2021協会設立40周年へ
2019年8月
令和元年8月
  258号

発行人 片山浩子
編集人 松井三平

「玉商紅太鼓」と民族音楽共演             
共同練習、交流会、ホームステイ、演奏会

  岡山県高等学校文化連盟(会長・前川隆弘 岡山城東高校校長)の国際交流事業として、玉島商業高校(倉敷市)と上海市陸行中学(上海市)が交流。まず7月、陸行中学が来岡し生徒達とお互いに演奏を披露しあった。ホームステイもあり、若者同士の交流は大いに盛り上がった。

 勇壮元気に紅太鼓
  上海陸行中学は、日本の高校に相当する学校で、今回、来岡したのは、民族音楽を学んでいる18人の女性主体の生徒たち。歓迎セレモニーでは、揚琴や琵琶、二胡などを披露、優雅で爽やかな演奏に、大きな拍手を受けていた。

  招いた玉島商業高校は、和太鼓部「玉商紅太鼓」の生徒たち。こちらも女生徒中心で、勇壮に太鼓を打ち鳴らし、元気なところを見せていた。
  陸行中の一行は、7月19日に来倉。生徒たちは、玉商で共同練習や校内での交流会に参加、演奏会にも出演、ホームステイも体験した。

 日本文化を体験堪能
  美観地区や吉備路などにも足を伸ばし、日本文化を体験し、地域の人たちともふれあっていた。
  この間、高梁市で開かれた岡山県高等学校総合文化祭「高校生芸術フェスティバル2019」にも和太鼓部と共に参加し演奏を披露した。

  会場の高梁総合文化会館には、県内の31校から約400人の生徒らが一堂に集い、各種発表、演奏、展示などを通じて交流。市民らの参加も多かった。
  海外からの参加は、中国・上海市陸行中学だけだったが、中国の民族音楽を演奏披露することで、異文化交流にも繋がり、友好の輪は確実に広がったといえそう。
  一行は関係者らに見送られて7月23日、空路帰国した。

  この高校生の国際交流事業は、1989年岡山県内で開かれた全国高校総合文化祭を契機に、県内高校の文化部と海外の高校との国際交流を図ろうと始まったもの。
  岡山県高校文化連盟の取り組みとして実施している。

 8月17日から上海へ
 玉島商業高校が訪問
  玉島商業高校は、陸行中学の訪問を受けて、8月17日から同21日までの5日間、和太鼓部「玉商紅太鼓」が上海陸行中学を訪問する。
  メンバーは同部の2、3年生13人で、演奏会や交流会に出席、ホームステイも体験し、幅広く交流することになっている。
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 第1回
  
  神奈川大学人文学研究所内山完造研究会(横浜キャンパス)
 シンポジウム「内山完造と日中関係」
  これまでの調査研究概況を報告
  神奈川大学及び同大学内山完造研究会など主催の「内山完造と日中関係」についてのシンポジウムが、7月6日午後2時から、横浜市神奈川区六角橋の神奈川大学横浜キャンパスで開かれた。

  まず、主催者を代表して神大の孫安石国際学科教授が経過報告。その中で孫氏は、内山完造研究会を一昨年立ち上げ例会を開催してきたこと。
  また、共通の認識に立つため内山完造の自伝「花甲録」の読書会を開催したこと。京都、山口、福山、井原、岡山など、国内の内山完造の関係地域を調査したことなどについて説明。
  とりわけ岡山市日中友好協会に貴重な資料が残されており、その資料整理を実施したことなどについて報告した。 そして今回のシンポジウムが、その中間報告的な意味があることを話した。

  シンポジウムでは、最初に岡山市日中友好協会の松井三平専務理事が挨拶をし、現状などについて説明した。
  松井専務理事は、冒頭、神大が内山完造研究会を立ち上げ、二度にわたり協会を訪問し、眠っていた資料を
整理し蘇らせていただいたことへの感謝を表した。
  そして、友好活動に関わった経緯を紹介するとともに、中西寛治氏との出会いと1980年に取り組んだ岡山県日中仏教文化交流会の組織結成、1981年の岡山市日中友好協会再建総会への取組みを披露した。
  自らが中西氏を通じて内山精神を学んだことを述懐した。最後に、10月26日には岡山で内山完造シンポジウムが開催されるため、協力を呼びかけた。
各種報告

①内山完造の『花甲録』について
                                        神奈川大学客員教授   菊池敏夫 氏
  中国では60歳になると自伝を書く習慣があった。花甲というのは60歳のことで、「花甲録」には内山さんが生ま
れた1885年から1945年までの生い立ちと、キリスト教への入信への経緯。
  それに、商人として中国人や中国の見方が変化してきたことなどが記されている貴重な記録であることが紹介さ
れた。


②内山完造と岡山市日中友好協会の資料
                                        神奈川大学教授    孫 安石 氏
  昨年2回にわたって岡山市日中友好協会を訪問し、協会に残されていた中西資料を紹介。
 特に、内山完造記念館設立趣意書や岡山市の土地提供証明書が残されており、時の市長や日中関係者が鍬入れ式までやっているのに、何故実現できなかったのかと問題提起した。
 今後、岡山市の議会議事録などから解明していきたいと語った。


③内山完造と日中友好運動について
                               
神奈川大学名誉教授   大里浩秋 氏
  大里名誉教授は、東大出身で辛亥革命の研究で有名。氏は日中友好協会の機関誌「日本と中国」の縮刷版の
中から内山完造の記事をすべてピックアップ。
 1950年の友好協会設立から亡くなる1959年までの友好運動へのかかわりに焦点をあて論考した。


④内山完造関連の未公開アルバムについて
                                        内山書店会長     内山 籬 氏
  内山さんは、完造さんの弟である嘉吉さんのご長男。つまり完造さんの甥にあたり、内山完造書店の前社長だ。
  籬さんは、これまで公開されていなかった写真をパネルにし、会場に展示した。
  中には周恩来総理が、内山さんが座っている椅子のひざ掛けの上に腰かけて談笑している写真などがあり、二
人が極めて親しい関係にあったことを示す珍しい写真もある。
  このパネルは10月26日に岡山で開催されるシンポジウムでも展示され、近い将来写真集として出版される予
定であるとのこと。

未公開写真について解説する内山氏                            各種報告を熱心に聞き入る参加者    
 
 

                            ○    ○    ○
  報告会終了後、コメンテーターによる質疑感想が述べられ、参加者全員の記念撮影が行われて閉会した。
  また、有志による親睦会が校内の食堂で開催され、関係者の意見交換や名刺交換が活発になされた。

内山完造シンポ
   松井挨拶

  「内山精神を受け継いだ 中西寛治さん。
           その歴史や資料を整理して、内山精神を 次代に繋ぎたい」


挨拶する松井専務理事
  ご紹介頂きました岡山市日中友好協会の松井と申します。どうぞ宜しくお願いします。
  今回は、神奈川大学が内山完造研究会を立ち上げられ、2度にわたり岡山にお運び頂き、岡山市日中友好協会に眠っていた資料を蘇らせて頂いた上に、このシンポジウム開催により、その価値を高めて頂きましたことに感謝申し上げます。

  私は、京都の丹波地方の生まれですが、岡山大学に入ることになり、そのまま岡山人となり今日に至っています。
  日中友好活動に参加したのは1970年代の後半でした。大学時代に先輩の影響を受け、新中国についての関心はありましたが、1978年に大阪の青年訪問団に参加し、初めて中国を訪問したのが大きな契機となりました。
  帰国後、日中友好協会に入り、活動を始めることとなりました。そのころはご承知の通り、名称変更や組織改編など、友好協会も混乱の時代だったと思います。
  私が所属していたのは日中友好協会(正統)岡山県本部の岡山支部でしたが、名称変更後、岡山市日中友好協会となり、私が事務局長ということになりました。
  ただ、当時は政党色が強く、幅広い市民運動とはかけ離れているなと感じ、組織の改編を考えていました。

  そんな時に出会ったのが中西寛治さんです。中西さんは私が出会った当時すでに70歳台だったと思いますが、まだお元気で、1週間に1度はご自宅か後楽園の駐車場でお会いし、毎回最低2時間はお話ししていました。
  話の内容は、中西さんが係わった友好活動のことや、組織の在り方、事務局長としての心構え、事務局会計管理の方法、人としての生き方など広範囲にわたっていました。
  中でも内山先生との出会いや、内山先生の考え方については何度もお伺いしました。保存資料もよく見せて頂きました。

  中西さんと最初に取り組んだのが、岡山県日中仏教文化交流会の組織化でした。
  岡山県下の各宗派を網羅した仏教を通じた友好団体を1980年に立ち上げたのです。
  当時は、京都・清水寺に日中仏教協会という全国的日中仏教交流団体がありましたが地方の組織はありませんでした。
  そして、その翌年の1981年に現在の岡山市日中友好協会を〝再建〟という形で設立したのです。準備委員会から正式設立に至るまで、いつも中西さんの指導を仰いでいました。
  特に中西さんが事務局をしていた「内山完造顕彰会」「郭沫若をしのぶ会」などの組織は、再建の大きな礎となりました。
  1956年に岡山県下から最初に訪問した学術視察訪問団団員の中で有力な方々がまだご存命だったことが大きな力添えになりました。

  2021年、私たち協会は創立40周年を迎えます。内山精神を受け継いだ中西寛治さん、そして微力ではありますが、それを繋いできた私と協会の歴史や資料を整理して、次代に繋ぎたいと考えています。
  今後私達がどのような考えで、日中友好活動に取組むのか、まだはっきりした方向が見出されている訳ではありません。ただ、はっきり言える事は、伝えるべきは内山精神であると確信しています。

  本日のシンポジウムそして10月26日に岡山で予定しているシンポジウムを通じて、内山さんの功績と、岡山市日中友好協会の歴史を振り返ると同時に、未来への展望が見出されることを祈っています。
  この事業は、皆様のお力添えなくして、成し遂げられるものではないと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
 
岡山での内山完造シンポジウム
    10月26日 西川アイプラザ  

  神奈川大学内山完造研究会による第1回目の「内山完造と日中関係」シンポジウム開催を受けて、第2回目のシンポジウムが、10月26日、岡山で開かれる。

  今回のテーマは「内山完造と岡山−内山完造没後60周年記念−」で、岡山市日中友好協会と神奈川大学内山完造研究会が共催で実施する。
  会場は、岡山市北区幸町の西川アイプラザ4階会議室。時間は午後1時半から同4時半まで。参加費は無料。

  神奈川大学からは、内山完造研究会を主宰する孫安石教授、大里浩秋名誉教授ら。内山書店からは内山籬会長、福山市日中友好協会の佐藤明久会長ら、内山研究の主要メンバー、研究者らが一堂に顔を揃える。
  また、会場では、内山完造関連の未公開アルバムのパネル展示も計画されている。

  当日は、孫教授がこれまでの研究会の活動状況について報告、次いで各種研究報告に入る。
  報告会では、まず、同大学人文学研究所客員研究員の川崎真美氏が「内山完造とゆかりの地」について解説。内山籬氏は、未公開アルバムについて解説する。
  コメンテーターとして、佐藤明久会長と、井上浩宇治市日中友好協会会長も論議に加わる。

  次いで、大里浩秋名誉教授が「内山完造と日中友好運動」について話す。岡山市日中友好協会の松井三平専務理事は「中西寬治と岡山の日中友好運動」について報告する。
  上海交通大学客員教授の森田潔氏は「現在から未来に引き継ぐ内山完造と郭沫若」について話す。

  講師、報告者らを交えての質疑も予定されており、内山完造研究にとって、貴重なシンポジウムとなりそう。
 問い合わせ、申し込みは、岡山市日中友好協会(電話086−225−5068)まで。
 
 
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浩良大島開拓団跡地を訪ねて
地平線まで続く緑の大地
      花束を供え頭を垂れ慰霊

                        青木康嘉 (近現代史研究者)

  北満(中国東北部)は雨続きの予報だったが、天候にも恵まれ、地平線まで続くトウモロコシ・大豆・水田の「緑の大地」はいつも心を癒してくれる。
  この度の訪中は、昭和17年に開拓団で生まれた2人の生誕の地を訪ねる旅であった。
                                                                 
龍爪地区の住民との交流会

  小林軍治(76)は、黒龍江省林口県の第六次龍爪開拓団で生まれた。1983年、父親とこの地を訪ねて以来7回目の訪問である。

  日の出郷(竜爪四隊)の住民は、いつも温かく迎えてくれる。前回の訪問から始まった夜の懇親会に、地元住民11名が参加してくれた。

  「北国の春」など合唱し、一層の信頼が強まった。雑貨店主、劉正峰(60)と小林軍治は別れの時長いこと力強くハグをしていた光景は印象的であった。



浩良大島開拓団本部跡での慰霊
  伊藤明子(76)は、第十次浩良大島開拓団で生まれた。国民学校長、原田満左右の娘である。戦後一度も訪ねたこともない開拓団探しは困難を極めた。

  佳木斯市から北西70キロ、綏佳線の浩良河駅から3里離れた開拓団の本部跡に行った。そこは森林原野になっていた。
  昭和16年に入植して、在団中9名が赤痢などで死亡した。 「私は原田満左右の娘、伊藤明子です。戦後一度も訪れることができず、亡くなった方に申し訳ない気持ちで一杯です」。
  花束を供えて、深く頭を下げ慰霊した。

  長春(新京)で約1年間引き揚げ待ちで避難した順天地区の神泉寮跡地へ行った。発疹チフスなどで死亡した29名の慰霊もした。
  浩良大島開拓団の在団者は232名、犠牲者は68名、中でも乳幼児・子ども41名が死亡した。


 日中交流の記念/長泉寺   本堂改修六十周年

 め ぐ り あ い
邂  逅


光研(77翁)権大僧正
 《訪日団と共に》
ひとこまの日中仏教交流史
白馬寺の飛錫の旅や長泉寺
仏伝は白馬と飛鳥ふたつあり
奈良・京都古刹巡りて夢語る  

   《お練り供養で》
五月晴れ大法要の主役なり
青空に流る丶ものあり練供養
盛装に混じって黃衣の中国僧
ハレすがた稚児は庭石飛び跳ねる

   《瑠璃光殿法要で》
白馬寺の「心経」かしこむ瑠璃光殿
密教は「明るく生きる他になし」
 《祝宴にて》
百人のつどいとなりて華を添う
ひとりいてくれるよろこび緋袈裟被る 


   《交流会で》
奇遇なり両市交流の四十年
洛陽は〝仏教の古都〟いざ知らむ
 

 《國清寺にて》
大禅師遺影寂しく笑みいたり
 
 《奈良にて》
元興寺庭に仏足石歌よむ
どうみてもちがう日中両大仏
風揺らぐ仏でありしルシャナかな
 
 《京都にて》
人混みを登る坂あり清水寺
今昔のちがいはあれど寺参り
 

 《余録》
ものわかりせずとも満面喜寿の笑み
なぐさみに百句残さん春の末
                                      (「邂逅」七十七句集から抜粋させて頂きました)

 STUDENT EXCHANG in 上海
17人の生徒が上海で友好交流

  岡山県日中教育交流協議会(会長・岡本啓おかやま希望学園学園長)主催の「2019 STUDENT EXCHANG in 上海」に参加する一行17人が、7月29日、岡山空港から上海へ出発した。
出発式で激励する岡本会長
  一行は、高校生15人と引率者2人。参加生徒は、2回の研修会を通じて、リーダーなどの役割分担を決め、最近の上海事情の講演、旅行手続き、ミニ中国語レッスン、そして上海での交流会での出し物について準備してきた。

  4泊5日の上海訪問では、学校を訪問し英語の模擬授業や美術の講義を上海のバディたちと一緒に受け、また生徒同士の交歓会に参加、そして2泊のホームステイを通じて上海の人々の生活に触れる。

  このプログラムは、同教育交流協議会が(一財)岡山県教育職員互助組合と(公財)福武教育文化振興財団の助成を受けて2005年より実施しているもの。

  これまで上海の高校と4年間、2010年より大連と6年間、そして2016年より上海市静安区の上海市第一中学(日本の高校にあたる)との交流が続いており、今回で14回目となる。なお、一行は8月2日、元気に帰国した。
 
活動日誌 
 6/29…県日中教育交流協議会上海派遣高校生第1回研修会(県生涯学習センター)
 7/ 4…県日中懇話会理事会(ピュアリティまきび)
 7/ 6…内山完造シンポジウム参加(横浜・神奈川大学)
 7/15…上海派遣高校生第2回研修会
 7/16…内山完造シンポジウム準備会議(協会)
 7/19…県高文連受入、上海陸行中学訪日団来岡(岡山空港)~23日。玉島商業高校と交流。
 7/29…上海派遣高校生出発
 8/ 9…「岡山と中国」会報発送
先憂後楽
  「人間、死んだら終わり」ではないとノンフィクション作家の柳田邦男さんが雑誌PHP8月号に書かれている。「なぜなら、人の精神性のいのちを映す最後の生き方や言葉は、遺された人の心に生き続け、その人生をふくらませていくからです。このことを私は『死後生』と呼んでいます」と。

  柳田さんのお母さんが口癖に言われていた「なんとかなるべさ」という生き方が苦難から再生させてくれたとご自身の体験を記されている。「死んだら終わり、ではない」と考えると、確かに前向きになれる。

  いま協会では再建40周年記念事業に向けて、事務局で引き継いできた貴重な資料の整理と検証に取組んでいるが、どこから手をつければよいか悩んでいたところ、まさに神様のご慈悲と言うべきか、昨夏、神奈川大学内山完造研究会が来岡、研究者の手により資料整理に着手して頂いた。

  その成果発表も含めた第1回内山完造シンポジウムが7月6日に神大で開催され、来る10月26日には岡山で第2回目が開催されると決まった。

  内山さんが郷里の芳井町を離れ、上海で書店を開き、数々の先進的な文化人と交友を重ね、日中友好のゆるぎない信念を持たれた。戦後岡山へ帰省した時に矢掛の中西寛治さんに日中友好協会の看板を掲げるよう指示され友好運動が始まった。中西さんは岡山市に出て、数々の友好事業を手がけてきた。そして、その業績と貴重な資料が岡山市日中友好協会に託された。

  私は『死後生』を信じる。私の気持ちや活動規範の中に中西さんの精神が受け継がれている、そしてそれは内山精神の継承でもある。「人は死んだら終わり、ではない」。                          (松)




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