とされます。最初は黄色い酒が出、その後料理の味が濃厚になるにつれて白い酒になります。

ひとこと
    悲しい日本人留学生の姿  
      =中山時子氏講演から=       宮本 南海子
  3月20日、岡山市日中友好協会の紹介で、岡山県立図書館で行われた中山時子先生の中国特別講座を拝聴させて頂きました。
 私は中学生の頃から中国の歴史文化に強い関心を抱き、高校卒業と同時に中国へ留学。中国の大学では歴史学を専攻し、昨年卒業しました。

  帰国後、岡山市日中友好協会の紹介で、今回中山先生の講演会に参加させて頂いた次第です。
  中山先生の御講義の中で、私が最も関心を持ったことは、日本人留学生の中国における実態について語られたことです。私も日本人留学生らの実態を知り、愕然としたことがあります。

  近年、中国の経済は急成長し、中国へ渡る日本人留学生は年々増加傾向にありますが、多くの若い日本人留学生の金銭感覚は歪み、生活習慣が乱れてしまっています。
  1日4時間程の授業を受け、残りの時間は海賊版の安いDVDを大量に買って部屋に篭って見るという「ひきこもり」のような日々を送り、中国語を学ぶ目的で来ているのにも関わらず、中国人とはほとんど接点を持たずに帰国していった日本人を数多く見てきました。

  私自身、留学当初は安くモノが買える環境で、あたかも自分は自由自在なのだという感覚に陥ってしまったことがあります。
  現地の中国人との交流がなければ、自分は「特殊」な生活環境にある、と気が付かなかっただろうと思います。

  日本に帰国してこういった日本人留学生の問題を取り上げられた中山先生の御講義が拝聴でき、改めて私と同世代の日本人について考えることができました。
  また、中山先生から“蟻族”とか“月光族”などの中国の若い世代に存在する問題について教えて頂き、日中関係の将来について、日本と中国の若い世代同士での交流の「かたち」について考えさせられました。

  もっと中山先生とお話する機会があれば、と感じました。今回参加させて頂くことになった御縁に心より感謝致します。
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活動日誌
4/30…程?さん募金贈呈(協会より家族に)
5/11…程?さん骨髄移植手術成功
5/13…三誌友の会定例会
5/14…協会訪中団写真交換会(NPO会館)
5/15…岡山県日中教育交流協議会総会(岡山県生涯学習セン
     ター)
5/17…重森貝崙氏(重森美玲ご令息)来局
5/25…洛陽市医療視察訪日団来岡(朱其昌洛陽市衛生局長
     ら六名。5/27 離岡)
5/27…岡山市洛陽市友好都市三十周年記念事業企画検討会 
     議(片山浩子協会会長代行が委員長に就任)
5/27…三重県日中友好協会事務局長中井均さん逝去
6/10…三誌友の会定例会

会員消息
【入会】
 田淵哲郎さん(岡山市)
 村田多由さん(岡山市)
 小郷原昌道さん(玉野市)
 高橋幸夫さん(神戸市)
 山潟京子さん(岡山市)

【岡山商科大学孔子学院】(人事)
 理 事 長 井尻昭夫
 学 院 長 南部 稔
 副学院長 黎暁?
 副学院長 楊立国

先憂後楽
  7月1日から、中国人観光客の日本入国ビザが緩和される。これまで、北京、上海それに広州の日本大使館・総領事館でのみ受付けられていたのが、中国全土の領事館でビザ申請ができるようになり、所得の上限も低く設定された。これにより、さらに多くの中国人観光客の来日が予想される。

  国内でも程度の差はあるが各地で受入れ体制が急速に進んでいる。訪日外国人向け特別宿泊料金の設定、中国銀聯カード導入、中国人スタッフの配置など。東京や北海道では中国人専用ホテルも出てきた。

  ただ、日本での受入れは中国系の旅行社が優位に立っている。訪日観光客の70%が中国系の手配というデータもある。旅費はできるだけ安く、土産はいっぱい買いたい、という要望が強い。

  一方、中国人富裕層向けに高級リゾートを売り込もうとか、高額のメディカルツアーで一儲けしようという話が協会にも寄せられるようになってきた。中国は確かに豊かになってきた。富裕層も日本人口ほどいるらしい。

  しかし、これは中国の一面に過ぎない。あまりこの豊かさを強調し過ぎると中国全体像を見誤ることにならないか?逆に中国への変な嫌悪感が助長され、民族排外主義的な傾向も危惧される。本質を見極め、私たちの使命について議論していかねばならない。(松)
 


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