設立35周年
2016年4月
平成28年4月
  238号

発行人 片山浩子
編集人 松井三平
岡山、洛陽友好都市締結35周年記念
   岡山市民友好訪中団洛陽へ 
                               4月20日 〜24日


  音楽交流、植樹、表敬訪問など多彩

  岡山市と洛陽市の友好都市締結35周年を記念した岡山市民友好訪中団(団長・片山浩子岡山市日中友好協会会長ら28名)が、4月20日から24日にかけ洛陽市を訪問し、各方面の交流活動を実施し、市民友好を繰り広げた。
  一方、大森雅夫岡山市長を団長とする岡山市の公式訪問団(10名)も同じ日に出発し、洛陽市を公式訪問、市人民代表大会や市政府を表敬、友好交流活動を展開した。

民族音楽演奏会で
  21日には午後3時より、岡山からの演奏家と洛陽の演奏家が、それぞれの民族楽器を使って競演する「日中民族音楽演奏会」が開催された。

  会場の「山陝会館」には岡山市公式訪問団、市民訪中団、そして、たまたま洛陽市の河南科技大学との交流協議のため訪問していた県立大学の辻英明学長一行を含め、43名の日本人と洛陽市民ら合わせて約100名が鑑賞した。

  岡山からの演奏家は、東京芸術大学3年在学中の佐藤美由樹さんがお琴を、またプロとして活躍している阿部一成さんが篠笛と能管を、そして小野彰盛さんと榊さんが横笛、篳篥、笙をそれぞれ演奏した。
  演奏者は、着物、装束、などの衣装で出演し、聴衆を魅了した。
  洛陽からは、洛陽市古琴学会を始め、北京、天津、鄭州、河南省の濮陽、そして台湾から参加した演奏家が古琴、簫、石笛などの楽器を奏で、奥深い中国歴史の背景を表現し、感銘を与えていた。
 約2時間の民族音楽の競演はあっという間に終了し、参加者は大きな感動に包まれた。

丘陵地での植樹
  本年で通算10年目になる協会の緑化協力事業に訪中団一行が参加した。
  22日午前、国際牡丹園で遅咲きの牡丹花を鑑賞した後、緑化現場の孟津県へ向かった。

  本年の植樹場所は、黄河沿いの丘陵地のため、大型バスでの移動は困難だったが、何とか近くまで入った。

  参加者は徒歩で約1キロ歩いて現場に到着した。場所は、洛陽市の北西、黄河沿いの孟津県で、市民訪中団28名と、林業局の職員や地元農民ら約50名が、一緒に汗を流し約100本の女貞(トウネズミモチ)を植えた。

  女貞という木は、細かい根を張り土壌流出を防ぐ効果があり、また常緑樹で観賞用としても役に立つということで植林の樹種に選ばれた。

  白馬寺では今回、特別に印楽方丈(住職)のご厚意により、見学の後、精進料理を体験した。
  牡丹祭りで忙しくしていた印楽方丈が市内での会合を中座して急遽白馬寺に戻り、訪中団一行をお茶でもてなすなど特別の接待を受け、訪中団一行も感激と感謝をしていた。

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天津から初の本格的な訪日団
                  天津市友協の職業教育代表団が来岡 

  友好交流協定を締結している天津市人民対外友好協会(以下、天津市友協)が派遣する天津市職業教育代表団が、3月13日午後9時15分着の新幹線で岡山に到着した。
岡山に到着した代表団。
片山会長らが出迎え(陳団長は左から3人目)
  一行は、天津市友協の陳衛明副会長を団長とし、市紅十字会の劉長河副会長、同現代教育技術学院の李国楨院長、同益世社会服務中心の朱立戈主任、そして友協職員の郭棟氏の5人。

  友好交流協定締結以降、天津市側からの初の本格的訪問団となる。岡山では、旭川荘、川崎医療福祉大学、岡山外語学院、岡山北消防署などを訪問、視察した。
  到着ホームには片山会長、黒住副会長、牛田、松井理事が出迎えた。13日が陳団長の誕生日にあたったため、シャンパンをプレゼント。陳団長はサプライズに大感激だった。

  今回の訪日を契機に、高齢者福祉の人材育成の面で岡山と天津が何らかの形で交流が始まり、双方にメリットのある合作ができ、協会がその中で役割を果たせるようになることが期待されている。
   
天津市職業教育代表団 in おかやま 

 福祉器具を熱心に 現場を見聞
  【旭川荘厚生専門学院】天津市職業教育代表団一行は翌14日朝、岡山市東区西大寺にある旭川荘厚生専門学院を訪問した。
  板谷正夫学院長等職員の歓迎を受け、学院の全体説明を受けた後、介護福祉士養成課程について、学科内容や実習内容のレクチャーを受け現場見学をした。
  車椅子から自力でベッドへ乗り降りできる器具や、寝たきりの高齢者を抱えるための手袋などの福祉器具を熱心に見聞していた。

 人材育成に包括的 な協力を要請
旭川荘で末光茂理事長らと懇談
  【旭川荘】その後、岡山市北区祇園に移り、社会福祉法人旭川荘を訪問した。
  旭川荘資料館では末光茂理事長が入り口まで出迎え、歓迎の意を表した。

  陳団長は挨拶の中で、旭川荘が中国の社会福祉に大きな貢献を果たしてきたことを讃え、60歳以上の人口が21.6%を占める天津市の実情を説明した。
  旭川荘に対して高齢者福祉事業、特に人材育成のために包括的な協力を要請した。

  これに対し末光理事長は、日本のそのままを模倣するのでなく、良いところも悪いところも見ていただき、中国、天津の状況に合わせた方法で実践していただきたいと話し、天津市との協力交流についても積極的に対応していくと応じた。

  続いて敬老園を訪問。森繁樹園長の紹介で園内を見学した。最後に療育・医療センターを訪問し、障害者の施設への理解を深め、旭川荘を後にした。

川崎医療福祉大学を訪問
 本格的な学生交流 の実施を提案
  【川崎医療福祉大学】昼食の後、一行は倉敷中庄の川崎医療福祉大学を訪れた。玄関では、秋山祐治副学長をはじめ、多くの職員が整列して熱烈歓迎した。

  懇談会では、秋山副学長から歓迎の挨拶と大学の概括説明が行われた後、陳団長が挨拶。その後早速質疑応答が始まった。

  天津側からは技術学院の李学院長が、留学相互単位認定制度による学生交流を提案。大学側は、国家資格試験が絡むので、厚労省や文科省との調整が必要などの問題があるが、通常の留学受け入れは問題ないと答えていた。





 中国人スタッフが 説明、抹茶体験も
  【岡山外語学院】一行は、岡山市に移動し、岡山外語学院を訪問した。同学院では、職員の松下有加さんが着物姿で茶道を披露。代表団に抹茶の体験をしていただき、疲れを癒した。
  片山浩子理事長の案内により学院内の見学の後、中国人スタッフの李暁紅さんよりパワーポイントによる説明が行われた。

 特殊消防車両など 緊張して見学
  【岡山北消防署】天津市からは事前に防災関係の視察要望があり、15日の朝から、完成したばかりの岡山北消防署を見学した。
  最初に岡山市消防局の片岡英雄企画総務課長から挨拶があり、その後、南海トラフ発生に備えた取り組みなどを紹介。
  特殊消防車輌などを見学した。おりしも、熊本で大地震が発生し、岡山市からも緊急支援が始まっていた中での見学で、訪日団も緊張して説明を聞き入っていた。

  今回の天津市の主な視察目的は高齢者介護人材の育成や防災対策だったが、協会はその要望に添って各方面の視察を手配し、天津側からも周到な手配に対する感謝の意が伝えられた。
  一連の視察を終えた一行は15日正午の飛行機で東京に向かった。

〇国際婦人デー〇
    中日友好女性の集い 

  国際婦人デーを記念した恒例の中日友好女性の集いが、3月8日、大阪市の中国駐大阪総領事館で賑やかに開かれました。
  当日は、近畿中国地域の2府12県から、約130人の女性活動家等が出席。当協会からは、牛田和子理事が参加しました。

  まず、中国の伝統楽器と民族楽器の演奏で雰囲気を盛り上げ、その後、立食パーティ形式での交流会。会場はたくさんの人たちでいっぱい、いくつもの交流の輪が出来ていました。
  大阪総領事の劉毅仁氏は「中国では1949年の中華人民共和国設立以来、女性の活躍はめざましい。全人代の23.4%、地方公職の47%は女性です。これからも芸術、文化、教育、政府など、多方面での女性の活躍を期待している」と挨拶。

  女性の社会進出では、日本より遙かに進んでいるお国柄だけに、会場を回りながら「女性が幸せに暮らし全世界の平和と発展を心から願っています」と盛んにエールを送っていました。
 
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莫邦富氏(中国人ジャーナリスト)講演録
          「中国14億人市場へのアプローチ」

  私は、1981年に初めて日本に来ました。そして、鷲羽山を訪れ、素晴らしい瀬戸内海を見て、一目惚れしてしまった。
  5年後、今度は留学で来日、まず仲間と瀬戸内海を旅行し、夕日の沈む美しい光景を見ました。
  ですから、中国への発信の中で、一番好きな日本のビューポイントとして瀬戸内海を推しているのです。

  今回は、岡山市日中友好協会のお招きですが、日中友好協会という組織も、この辺に来て、大きく脱皮しなければならないのではないかと思っています。

 友好協会も大きく 脱皮を
  日中間の厳しい環境の中にあって、今まで通りの付き合い方では、日中関係を強固なものにするにはパワーが足りないのではないかと思います。
  日中友好は、言葉だけでなく連携、関係というラインでやって行きたいと思っています。

 北海道の素晴らし い対応

  中国人観光客にとって北海道の人気は抜群です。あの(お菓子のブランド)「白い恋人」は皆知っています。頼まれてスーツケース2つにいっぱい買って帰った人もいます。
  この北海道ブームは、多分に中国のラブコメディ映画「狙った恋の落とし方」の大ヒットによるところが大きいというものの、それ以上に、それまで北海道が進めてきた取り組みがよかったからなのです。

  2004年、私はインバウンド関係で6回も講演に呼ばれました。10数年前の事ですよ。ホテルに泊まると、テレビの番組表がコピーですが英、露、韓、中の4か国語で揃っているのです。岡山のホテルで、そこまでやっていますか。
  ブームになったのは、映画のせいだけではないのです。北海道は昔からいろいろ対応をやってきていました。
  97度のお湯に3度を足したから、一気に沸点になって沸きたったと思うのです。

  当時、北海道庁も映画撮影時にはあまり興味を示さず、協力もしなかったようです。が、いざ、中国人観光客が、観光地の富良野や美瑛には見向きもせず、どっと道東のちっちゃな、何もない無人駅(釧網線「北浜駅」撮影地)に押し寄せたからびっくり。

  素晴らしかったのはそれからの対応です。
  この人気を見逃す手はないと、即、道庁が動き5億円をかけて中国にバンバン広告をうった。

  ですから、日本の皆さん、皆さんがよかれと思っているやり方、観光資源を、外国人観光客の時は必ずしもそのまま、受け入れてくれる保証はないのです。
  逆に、外国人が喜ぶ観光資源が、皆さんにとって「何だ…」ということになる場合も多いのです。

 来日観光客の半分 は中国系
  日本には昨年、過去最高の約2千万人の外国人が来日しています。この内、中国本土からは約5百万人、それに台湾、香港も加えた大中華圏で見ると、実に半分くらいの外国人は中国系です。
  そして、それら外国人が落としたお金は約3.4兆円です。
 「爆買」との言葉もあるようですが、その内アメリカ人が使ったお金の比率はわずか5%、大中華圏は63%にも上っています。

 中国人観光客の ピークはまだ先
  2014年、海外を訪れた中国人は初めて1億人の大台に乗りました。それでも中国人観光客のピークはまだ来ておらず〝入口〟のところ位でしょう。
  これから10年間で中国人の海外旅行者数は年間2億人台になり、この内、訪日観光客は年間2千万人時代を迎えると、中国の業界ではみています。

 富裕層ビジネス 成功していません
  日本の関係者からよく「中国の富裕層に働きかけたい」との声を聞きます。それなら、富裕層とは、どんな層を指すのでしょう。
  それは、2007年、日本が富裕層の人達に観光ビザを発給するに当たり、一つの基準を設けたのです。その基準からすると、貧しいとされる農村でも、富裕層とされる村は色々ある。
  日本の皆さんは、富裕層に来てもらいたいと口では言っても、そんな村にセールスに行きましたか。
  メディアも報道しようとしません。そして、中国に対する報道は、どこかメディアなりのフィルターをかけているのではないでしょうか。
  私は、中国の富裕層をアテにしたビジネスは一つも成功したためしがないと思っています。中国の中産階級に働きかけるべきなのです。

 都市より豊かな 農村があります
  中国は概要、4つのブロックに分けられます。東部、西部、中部、東北部です。中国は広いから、ケースバイケースで見なければならないのです。
  例えば、四川省は最も貧しいとされる西部に属しますが、その省都・成都は例外です。
  中国全体では、将来に備えようと貯蓄率が高いが、成都は非常に低いのです。災害が歴史的に少ない土地柄とされ、来年のことを考えず、どんどん消費する。だから消費力が高い。

  イトーヨーカドーが出店する時、メディアは「なぜ(こんな田舎の)成都へ」とばかり聞いてきた。
  ところが、開店してみると、売り上げも利益率もトップになった。ものすごく豊かな地区だったのです。
  農村部と都市部の所得格差は深刻です。かといって日本のメディアが言うような単純なものではありません。中国には都市部より豊かな農村は結構あるのです。

 秋葉原の成功例に 学ばないと
  中国の地方を見落としてはいけません。
  石垣島に行った時の経験です。私は海に沈む美しい夕日をビューポイントで観たかったのです。
  案内してくれた現地の担当者に聞くと「ホテルの窓からよく見えますよ」です。海から見たいと言うと「ホテルから出てちょっと行くと海です。そこから」です。
  更に、ビューポイントで見て写真に撮りたいと食い下がると、その担当者も「それなら…」とやっと連れて行ってくれました。

  車中、担当者も我慢できなかったらしく「なぜそんなに〝西日〟にこだわるんですか」と聞いてきました。これには私がびっくりしました。
  こっちは〝夕日〟が海に沈む美しい光景を見たいと思っているのに、向こうは単なる〝西日〟の感覚なのです。それで気が付きました。
  中国の地図を考えて下さい。西側は全てが山。舟山群島などごく一部を除いて約14億人の人口の大半が、夕日が海に沈む光景を見たことがない。

  宣伝の仕方とか、アピールの仕方は変えないといけないのです。
  中国人に日本のどこに行きたいかと聞くと、東京・秋葉原を必ず上げる。
  これは秋葉原のアピールの仕方がうまかったからです。学ぶべきです。中国人に来てもらう必然性をつくらねばならないのです。
  私は2007年から、山梨県の観光懇話会の委員をしています。山梨県は、武田信玄と風林火山をキーワードにして観光のアピールをしています。

 日本人はどうも 独りよがり
  そこで私は、半年の内に3回も武田神社を案内されました。1回目は興味津々、2回目は見落としたモノもあるかと行きました。しかし3回目となるとさすがに食傷気味でした。
  そこで言いました。武田信玄をいくらアピールしても外国人には、何のことかメッセージが伝わりませんよ。ここでは「東京との近さ」を伝えないといけないと提案しました。

  それで山梨県は「週末は山梨にいます」との新しいキャッチフレーズを開発しました。すると、中国人観光客数は、全国第5位にまで躍り出ました。
  このようにアピールの方法によって効果が違ってきます。メッセージがきちっと伝わるような方法を考えないと。  残念ながら、時々日本の皆さんは独りよがり、自己満足にはまる傾向にあるようです。

 深刻な日本企業の 勉強不足
  これは山東省のある都市の話です。日本ではほとんど知られていないようですが、ここは「中国のドバイ」といわれるような所です。
 私は現場主義ですから、いろんな現場を見るのが好きです。そこでデパートを調査しました。
  日本の家電メーカーの専門店がありましたが、売り場に商品がありません。店員に聞くと「全部売れました」。   それなら商品の補充は、と聞くと「いくら言っても回してくれない」です。日本のメーカーは、その都市を軽く見ているのですね。

  更にそのデパートの社長が嘆くには「日本の化粧品メーカーに4年間頭を下げて現地視察をお願いし続けているのに、未だに来てくれない」です。
  何も出店してくれとか、商品を回せとか言うのではなく「一度、視察に来て欲しい」というのに、来てくれないというのです。
  これだけ経済力を持った都市があり、注目してくれているデパートがあることを、日本企業は全く知らないようなのです。
  これを見ると、日本企業の勉強不足は深刻なものだと思われてきます。こうした地方都市を日本の皆さん、どれくらいご存知でしょうか。

  (この講演録は、2月23日開かれた協会設立35周年記念講演会の莫邦富氏の講演をまとめたものです。)

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中山時子先生を悼む
    中国語教育に信念と情熱
               
岡山市日中友好協会 副会長 黒住昭子     

中山時子先生
  お茶の水女子大学名誉教授で、中国文化研究の第一人者として名高い中山時子先生が、今年1月22日、享年93歳で永眠されました。
  年明けも、いつも通りお元気でしたが、急に体調が悪くなられ、数日のうちに旅立たれてしまいました。せっかちだった先生らしいとも言えますが、今でも先生のお声が聞こえるような気がします。

  「お変わりないですか」とお電話をすると決まって「頑張ってます」とお答えになっておられた先生は、大晦日と元旦以外はほとんど毎日、研究室である大泉会館でお仕事をなさっていました。まさに頑張り通したご生涯だったと思います。
  先生とご縁をいただいてから、約7年になります。その間、岡山まで2度もお越しいただき、特別中国語講座や中国を知るための勉強会、中国料理マナー教室など、中山先生ならではの特色あるご指導を賜り、またとない機会を得ることができました。

  協会の中国語センターでは、先生のご教示のもと、東京で60年来の歴史を持つ“浪乗り会”(中国語音読の会)を岡山でも実践するべく、毎週水曜日に継続して取り組んでいます。

  「日本は小さな国。中国と上手く付き合うことがどうしても必要です。そのためには、まず言葉です。中国語を学ぶ人をもっと増やしていかなくてはいけません。日本の中国語教育をきちんとしたものにしていくことが大事です」と、信念と情熱をもって常に身をもって示してくださいました。
  中国を知り尽くした先生のお言葉にはいつも実感と重みがあり、中山先生との出会いで中国語学習に大いに刺激を受けた方が岡山にもたくさんいらっしゃると思います。

  私も先生から中国語の発音を一からご指導いただいたおかげで、中国語との関わり方が大きく進展しました。一生勉強を続けていく思いになったことで、充実感を感じています。先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
  この度、先生が中国語教育のために長年力を注いでこられた多くの資料を、当協会に託していただきました。   中山先生の思いをしっかりと受け継ぎ、それらを活用して“中山メソッド”とも言える中国語教育の体系を岡山から発信していきたい思いです。

  指導者として大家でありながら、より良い勉強法、指導法を生涯求め続けておられたそのお姿を胸に刻み、協会の中国語センターが未来への役割を少しでも果たせるように、努力してまいりたいと思います。
  先生のご冥福を心からお祈りいたします。

瀬戸内日中友好卓球交流会
   青島に小中学生ら9人訪問
        大歓迎に元気一杯親善交流
 

  瀬戸内日中友好卓球交流会では、青島市卓球運動協会と隔年で卓球交流訪問団を相互派遣する協定になっており、一昨年に続き、今年も3月27日から1週間の日程(団長他1名は2泊3日)で訪問団を青島に派遣しました。
晴れやかに帰国した子供たち 
  参加したのは、当交流会の丸川副会長を団長とする、岡山・香川の小中学生9名(うち男子5、女子4)と祢屋コーチ(岡山)、伊藤コーチ(香川)、そして選手の父兄で中国語通訳も務めて頂いた木村氏の計13名です。

  第1回の派遣を行った2年前は、尖閣諸島問題に端を発する日中関係の政治的緊張真っ只中だったこともあり、目立たないように静かに交流を行ったイメージだったが、今回は雰囲気が一変、大歓迎でした。

  受入れ体制を周到に準備した様子で、交流先の学校や有力な父兄が接待役を分担し、卓球交流に止まらず、観光や文化的交流、夕食接待などきめ細かい「おもてなし」がありました。

  選手たちも体調を崩すことなく終始元気一杯で、卓球交流、友好交流両面で貴重な体験をし、大きな収穫を得て帰国しました。

  今回の青島訪問は、我々卓球交流会の次のステージへの発展を予感させる有意義な交流になったと考えており、来年の第2回受入れに向け、しっかり準備を行う所存です。 (卓球交流会事務局   国定 剛)

会員消息
【入会者】
    清水 富江さん(岡山市)
活動日誌
  3/ 7…洛陽事前訪中団(~3/10)
  3/ 8…総領事館主催中日友好女性の集い(牛田理事出席)
  3/13…江草安彦先生出版記念会(グランヴィアホテル)
  3/15…岡山外語学院卒業式
  3/22…洛陽の鮑静さん帰国挨拶(協会事務所)
  3/27…中国語検定試験(岡山ビジネスカレッジ)
  3/27…瀬戸内日中友好卓球団青島へ出発(~4/2)
  3/28…岡山香港便就航記念祝賀会(ANAクラウンホテル岡山)
  3/29…後楽館高校中国語教師陳文静先生(洛陽師範学院日本語科教師)来日
  4/ 4…上海より李華賓さん来岡
  4/11…イオン黄色いレシートキャンペーン寄付金贈呈式(イオンモール)
  4/14…三誌の会(まつのき亭)
  4/02…岡山市民友好訪中団出発(~4/24)

  
先憂後楽
  今年も洛陽牡丹祭りの季節がやってきた。協会ではほぼ毎年この時期に市民訪問団を派遣し交流を重ねてきた。本年は友好都市締結35周年にあたり、何か記念になるものは無いかと洛陽市対外友好協会と相談し、洛陽で日中の演奏家による民族音楽演奏会を開催することとなった。岡山からの4名の演奏家と洛陽古琴学会の演奏家たち7名が競演する。

  その準備は洛陽古琴学会が担ってくれた。会場設営からプログラム印刷、他地域からの演奏家招聘など、多くの時間と労力と費用を費やしている。政府の支援は無く、ほとんどスポンサーに頼っているという。本来、友好都市35周年記念なので、両市が費用を負担しあって実施すれば良いのだが、そうもいかないらしい。

  一方、韓国の友好都市扶余郡忠清南道からは締結20周年を記念して、副郡守を団長として政府代表団と大型の民族音楽舞踊団体が洛陽牡丹祭りに特別参加し、大いに盛り上がったと報道されている。

  今回の市民訪問団をキチンとやり終えて、今後の交流のあり方を官民一緒に考えていきたい。 (松)


「岡山と中国」ご希望の方にはご郵送いたします。  
また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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