ʼ21年は協会設立40周年
2020年4月
令和2年4月
  262号

発行人 土井章弘
編集人 松井三平

岡山・洛陽友好都市締結40周年岡山市日中友好協会設立
   おおもり・まさお氏
昭和29年生まれ。東大卒。建設省、国土交通省を経て平成25年から岡山市長、2期目。


特別 対談 日中友好を語ろう

  大森雅夫市長 ・ 土井章弘会長

  岡山市日中友好協会(土井章弘会長)は来年設立40周年を迎える。 岡山市も来年洛陽市との友好都市締結40周年となる。 大森雅夫市長、土井章弘会長の両トップに、40周年と〝新型ウイルス〟終息後の対応、新時代の日中友好交流について熱く語って頂いた。=敬称略=



   どい・あきひろ氏
昭和14年生まれ。鳥取大医学部卒。岡大医学部講師などを経て昭和63年から岡山旭東病院院長。

 心と心のライフラインを(土井)  友好都市交流は是非必要(大森)

岡山市長室で
〇第6代目となる土井章弘会長から、新任の抱負について。
  土井 この歴史ある岡山市日中友好協会は、1981年(昭和56年)に、岡山大学の元学長でもあった赤木五郎先生を会長にスタートしています。
  その時に目指したのが「市民みんなで日中友好!」でした。市民参加による開かれたものにしたいというもので、それをずっと今まで続けてきたと思います。
  歴代の市長さんも、非常に協力して頂いて共に歩んでこれたと思います。この伝統を引き継ぎ、これからも、市民中心の方向でやっていきたいと思っています。

〇岡山市として今年の抱負について。
 大森 私どもも今年の方針は、今までと同様、全くぶれないと思います。中国との関係は我国全体にとっても非常に重要ですし、岡山市にとって洛陽市との友好都市交流というのも是非必要です。
  中国の人の心を理解し、我々の心も彼らに理解してもらう、そういう相互交流はすごく重要です。また、これからを担う子どもたちが、中国の人たちの心をきちっと受け止め、ないしは自分たちの心をきちっと発信する、そういった良い機会になっているのではないかと思います。

〇友好協会設立40周年、友好都市締結40周年についての取り組みは。
  土井 私たち友好協会は来年、協会設立40周年です。記念行事として、できれば洛陽に訪中団を出したいと思っています。市長さんもご一緒に行って頂ければ…。
  大森 岡山市も、来年が洛陽市との友好都市締結40周年ですし、訪中団にも参加させて頂き、中国との交流をさらに進めていきたいですね。
  40年というと、やはり節目の時ですから、そこでお互いが一層意識しあうことが重要ではないかと思います。私も洛陽市に2回訪問し、市長や党幹部の方とお話しをさせて頂き、良い関係が築けたのではないかと思っています。昨年は洛陽からも副市長がお越しになりました。
  そういった積み重ねをやっていく中で、40年という節目で、一層お互いの関係を盛り上げていきたいですね。
  土井 おっしゃるとおり40年は一つの節目ですから、日中友好の過去と未来に向けてのシンポジウムといったものを、市民参加で何か開いたらどうかと思っています。
  大森 今年は習近平主席の訪日も予定されています。政治だけがお互いの関係ではないのであって、文化交流とかいろいろあると思います。
  35周年の洛陽訪問の時には、岡山からは雅楽の演奏があり、興味を持って頂きました。日中間には文化面でも共通することが非常に多く、それをお互いが感じ取れるようなシンポジウムになれば良いですね。
  土井 過去を見ると、中国から学んだことも多いし、いろいろありましたが、それらの上に現在があるのです。
  ですから、多少問題があることもあるでしょうが、それを〝おおっぴら〟にするのではなく、本当の友人として「これからどの様にしていくべきか」に目標を置いて考えるべきだと思います。
  人と人との繋がりが一番大事だと思います。
  大森 そうですね。そういった面で岡山には、いろいろな方がおられる。古くは遣唐使として活躍した吉備真備もいますし、戦後では岡崎嘉平太さん、それに岡崎さんから薫陶を受けたANA相談役の大橋洋治さん、そういった中国との関係を大切にしている方々がおられるということ自体、誇りに思って、そういった考えを受け止めながらやっていくことが重要だと思います。
  土井 犬養木堂もそうだし内山完造もそうですね。震災などが起きると〝ライフライン〟ということが言われますが、本当のライフラインは〝心と心のライフライン〟ですよ。人と人の繋がりが一番強く大事なのです。
  大森 私は、尖閣問題が起きた時、国土交通省にいて対応に追われましたが、国と国の交渉は難しいものがあります。その後、岡山に帰ってきたのですが、そのころだったと思います。駐日大使だった程永華大使が「日本と中国は引っ越しのできない隣人である」とおっしゃっていました。
  事実、お互い隣同士です。とすれば、基本的な心として、ライフラインと同じで、お互い〝心のライフライン〟はきちっと持っておかなければなりませんね。

〇友好交流活動の中で、官民の協力について。
  大森 今や〝官〟とか〝民〟とかの区別はないですよ。
  一つの大きな方向性をお互いが持って、お互いの役割に沿ってともに活動していくということでしょう。
  土井 おっしゃるとおりお互い協力しながらやっていきたいと思っています。そこで今考えていることですが、今後は若い人達が日中友好の力にならなければならないということです。
  私どもの役割としては、若い人達を協会に入ってもらい、活動してもらうことです。青年部もできましたので、後に続く人達を育てていきたい。
  それと、小中学生等の子どもたちに友好都市・洛陽市を紹介するという運動もできたら、と思っています。〝ミニ講座〟などを開いてもいいでしょう。
  大森 市は毎年子どもたちのホームステイ交流を行なっています。若い人達の交流は、これからの平和にも
繋がりますし、経済交流にも繋がっていくと思います。
  私が初めて中国に行ったのは1980年代後半です。香港経由でしたが皆人民服でした。当時の中国の人達と今の中国の人達とは、考え方も随分違ってきています。日本人も同じでしょう。そういった状況の変化をきっちり受け止めて、柔軟に対応することが必要です。そして、我々が取り組む経済交流であり文化交流であり、そういったものを促進していくベースは、心の交流だと思うのです。
  土井 今回の新型コロナウイルス騒動を見ていて、本当にサプライチェーン(供給連鎖管理)が日中複雑に入り組んでおり、如何に重要か、思い知らされました。その分、平素の友好交流が大切だと思いました。
  大森 マスク一つにしてもそうですから。そんな時にベースとなるものがしっかりしておれば、問題にもならず対応できます。我々はそういった面で一緒になって、心の交流の基礎を創っていくということですね。

〇医療交流の取り組みについて。
  土井 岡山は医療先進県と言われ、レベルは高いものがあり、以前から洛陽の病院と付き合ってきました。
今後も、病院同士の連携とか、高齢化社会に対応しての介護福祉面とか、岡山にも関連した会社がありますので、お互い交流ができたらと思います。その〝橋渡し〟ですね。そんなことが一つの役割ではないかと思っています。
  大森 医療ツーリズムもその一つになるでしょうね。まだシステムとしてできあがっていませんから、どうやってそういったシステムを創り、動かしていくかでしょうね。
  土井 ツーリズムというと、何かビジネスにしてしまった様な気がして…そうじゃなくて医療を通じて助け合うということでないとね。
  大森 そうですね。医療ツーリズムなんて言うと、何か観光客を増やすことと同じ発想のようです。それは違いますね。
  出生率が減ってきていますし、これからは、岡山をはじめとして、日本は日本人だけでは経済も回っていきません。雇用面も大変なことになるし、そういう時には外国の方にお願いしなければなりません。
  それらをどのように様々な社会システムの中に入れ込んでいくか、考えなければなりません。心の交流とともに重要なことだと思います。

〇これから取り組む方針について。
  大森 日中両国の交流というのは、お互い引っ越しのできない隣人ですから、お互い心の交流を行なうことによって初めて円滑な生活ができるのだと思っています。
  その面から岡山市日中友好協会という民間団体が活発に動いてくれることによって、その交流はよりよいものになるはずです。我々も及ばずながら最善の努力を惜しみません。
  土井 ご一緒に頑張りましょう。
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中国駐大阪総領事館
   何振良 総領事に就任


何 振良 氏
  中華人民共和国駐大阪総領事館の新総領事に、何振良(か・しんりょう)氏が2月5日付で着任した。李天然総領事の後任。何氏は、前任が駐福岡総領事で52歳。

  1996年駐日大使館三等書記官、2001年外交部アジア局二等書記官、2008年同局日本遺棄化学兵器問題処理弁公室副主任、2015年駐日大使館公使参事官、報道官を経て、2016年7月から駐福岡総領事を務めていた。

  着任にあたって「大阪総領事館は、古くから中日両国交流における地域の中心的役割を担っています。総領事館は皆様への情報発信の窓口となり、中日友好を深める架け橋になるよう努めてまいります」とコメントしている。
 岡山外語学院中国校友会
   マスク5千枚を学院に寄贈
                    学院は地元町内会等に贈呈

  新型コロナウイルス感染予防のためとして、岡山外語学院(片山浩子理事長)の中国校友会(徐輝強分会長、王振国事務局長)は、5千枚のマスクを同学院に贈った。
  贈呈式は、4月17日、同学院の会議室で行なわれた。そのうち1千枚は地元の町内会に、また1千枚は岡山
片山理事長から贈呈
市日中友好協会に贈呈された。

  式では片山理事長が「卒業生が帰国後立派になり、このような形で気持ちを表してくれたことが大変嬉しく、心から感謝している」と挨拶。
  岡山市清輝学区連合町内会の中原一郎会長と友好協会の松井三平専務理事にもそれぞれマスクが贈られた。

  中原会長は「町内会の組織を通じて困っている人に届けたい」と感謝を述べた。友好協会では、ウイルス対策の最前線で戦っている県内の医療機関に届ける。
 
友好都市・洛陽市から
   〝お返し〟のマスク3万枚 

  岡山市の友好都市・洛陽市から3月末、岡山市に対し新型コロナウイルス対策用としてマスク3万枚が、送られてきた。
− ダンボール箱のメッセージ −
「山川域を異にすれども春の訪れをともに
待っている。ボタンと桜は次々と咲き誇る
  これは、新型ウイルスが中国で猛威を振るっていた今年2月、岡山市や岡山市日中友好協会が協力して対策用のマスク(2万2千枚)を洛陽市に支援物資として贈った〝お返し〟といったもの。

  岡山市役所に到着したのは、3月30日午後。郵便局から2台の車で、51の段ボール箱で運び込まれた。マスクは、使い捨てタイプのもの(青色)2万枚と、KN95マスク(防塵)1万枚。

  段ボールには、洛陽市人民政府が創作したというオリジナルの漢詩(7言2句)が励ましの言葉として書かれていた。



洛陽から届いたマスクの山
  同市では、マスク不足に悩んでいる医療機関や高齢者福祉施設などへ届ける。同市国際課では「支援を頂き大変ありがたい。こういう現状だけに有効に活用していきたい」と話していた。

 
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 旧満州避難
     の記録
 こうりょうおおしま
浩良大島開拓団跡を訪ねて 〈下〉

青 木 氏
開拓団員の埋葬地で慰霊
                  
                        近現代史研究者
 青木康嘉

  【前号(259号)より続く。「浩良大島開拓団」の悲惨な逃避行は8月13日の避難命令から始まる】

  8月16日。原田賀世たち60人は綏化駅で足止めされ、綏化飛行場格納庫で一か月間収容されることになった。
  この時の様子を『拓魂』(原田満左右著)で母親の原田賀世は次のように書いている。病弱な直彦(12歳)、和彦(5歳)、明子(2歳)を連れての逃避行の始まりである。

  「綏化で団は2つに別れ、私たち60名は幾つもの並んだ高い屋根の下で暮らすことになった。綏化の飛行場の格納庫生活の一か月。幼児は次々にハシカで死んでいく。明子もハシカになる。毎夜懐に入れて坐って寝る。9月15日南下の命令が出て、綏化の捕虜となっている主人を収容所に訪ねた。生別か、死別か、ハシカでやつれた明子を抱いて2人の子どもと一緒に行く」。
  綏化飛行場格納庫収容所で、浩良大島開拓団員の乳幼児4人が亡くなった。原田満左右ら団員7名が、綏化の収容所からシベリア抑留となった。

  島村団長以下90名の本隊は、綏化駅に降りずハルビンへ南下した。8月18日、新香坊駅に到着。19日、ハルビン郊外の礎収容所(元義勇隊訓練所)に入った。ここで3か月滞在した。
  新香坊収容所で次々と子どもたちが発疹チフス・栄養失調などで死亡した。9月5人、10月13人、11月3人、不明1人の22人の死者が出た。42歳の女性が1人いるだけで、21人が乳幼児であった。

  原田賀世ら56名(4人死亡)は、9月16日、綏化駅を出発。19日新京(長春)駅に到着した。
  新京駅から5キロ南下した順天公園前にある満州中央銀行独身寮である「神泉寮」に落ち着き、そこでの自活生活が始まった。
  11月14日、ハルビンにいた本隊の68名(22人死亡)が南下し、翌15日「神泉寮」で感激の再会をした。

  原田賀世は、この長春の街での様子を次のように綴っている。
 「皆めいめい最大限に生きる道に入った。立ち売り、使役…。最低生活に耐えてきた私たち開拓民は、投げ出された時に根強いものを持っている。私は立ち売り一点張りだった。旧日本人繁華街の吉野町で甘酒、かがみ納豆、お饅頭を仕入れ、それを売った」。
  1945年暮から寒さと発疹チフスが猛威を振るった。発疹チフスは「寒さが加わると共に、生活苦、栄養失調の上、悪寒発熱40度、意識は失われる」症状が現れる。
  シラミの媒介で避難民を総なめにする猛威を振るい、団員の若者も成人たちまで犯された。明子(3歳)が今度はアメーバ赤痢になった。血便が続き、目ばかり大きくなった。
  「今度は明ちゃんの死ぬる番じゃなぁ」という声が聞こえてきた。しかし、ある日売るために油揚げを煮て置いていた。それを明子がたくさん食べたら、不思議にアメーバ赤痢は治った。

  1945年、新京(長春)では9月に3人、10月に1人、11月1人、12月5人死亡した。翌1946年には1月2人、2月4人、3月3人、4月2人、5月2人、6月3人、7月2人が死亡した。
  大人15人、子ども13人、計28人の団員が死亡した。風呂にも入らない垢だらけの身体、洗濯の出来ない防寒具は格好のシラミの住み家だった。

  2019年7月31日、長春駅前の旧ヤマトホテル(現在は春誼賓館)、旧吉野町商店街へ向かった。旧新京神社のあった場所、旧関東軍司令部(現在は中国共産党吉林省委員会)や大同広場の中央銀行や電電公社のビルなどを見学後、長春で宿泊予定の名門大酒店で荷物を降ろした。
順天公園跡地で花束をささげる(写真①)

  今回の旅行では、長春市内のホテルは名門大酒店と指定していた。なぜなら、その名門大酒店が「旧新京市内地図」によれば、神泉寮や中央銀行社宅跡に一番近いからである。
  昼食後に慰霊をできる順天公園跡地(現在順天公園はない)を探した。旧新京時代に走っていた電車通りに面して、神泉路との交差点に、旧順天公園の一角に当たる場所に長春図書館があった。

  大きな図書館の一角に小さな公園があった。が、その日、長春図書館は休館だった。しかし、通訳兼添乗員の劉鉄昌が、粘り強く交渉してくれ、図書館内のその小さな公園に入れてもらえることが出来た。
  木立の中で、伊藤明子(76歳)は、花束をささげ慰霊した。(写真①)
  まず、神泉寮で亡くなった28名の名前を一人ずつ挙げた。一人ずつ呼び掛けるように名前を読み上げる声が涙を誘った。浩良大島開拓団員による戦後74年ぶりの「慰霊」だった。
  翌朝、6時から約1時間、名門大酒店から中央銀行社宅跡と旧神泉寮付近の散歩をした。
  神泉路に出た。旧新京市内地図を見れば、長春図書館から300メートル東に行った場所から少しカーブしている。カーブしているところが旧神泉寮のあった場所だ。
埋葬地であったはずの公園で慰霊(写真②)
  旧神泉寮はマンションになっていた。ただ、旧神泉寮前に東屋やベンチがある小さな公園があった。記憶図によれば、この公園付近が浩良大島開拓団員の埋葬地である。そのことを、伊藤明子に告げて、花束はないものの手を合わせて慰霊をした。(写真②)

  1946年7月19日、「神泉寮」に別れを告げることになった。南新京駅から雨の中、無蓋列車に乗った。
 長男直彦は結核で38度の高熱を出していた。次男の和彦はアメーバ赤痢と再起熱のため、一段と体力が落ちていた。葫盧島はコレラが発生して錦州で足止めを食った。
  幸い、浩良大島開拓団員にコレラ感染はなく、8月13日出発乗船の通達がきた。
  錦州駅から列車で葫盧島へ行き、DDTの白い粉を頭のてっぺんから首筋までかけられた。7~800トンの小さな海防艦であった。
  約1週間、博多港で停泊があった。8月23日、博多港へ上陸できた。浩良大島開拓団員にとっては、引き揚げ開始から約1年たっていた。
笠岡市古城山公園の「開拓魂」と地蔵像(写真③)
 8月24日に博多駅から乗車して、夜半に故郷、笠岡に到着した。
 浩良大島開拓団員232名中、現地・引き揚げ中の病死者64人、行方不明・未帰還者6人、応召者59名中、戦死・戦病死者12人と計82名(死亡率約35%)である。
  引き揚げ中に限っては、約4343%が死亡・未帰還者であった。乳幼児の死者は41人で、死者の60%であった。

  笠岡市古城山公園の「開拓魂」の横に、地蔵像が建立されている。(写真③) =敬称略=

 


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 桜とボタン 見事に咲いてくれました 2020年陽春
   
  岡山市半田山植物園「洛陽牡丹園」

 

  新型コロナウイルス感染防止のための
      ご寄付のお礼とご報告

 会員の皆様へ

  新型コロナウイルスの感染急増に対し、政府の緊急事態宣言の対象地域が日本全国に拡大され、岡山県内でも学校の休校や飲食業などへの休業要請、外出自粛要請などで観光業、宿泊業だけでなくありとあらゆる事業活動へ大きな影響が出ています。会員の皆様にも、どうか日々の生活の中で十分用心され感染されませんよう祈念申し上げます。

  さて、このたびの新型コロナウイルスに際し、1月末に中国への支援のための募金を呼びかけましたところ、これまでに467,500円のご寄付を寄せていただきました。心よりお礼申し上げます。

  寄せられた募金により、2月9日にはマスク2千枚を購入し、岡山市の備蓄マスク2万枚と一緒に洛陽市へ送付させていただきました。2月10日には洛陽市人民対外友好協会から感謝状が届き、私たちの友好の気持ちが届けられました。その後、締め切りの3月末まで募金が寄せられましたが、日本での感染が徐々に拡大しマスク調達も困難になって参りました。そこで、協会として中国駐大阪総領事館と連絡を取り、寄付金を中国へお届けすべく申し入れを行いましたが、総領事館からは、ご厚意については有難くお受けするが、 中国は現在のところ感染終息に向かっているので、むしろ岡山での感染防止のために使ってほしいとのお申し出をいただきました。

  当協会といたしまして、この有難いお申し出を受け、募金残高でマスク  5,000枚を購入し、岡山県病院協会等を通じて県内の医療現場にお届けさせていただくこととなりましたので、ご報告申し上げます。皆様の暖かいご厚志に対しまして重ねて厚くお礼申し上げます。

  朝が来ない夜はありません、必ず光明が見えてきます。感染の終息後は皆様とともに更に活発な日中友好交流活動を展開してまいりましよう。

  2020年4月20日
              認定NPO法人岡山市日中友好協会
                     会長 土井 章弘 


  コロナ募金 お寄せ頂いた皆さん
駐大阪総領事館よりの感謝状
 
(あいうえお順、敬称略)
  RSK山陽放送㈱、逢沢一郎、赤木宣雄、朝日塾宙SOLA、荒木敏雄、生本久子、漆間宣隆、オージー技研㈱、岡﨑登、岡崎豊、岡崎博之行政書士事務所、岡本多太資、専門学校岡山ビジネスカレッジ、㈻アジアの風 岡山外語学院、岡山科学技術専門学校、岡山市国際交流協議会、岡山大学中国人留学生サークル会、小郷原昌道、尾崎敏之、㈻加計学園、笠井英夫、片岡弘子、片岡正文、片岡良仁、金谷文則、金光哲兄、木待賢逸、木山敬太郎、國定剛、國富保太、熊代三鈴、黒住昭子、黒住素山、紅葉商事㈱、古谷静、斉藤修、坂本睦士、志茂紀子、末永弥吉、杉山慎策、鈴木暁子、大道寺正子、ダイヤ工業㈱、高渕宣雄、竹井香代子、長泉寺、塚村淑子、土井章弘、土井基之、㈱トモニー、長尾冨佐恵、中島豊爾、中原富二雄、中山正昭、西尾総合印刷㈱、則次克美、則次美弥子、㈱林原、星野耕平、洞富美男、前田高宏、松井三平、宮本龍門、室賀ネジ機工㈱、山本直樹、横溝政資、由藤勝広  
 岡山後楽館高赴任
 郝先生やっと帰国  

  岡山後楽館高校の中国語講師として昨年3月、洛陽市から赴任していた洛陽師範大学講師の郝周紹先生が、1年間の任期を終え、3月24日帰国した。

  出発当日は、新型ウイルス騒動の影響で岡山上海便がすでに欠航していたため、関西空港から北京経由での帰国となり、岡山駅から関西空港行きの高速バスを利用した。
  岡山駅西口の高速バスターミナルでは、後楽館高校の姫路校長と藤井事務長、それに協会の松井専務理事らが見送った。

  ところが、帰国はしたものの運悪く郭先生は、コロナウイルスの影響により、北京空港でなく青島空港へ移送されてしまい、そこで2週間の隔離生活を余儀なくされる始末。 結局、4月8日にやっと家族の待つ洛陽の自宅に到着したという。協会には「やっと洛陽の自宅に到着しました。日本滞在中に頂いたご配慮とご支援に感謝します」とのメールが届いた。  

活動日誌 
 3/ 2…岡山市洛陽市友好都市議員連盟田尻会長訪問(市議会)
 3/12…土井協会長と大森岡山市長の対談(岡山市長室)
 3/14…瀬戸内日中友好卓球交流会理事会(協会事務所)
 3/21…令和元年度日中青少年交流促進団発表会(岡山大付属中学校)
 3/24…岡山後楽館高校郝周紹老師帰国見送り(岡山駅西口)
 3/25…岡山市指導課課長補佐来局(協会事務所)
 3/30…日中教育協会報「悠久」56号発行
 4/ 7…岡山NPOセンター業務打合わせ来局(協会事務所)
 4/17…岡山外語学院中国校友会よりマスク贈呈(同学院)
 4/28…会報「岡山と中国」4月号発送
会員消息 
【入会者】  
 加瀬珠樹さん(倉敷市)
 CANホールディングス㈱
先憂後楽
  1月中旬ごろから中国からマスクや医療物資が足りないとの連絡があり、全国の地方自治体や友好団体が友好都市などへ寄贈を始めた。当協会も、募金活動を開始し、岡山市と一緒に洛陽市へ送付した。
 
  2月に入り、横浜港に寄港したクルーズ船から多数の感染者が発症。爾来、日本での拡大が続き、欧米でも感染が広がり世界中が感染し死亡者も増えていった。

  3月に入ると、中国が終息に向かい、恩返しとしてマスクなどが送られてきた。ただ、日中間はほとんど行き来ができない。航空便は一航空会社週一便という原則の下、成田と関西空港に限られて運航している。入国制限も強化、ビザ無し渡航も取り消し、ビザ申請の受付もされなくなっている。

  留学生や技能実習生の出入国にも支障が出ており、大きな社会問題になってきている。仮に便があっても運賃は破格に高い。また予約してもすぐにフライトキャンセルになることがあり、そのキャンセル料は戻ってくるが一年後という航空会社もある。

  天安門事件も、SARSの時も、反日運動の時も経験してきたが、これほど大規模で長期間に及ぶ影響は初めてだ。

  ここは我慢して自粛して、自らを守り他人を守り社会を守ろう。そして必ず来る交流再開の日に備えたい。
   (松)



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