岡山と中国 2012年8月
平成24年8月
  216号


発行人 片山浩子
編集人 松井三平
 2012年 日中青少年交流まっ盛り
STUDENT EXCHANGE
     *大 連*
 
     吉備中央町
  *江蘇省・淮安市*
 
  矢掛町
 *西 安*
 
  早島町
 *上 海*
 
  2012年夏-。今年も夏休みなどを利用した青少年の日中交流が活発に行われている。恒例の「STUDENT EXCHANGE」では高校生が大連に、矢掛町では中学生が西安に、早島町では小学生が上海に行き、吉備中央町には江蘇省・淮安市から中学生がやって来る。青少年にとって有意義な交流親善の夏になるものと期待される。

「大きくなって帰ってきます」   
  日中青年交流「STUDENT EXCHANGE in 大連」は、今年、県内の12人の高校生が参加し、大連一中の高校生と交流した。
  参加した生徒は、公立、私立9校から選ばれた。5月の選考試験をクリアし、6月に2回の事前研修を経て、旅行準備と現地での出し物の練習などに励み出発に備えた。
  出発日の7月27日、午前7時前には岡山空港に集合し、搭乗手続きのあと、2階出発ロビーで出発式が行われた。

  最初に、昨年に続き団長として引率する岡山県日中教育交流協議会(以下、協議会)の門野八洲雄会長から訪問の意義と諸注意事項について話があった。
  これを受けて倉敷古城池高校3年の垣見遥さんが、参加生徒を代表して「岡山県の代表としての自覚を持ち、帰国後は一回りも二回りも大きくなって帰ってきたい」と力強く決意を述べた。
  そして、引率の門野団長と岡山操山高校の英語教諭・小川晃子先生、それに添乗員のアジアコミュニケーションズ、松岡寛美さんが紹介された。
  空港へは多くの父兄が見送りに駆けつけていた。

  一行は、岡山空港からの定期便で出国、上海浦東空港で乗り継ぎ、その日のうちに大連に入った。
  翌28日には、早朝から大連一中を訪問、歓迎交歓会や英語の授業体験、音楽活動への参加などを通じ、生徒同士の交友を深めた。
  夜には、今回の目的の一つであるホームステイ先へ分散した。
大連一中での授業体験
大連一中の生徒といっしょに















小中学生も交流
 29日には、市内見学の後、旅順に向かい、日露戦争の戦跡などを見学した。
 30日に上海に移動、市内を見学、翌日上海浦東空港経由で帰国した。
 この事業は、協議会の主催によるもので、昨年までは、福武教育文化振興財団の委託事業として実施されていたが、本年から岡山県教職員互助会と福武教育文化振興財団の助成を得て協議会主催として実施される相互交流のプロジェクト。10月には大連一中の生徒を迎える。
 この交流の様子は8月11日、テレビせとうちの「サンデーパレット」でも報道される予定。
 テレビせとうちは、大連テレビ局と今春交流協定を結んで交流を続けており、今回の高校生交流の様子を大連赴任中の金子陽子記者がカメラを回して取材した。

[矢掛町]
西安でホームステイ 矢掛中の生徒ら15人

 小田郡矢掛町では、吉備真備の出身地との関係が深いことから、従来から陝西省西安市と交流を続けている。
 具体的には、中学生の相互訪問ホームステイ交流事業を行っている。今年は、矢掛町側が訪問する番。一行は、矢掛中学の生徒ら15名と引率の川上公一矢掛中学校長ら3名、計18名。7月30日、岡山空港を出発し、上海浦東空港経由で西安に入った。
 西安では、まず中日学生交歓会に出席、第三十中学校で生徒らと交流。翌31日にはホームステイ先に移りホストファミリーらと過ごした。
 生徒らは、世界遺産の兵馬俑など名所旧跡も見学、中国での生活を体験。8月3日に上海経由で帰岡した。

[吉備中央町]
周恩来氏の故郷から 中国の中学生が来岡

 加賀郡吉備中央町は、お互い中学生が訪問し合っている。今年は、同町が中国から生徒を迎える。
 これは、岡崎嘉平太氏の出身地・吉備中央町と、岡崎氏の生涯の友人であった周恩来総理の故郷・江蘇省淮安市淮安区が友好都市関係にあることから、実施されてきた。
 同町では、中学校の生徒同士が相互に訪問し親善交流するという教育交流を継続してきた。
 今年は、中国の子供たちを同町が迎える番になっていた。一行は、8月8日からホームステイ1泊を含む3泊4日の間、同町に滞在し、大和中学校での交流会や岡崎嘉平太記念館見学などを行う。
 一行は、11日、同町を発ち、大阪や京都を見学、13日に帰国する。

[早島町]
早島小の児童11人が上海の小学校を訪問

 都窪郡早島町では、早島小学校が古くから上海市の威海路第三小学校と友好往来を続けている。今年の計画では、8月17日から11名の児童と、中村勇早島町日中交流実行委員会委員長ら引率5名総勢16名が訪中する。
 日程は、17日に岡山空港から上海入り、20日に帰岡する3泊4日の旅。
 上海では、威海路第三小学校を訪問、親善交流しホームステイを通じて子供たち同士交流を深める。
 早島町では、同町、PTA、小学校が実行委員会をつくり、参加者の募集から派遣まで推進している。

 
洛陽市中心医院/医師・談華さん 看護師・王麗莉さん
        岡山旭東病院で医療研修
  洛陽からの医療研修生2人がこのほど来岡、7月8日から22日まで岡山市内の病院で研修しました。
  研修生は、洛陽市中心医院からの医師、談華さんと看護師、王麗莉さんの2人。岡山と洛陽の『日中医療交流友好病院』である岡山旭東病院(岡山市)で2週間、医療研修を受け、帰国しました。
  これはそもそも、2010年5月に洛陽市から初めての医療視察団が来たときに「協定をとりかわして、交流を継続しよう」という話がでたことに端を発しています。

  その後、岡山からも岡山大学病院や岡山県精神科医療センター、岡山旭東病院から各院長先生を中心とした医療訪問団が洛陽の主だった病院に視察に行き、ひとつひとつ段階を踏んで交流を深めてきました。
  今回は、それをさらに実質的なものにするべく現場スタッフを相互に派遣してお互いに学びあうという双方の希望が、いよいよ形となったものです。

  2人は、日々の旭東病院での研修のほか、日本でも有数の病院である岡山大学病院や岡山県精神科医療センターにも見学に行き、日本の医療現場を多角的に学ぶ機会を得ました。
  また、休日には旭東病院スタッフによる細やかな心遣いで岡山での滞在を楽しみ、京都への日帰見物などを通じて、日本の文化と生活を肌で感じられたと思います。
  岡山旭東病院の心のこもった受け入れ態勢で、お二人は安心して岡山での貴重な研修を実のあるものにできたようです。 言葉の壁を越えて、同じ医療人として過ごした2週間は、お互いの心をしっかりと結びつけました。
前列中央左が談さん,右が王さん(歓迎夕食会)
 
  高度な治療、また患者さん本位の看護システム、医療理念や院内の環境つくり・・など、岡山で学んだことを洛陽に持ち帰り、これからの中心医院での現場に活かされることを期待しています。
  中国の病院は規模もかなり大きく、医療機器も最新のものが導入されていますが、医療理念や現場の体制はまだまだ改善の余地があります。

  日本も欧米に学びながらここまできているように、今回のような実質的な交流で逆に日本が貢献できるということは、とても意味があると思います。
  一方、本年10月には、今度は旭東病院の医師と看護師が洛陽市中心医院で研修を受けるべく、洛陽を訪問します。

  相互に学ぶという精神でのこうした医療交流を継続、発展させるために、当協会も日本側、洛陽側のコーディネーターとしての役割を、しっかり果たしていきたいと思います。(協会理事、黒住昭子)
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【投稿】  わたしと中国  中国とわたし
       中国なんて大嫌い…だけど、大好き 《上》

              東京学芸大学 四年(国際理解教育課程アジア研究専攻)
                                 中 村 源 太
  岡山県日中教育交流協議会(門野八洲雄会長)が主催する日中青年交流事業の第1回「STUDENT  EXCHANGE IN 上海」に参加し、来年大学を卒業し放送局に就職、ジャーナリストの道に入ることになっている中村源太さんが、このほど、日中交流事業に関心を持つようになったいきさつについて話した。同協議会機関誌「悠久」に掲載された中村さんの「投稿」を、2回に分けて紹介します。
北京師範大学留学時の筆者。
主楼というメインビルの前で (2010年9月7日)
 
  平成17年夏。化学の授業が終わった直後、教壇に立つ先生が前に来るよう手招きで私を呼びました。
  また成績のことで厳しく言われるのだろうか、高校生になりたてだった私はビクビクしながら先生の元へ歩いて行きました。
  先生はそんな私の顔を見、1枚の紙を手に持ってこう言いました。「こんな企画があるんだけど、参加してみないか?」…それが私にとって人生初の中国行きのチケットだったのです。

  私は平成17年に行われた第1回日中青年交流事業「STUDENT EXCHANGE IN 上海」に学生団長として参加しました。
  あれから数年の時が経った今でも場所を大連と変えて、私の参加したこのプログラムが続いていることを大変嬉しく思っています。

  私は中学1年の冬に中国語を独学で始めて以来、中国とは切っても切れない22年間を送って参りました。
  就職が決まり、社会に出てからも中国とはきっと長く付き合っていく…いえ、付き合っていきたい!と改めて思う次第です。
  私の中国に対する思いを書くにあたり、やはりまずは私と中国との出会いから書き始めたいと思います。

小学4年生で中国語と
  私が初めて中国語に関心を持ったのは、小学4年生のときでした。日本語でも漢字は使われるため、中国語の文章というのはところどころの単語は分かるのですが、全体の意味となると分からなくなります。
  また、いつも読んでいる漢字がまるで音楽のような美しい発音で読み上げられる…それが私にとって不思議でならず、また魅力的でもありました。
  しかし、小学生に中国語学習はいささか難しく、当時はすぐに挫折してしまいました。数年後、私は中学生になり、父親の仕事の関係で東京に引っ越すことになりました。

  東京では中国は福建省から来たクラスメート、鍾小霞さんと出会い、これはまたとないチャンスだ!と2か月分の小遣いを貯めて中国語の学習本と辞書を買い、一人で学び始めました。
  誰も教えてくれる人はいない独学ではありましたが、学習が楽しくて楽しくてしようがなかったのをよく覚えています。
  新しい単語を覚えていく楽しみ、昨日まで言えなかったことが言えるようになっていく喜びは何にも代え難いものでした。
  そして、私の「中国語」に対する熱い気持ちが「中国」へも向くのに時間はかからなかったのです。
2006年7月1日 高校2年生の際に参加した立命館孔子学院
第一回中国語スピーチコンテストで最優秀賞
 

中国へ行き話をしたい
  高校に上がる年、私は東京生活を終えて岡山へ帰って来ました。
  高校生になっても中国語は勉強し続けていましたが、次第に「独学でやってきた自分の中国語は果たして現地で通用するのか」と思うようになりました。
 そして、自分の好きな中国語を使っている国とは一体どういうところなのか…そのような疑問が私の中でだんだんと大きくなりました。
  「中国へ行き、自分の言葉で彼らと話をしたい!」次第にそう強く思うようになったのです。

  そんな思いを持つ中で舞い込んできたのが冒頭で書いた「STUDENT EXCHANGE IN 上海」です。
  それはそれは願ってもないことでした。親に企画の話をすると大賛成してくれ、すぐに申し込みを済ませました。
  英語、中国語の面接を受けて選考も無事通過し、私は晴れて人生で初めて中国へ行けるようになったのです!

初めての上海は衝撃的
  初めて訪れた中国・上海は衝撃的なことばかりでした。
  近年の経済成長はある程度知っていたものの、心の中ではやはり「発展途上国」。近代的なビルの下で人民服を着た人が自転車に乗ってウロウロしている姿が見られるものと期待していました。
  しかし、それは大きな間違いだったのです。
  私たちが訪問した上海市新中高級中学は日本の高等学校に相当しますが、大学にも勝るほどの素晴らしい設備に私は度肝を抜かれました。

  上海の街中には高層ビル群が建ち並び、そこら中にオシャレな店がある。スターバックスのカップを片手にショッピングを楽しむ人々を見ていると、一瞬ここは日本なのか中国なのか分からなくなってしまいます。
  私は「自分の中国語がどれだけ通用するのか」というかねてからの疑問を果たすべく、現地では中国語で会話することを心掛けていました。
  彼らは私に配慮してゆっくりと中国語を発音してくれたため、ほぼ問題なく交流をすることが出来ました。
 とはいえ英語となると、自分の口から発せられるのは拙い言葉。彼らの流暢な英語を聞くと恥ずかしくなってしまい、次の句が繋げなくなってしまうのでした。

  初めての訪中で私は、自分の持っていた中国というイメージを根底から覆されました。上海は東京と変わらぬ大都会であり、人々は日本人と変わらぬライフスタイルを楽しんでいたのです。
  自分と同い年の中国人学生はみな勤勉で、賢く、私は自分自身を振り返ってただただ恥じるばかりでした。
 上海以外の街はどうなんだろう、もっと中国を知りたい!そしてそのためには意思伝達手段である中国語をしっかりと磨かねば。
  私は帰国後、相変わらずの独学でしたが中国語学習により一層力を入れるようになりました。

本当に理解するために
  語学はある程度のレベルまでなら自分一人でも到達することはできます。
  しかし、現地の情報を得るには限界がありました。中国の文化、伝統、経済、歴史…それらを本当に理解するには専門的にそれらを学び、現地で実際に確かめる必要があります。 (以下次号)
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《中国語講師対象の》
       中国語勉強会開催

                    岡山中国語センター
  中山時子先生の指導法「浪乗り会」を始めてちょうど2周年にあたる7月7日、岡山中国語センター(以下、センター)で中国語講師の勉強会が行われた。
  特別講師には、30年余にわたり岡山大学やノートルダム清心女子大学で中国語教育を担ってこられた鄭正浩先生を迎えた。
熱弁する鄭正浩先生
 
  受講したのは、現在、大学や高校、そして当中国語センターで講師をしている先生や将来中国語を活かしていこうとしている学習者ら8名。
  今回の勉強会は、今後センターが目指す指導方針を確立するために、その理念や実際の教え方などを学ぼうとするもの。

  最初に、運営委員会を代表して黒住昭子協会理事が挨拶し、岡山の地で何としても中山式で中国語学習の革命を起こしたいと熱っぽく語った。
  次いで指導講師をしている國定剛氏が、現在のセンターや市内の中国語講座の状態は、必ずしも、拡大をし続ける日中経済の発展など時代の要請に応えられていない現状や指導方法の問題点を指摘。
  センターとしては中山先生の教学理念、そして発音は関西大学の日下恒夫教授の指導方法を基本としたいとする教学方針を提起した。
  引き続き、鄭先生が「生きた中国語」と題する講義に移った。

  中国語の定義、発音と字体の問題、北方と南方、北京と台湾・香港・海外華人社会での発音や声調の変化、用語の違いと時代的変化、新語の訳し方の違いなど具体例を挙げて解説した。
  最後に、日本における中国語教科書の問題と今後の課題について、「上品な中国語」が使われなくなっているテキストの現状を憂い、朱自清、徐志魔、許也山などの美しい文章を学習すべきと説いた。
  また、ピンインに頼り過ぎず中級クラス以降はピンインをなくして学習すべきと強調した。
  そして、日本語講師の役割とネイティブ講師の役割分担をはっきりさせて教育すべき事を訴えた。

  最後に、センターが始めているビジネス中国語や医療福祉などの専門中国語学習の必要性を推奨した。
  センターでは、今回の勉強会を継続してキチンとした中国語教育の指導方法を確立させていくことと同時に、講師のレベルを上げていき、「中国語を学ぶなら岡山中国語センターで」と言われるようになることを目指している。

「おかやま浪乗り会」原口昭一さんが参加
  8月1日、発足2周年を迎えた中山時子先生監修中国語学習法「浪乗り会」に、大阪在住で中国語通訳案内士の資格を持ち、翻訳通訳など中国語を職業としている原口昭一さんが特別参加した。
  原口さんは、最近、『商機を見いだす「鬼」になれ』、『中国最強の商人・温州人のビジネス哲学』という本を翻訳し、好評を博している。
  原口さんは、勉強会の後の懇親会で「刺激になりました。また中国語をしっかりやろうと思いましたね。感謝です」と感想を述べていました。
  浪乗り会は、1回500円の参加費で、中国語を学んでいる人であればレベルを問わず参加できる発音道場。   歓迎光臨   (問合せは当協会中国語センター事務局へ)

【上映会・講演会】    映画 「かすかな光へ」
    
9月9日 13:00~ 岡山旭東病院内
                    =おかやまあかいはな道化教室
  岡山旭東病院(岡山市中区倉田567-1)内の「おかやまあかいはな道化教室」は、9月9日、同病院内のパッチ・アダムスホールで、映画「かすかな光へ」上映会と講演会を開く。多くの県民、市民の来場を呼び掛けている。
  映画「かすかな光へ」は、現在94歳という高齢ながら、教育研究者、実践者として活動を続けている大田堯氏とその活動ぶりを取材したドキュメンタリー。
  大田氏は広島県出身。東大、都留文科大教授などを経て現在、日本子どもを守る会名誉会長。
  製作・著作は「ひとなるグループ」、監督は森康行。詩の朗読を谷川俊太郎、ナレーションを山根基世が担当。
  「学校の教師や子を持つ親、そしてすべての人たちに見て欲しい映画」とは山田洋次監督の弁。
  当日は、午後1時から映画を上映、第2部として同3時から講演会があり、岡山旭東病院長(おかやまあかいはな道化教室代表)の土井章弘氏が「生命のきずな」と題して話す。
  引き続き、同じ会場で感想交流会の開催も予定している。
  参加費は一人1,000円(前売り800円)。交流会は500円程度。
  希望者は、同病院企画課まで。電話・岡山276-3231。

岡山県日中懇話会   新会長に黒瀬定生氏
  岡山県日中懇話会の理事会が、7月20日、岡山市北区のピュアリティまきびで開かれた。
  同懇話会は、岡山県国際課内に事務局がある。当日は、活動報告や収支報告等がなされ、役員改選もあった。
  役員改選では、会長だった森崎岩之助氏が退任し、新たに岡山県教育会理事長の黒瀬定生氏が選任された。
  黒瀬氏は、岡山県教育長を歴任し、平成14年には岡山県日中教育交流協議会の会長として、日中高校生交流プログラム『STUDENT EXCHANGE』を初めて実施した。
  就任あいさつの中で、高校生交流の第1回の参加者が、訪中を契機に将来の夢を決め、その後大学を経て今夏マスコミの国際部に就職が内定したことを紹介。
  「これまでやってきたことが少しでも青少年の未来に役立ったことが嬉しい」と、今後の日中青少年交流への意気込みを語っていた。

活動日誌
 7/ 2…岡山県江西省20周年実行委員会(県庁)
 7/ 7…中国語講師勉強会・鄭正浩先生講演
 7/ 8…洛陽市第一次医療研修生来岡(岡山旭東病院へ)~7/22。歓迎会(9日)
 7/12…三誌友の会例会
 7/16…STUDENT EXCHANGE 大連 研修会(県生涯学習センター)
 7/20…岡山県日中懇話会理事会(まきび)
 7/21…洛陽医療研修生送別会(天満屋屋上)
 7/25…江西省人民政府訪日代表団歓迎会(メルパルク)
 8/ 1…浪乗り会、原口昭一氏懇談会

会員消息
【入会】
 宇野  泰臣さん(岡山市)
 和田奈緒美さん(赤磐市)
 杉山  寛治さん(岡山市)

先憂後楽
  今年の夏は、これまで継続してきた早島町や矢掛町、吉備中央町など、町単位での日中青少年交流が盛んに実施された。これらの町には共通点がある。それは平成の大合併に参加せず、独自の町政を実施していることである。浅口市になった鴨方町や倉敷市になった真備町なども独自の友好活動を実施していたが、合併により困難になり交流が中断しているところもある

  小中学校など義務教育での国際活動は行政の後押しがないとなかなか難しい。引率の先生も修学旅行と違い、公務出張とはならず公休をとって参加される。責任は重いが保証はないという厳しい現実があり、その点が国際理解教育促進の妨げになっている

  岡山県教育委員会でも『グローバル人材育成』を教育方針として掲げているが、この教員の方への身分保障を整備しないと実際の促進は難しい。岡山県教育界の重鎮・元教育長の森崎岩之助氏も「文通や絵の交換も良いが、次第に交流が薄くなり、途絶えてしまう。相互に訪問して実際に触れ合うことが何よりも大切だ」と言われている

  尖閣列島の領有権問題、歴史認識など、日中間には様々な問題が存在している。一方で、平和な環境でお互い良い関係を築き相互発展していくしか日本の明るい進路もない。その要となるのは人材だ

  なんとしても岡山の地で日中青少年交流を盛んにし、相互理解を深める活動を継続していきたい。(松)


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