設立40周年
2021年6月
令和3年6月
  269号

発行人 土井章弘
編集人 松井三平

 岡山から岡山吉備楽十六日会、文化交流の発展に貢献
  日中韓「友好都市楽団連盟」設立
洛陽市音楽家協会揚冬梅副主席と外事弁公室の蔡志副主任が看板を除幕
 
  洛陽市と友好都市を締結している日中韓の伝統音楽関係者が集う「洛陽友好都市楽団連盟」が5月16日、洛陽市で発足した。

  これは、洛陽市と韓国・扶余市、それに岡山市が伝統音楽の研究と交流によって、日中韓の文化交流の発展に貢献することを目的として設立された。
  数年来、当協会活動の一環として行われてきた、洛陽との伝統音楽交流のパートナーである洛陽古琴学会の呼びかけによるもの。
  参加したのは、洛陽古琴学会、韓国芸術文化団体総連合会扶余支会、岡山吉備楽十六日会の三者に洛陽市音楽家協会も関わり、いわば洛陽市政府公認の文化交流基地という位置づけのようだ。

小野盛孝会長
  発足式は、5月16日、洛陽市老城区の文化交流センターで行なわれた。河南省や洛陽市の外事弁公室、各文化関係団体等の代表者約30名が参加し看板の除幕式などがあった。
  岡山からは、当協会の土井章弘会長と、吉備楽十六日会の小野盛孝会長がビデオメッセージで祝辞を送り、当日会場で披露された。

  土井会長は「日中韓の友好都市が文化芸術を通して切磋琢磨し、友好を深めていくことは非常に素晴らしいことだと思う」と今後の音楽交流に期待を述べた。

 相互理解を深める事
 アジアの平和の一助

  小野会長も「芸術、音楽を通して相互理解を深めることは大変意義があり、アジアの平和の一助となることを願っている」と抱負を述べた。
  近年中国でも、伝統文化をさらに盛り立てていこうという機運が高まっており、今回の連盟発足にかける中国側の熱意を感じさせていた。
  コロナ禍収束後に、またさまざまな形で交流が生まれることを願っている。
                                                (副会長 黒住昭子・記)
        
  楽団連盟協議書
    伝統音楽の研究、交流  毎年展覧会や相互訪問 
 
  目的として掲げられているのは、「日中韓各自の伝統音楽の研究及び交流を促進するため、また日中韓文化交流の発展に貢献するため」とし、洛陽市人民対外友好協会と洛陽市文学芸術界連合会も「支持」するとなっている。   具体的な事項としては、毎年各都市で文芸演出、芸術展覧を実施、また、毎年1回相互訪問することなどを盛り込んでいる。
  参加形式については、参加各会員が提供する芸術作品の展示もしくは文芸演出参加とし、非営利公益方式としている。
  有効期限は当面5年とし、5年毎に協議し、異議が無ければ継続していく。

 岡﨑郁子博士『文学評論奨(台湾)』受賞               著作 「黃霊芝物語」 に高い評価                  
  元吉備国際大学教授(文学博士)で、台湾文学研究者の岡﨑郁子氏が、5月、台湾の巫永福文化基金会から第42回文学評論奨を受賞した。
  この文学評論奨は、日本統治期から台湾を代表する文学者として知られる巫永福(ぶ・えいふく)氏が存命中に創設した権威ある賞。
  毎年、功績のあった文学者や評論者等に贈られており、外国人としては、岡﨑氏が初めての受賞という。

  岡﨑氏は、昨年、永年の研究成果を纏めた『黃霊芝物語−ある日文台湾作家の軌跡』を、日中両国語で発刊している。黃霊芝は、戦前・戦中・戦後を生きた台湾人作家で、日本語での作品を書き続けた〝異端〟の文人。
  岡﨑氏は、台湾文学研究をライフワークとしており、黃霊芝物語は、これまでの研究の集大成と言えるもの。長期にわたる幅広い研究・分析、諸資料の発掘などについて高い評価を受け、大きな受賞理由になったものと見られる。

 初めての外国人受賞
 賞金は基金会に寄付
  同奨の賞金について岡﨑氏は「これからの若い研究者のために使って欲しい」と基金会に寄付した。
  授賞式は、コロナ禍で急遽取り止めとなり来年の授賞式を合同で実施する事になった。

岡﨑氏の話 ……………
  黄霊芝氏評価の始まり
  受賞の知らせを聞いてびっくりしたし、本当に嬉しかった。黃霊芝さんの作品もさらに評価されることになるでしょうし、その始まりです。
  これまで私は、台湾作家や文学者等、約100名をインタビューしてきて、そのテープが大量に手元にあります。   その中に巫永福さんの声もあります。巫さんは、日本統治時代の「霧社事件」(反日武装蜂起事件)に絡んだ同級生がいて、思い入れの深い話をしてくれました。これらのテープを何とか文字にして纏めていきたい。これが研究者としての私のライフワークです。
 
  ▼▼ 理事会報告 ▲▲
    祝賀会は9月4日   「杜康酒」の普及も 

  岡山市日中友好協会(土井章弘会長)は、6月23日、令和3年度第2回理事会を開き、設立40周年記念事業の取り組みなどについて協議し決定した。
  40周年記念祝賀会は、9月4日午前10時半から午後1時まで岡山市内のホテルで会費方式により開催する。   具体的な実施内容については、今後実行委員会で協議する。来賓の招待、永年会員の表彰、記念誌の発行などを検討していく。

  また、記念事業として、洛陽の銘酒「杜康酒」の普及計画も協議された。計画では、洛陽の名産を直接味わい、市民同士の相互理解を促進してもらおうと、一番なじみの「杜康酒」を取り上げる事とした。
  輸入販売業務委託など、今後具体的に関係業者と協議していく方針。
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 論語で友好交流 
         就実小学校(岡山)  思言小学(上海)
勢ぞろいした思言、就実両校の児童と下段は上海市対外友好協会
就実小はアリーナホールで思言小とリモートで“対面”                      山部校長
   

  論語を基にした総合的教育(就実小)
  「同じアジア人もっと仲よく」と思言小児童

  論語を基にした、総合的教育を実践している就実学園就実小学校(岡山市)は、今年度、県日中教育交流協議会の仲介により上海の思言小学(上海市奉賢区)との交流に取り組んでいる。
  コロナ禍という時節柄、オンラインでの交流となったが、相互の学校紹介や自己紹介、そして相互に論語を日本語と中国語で唱え合うなど、子どもたちの交流は大いに盛り上がった。

  論語を唱え合う
  今回の交流は、第1回が4月13日、第2回が同27日に行なわれた。初回は両校の校長同士がお互いの学校紹介や初対面の御挨拶などを交わした。
  第2回は、子どもたちが参加して賑やかな交流会となった。就実小は6年生がアリーナに集合、思言小は4年生が校内のテレビ局に集まり、英語を共通言語として画面を見ながら交流スタート。
  就実小は、児童が自作した学校紹介ビデオを披露。思言小は筝の演奏や劇など中国文化を紹介。質疑では「休日は何してるの」「勉強では何が好き?」など、活発な応答が繰返されていた。
  最後は、共通して学んでいる論語を相互に日本語と中国語で唱え合い、お互いに相手国語の〝論語の発音〟の差にビックリしていた。
  児童の感想は「凄く楽しくよく学べた」「一生に二度と無い凄いことを体験」「中国語が分からなくても心が通じ合ったような気がする」などなど。

  次の交流も検討
  思言小からも「交流はとても心に残り新しい発見がありました。同じアジアの人として、もっともっと仲良くなりたい」。両校の子どもたちの新しい体験の評価は、すこぶる好評だったよう。
  就実小では「児童は本当に感激してくれていた。子供同士の手紙の交流も始まっている」(山部英之校長)とし、次の交流も検討している。
  ◯   ◯   ◯
  就実小学校は、学校法人就実学園(岡山市)が、2017年(平成27年)に創立した新しい小学校。
  教育目標として「論語を基にした総合的教育実践」を掲げ、論語が学校教育目標の根幹をなしている。初代校長に論語研究の権威で岡大名誉教授だった森熊男氏が就任、基礎をつくった。
 平成31年からは2代目校長に山部英之氏が就任。「グローバル社会の担い手として、未来をつくる就実の子を育む」教育を実践している。国際交流もその一環。 

 小路広史氏を悼む
     【 岡山市日中友好協会 元理事 中国三誌友の会 元会長】
 

  令和2年末だったと思う。小路広史さんが逝去されたと奥様からお電話を頂戴した。小路さんは、岡山市役所の職員を退職後、昭和61年に当協会に入会された。以降、協会理事として、また「三誌友の会」の代表として、長年にわたりご尽力頂いた。

  三誌というのは『北京週報』『中国画報』『人民中国』を指すが、当時は既に週報と画報は廃刊となり、人民中国誌だけが残っていた。
  この読書会を毎月開催し、時には人民中国誌の東京支局長を東京から招いて歓迎会や講演会を開くなどしていた。この活発な活動は、協会の中心的活動の一つとして、小路さんが会長としてリードされていた。

  友の会を常にリード
  ほめ殺しのお言葉も
  洛陽市訪問団にも何度も参加され、洛陽の外事弁公室の人々と友情を深められた。
  また、協会設立15周年記念誌の作成時には、編集委員として、三島伯之会長、岡本拓雄理事らと、時には口角泡を飛ばす議論を重ねながら、素晴らしい記念誌を編集して頂いた。
  小路さんのような真面目で実直でそして温かい会員の方々により、設立以降40周年にわたって、この協会が支えられていることを決して忘れてはならない。

  「松井事務局長は日本一の事務局長だ」などと、ほめ殺しのようなお言葉を頂いたことがあったが、正直嬉しかった。
  コロナ禍で、御挨拶が遅れましたが、小路さん、どうか安らかにお眠りください。そして、何時までも私たちを見守ってください。 (専務理事 松井三平・記)


          岡山中国三誌友の会 アーカイブ
 
の会150回記念会。登録会員数は46人にのぼっていた。
(2006年5月、後列右端が小路氏)
 
 友の会10周年記念訪中団で人民中国社を訪問、水害見舞金を寄託
(1998年9月北京、右端が小路氏)

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《岡山市日中友好協会設立40周年記念講演・講演録》
  アートによる過疎地域の再生  □ 下 □
       
=直島及び中国農村の事例=
        講師  ㈱ベネッセホールディングス  名誉顧問  
               公益財団法人福武財団  理事長   福 武 總一郎 
  文化芸術を通して中国の農民に  夢や希望をもたらす農村再生     

リモートで話すニュージーランド・福武氏と森田潔副会長
山東省・桃花島「アートによる農村再生」 プロジェクト調印式(中央に福武氏)
 

  【アートによる農村再生
  中国・山東省の桃花島地区で手掛けている「アートによる農村再生プロジェクト」についてお話しします。
  私は2016年、ハワイで行なわれたアメリカ、中国の慈善家が集まったフォーラムで基調講演をし、直島の話をさせてもらいました。
  この話に中国の方が大変関心を持たれ、是非中国でも話して欲しいと言われ、中国各地で講演をしています。     中国のみならず世界中で、都市と農村の貧富の格差が拡大し続け大きな社会問題になっています。中国でも大きな問題なので、文化芸術を通して、中国の農民や農村に夢や希望を持てる農村再生に貢献出来れば、と考えるようになりました。
  そして2017年北京で「福武芸術慈善センター」を設立、文化芸術を通して中国の農民や農村に夢や希望をもたらす農村再生に貢献出来ればと考えました。
  そこで、山東省の桃花島という農村を紹介され、フランスの有名な建築家、故ポール・アンドリュー氏と共に中国における先進的なモデルとして〝アートによる農村再生プロジェクト〟と取り組むことになったのです。
  私は2018年、山東省から芸術による農村振興の〝首席顧問〟に任命されました。私は、どんな国も農業が廃れば国も廃れると思います。都会の人も食料を作ってくれている農村のことを忘れないでもらいたいと思うのです。

  コミュニティの破壊  これが一番の問題
  【再生への重要ポイント】
  さて、農村振興の重要ポイントは次のことだと申し上げました。第一はその土地にふさわしい作物を選び、品質向上、品種改良をすること。
  第二は、地元で一次産業の栽培、二次産業の加工、三次産業の販売まで全部やること。他に出すと中間搾取されてしまうからです。
  第三は農民が協働で助け支え合う集団農業方式にしなさい。第四は農民のレベルアップのため農業振興学院の設置と農業指導の強化です。
  このことを強く言いました。特に3番目の集団農業方式は重要です。いくつもの中国の農業改革を見てきましたが、ほとんど大規模農業でした。
  大規模化は生産増加のために悪くはありませんが、一つ大きな問題はコミュニティが破壊されてしまうことです。コミュニティは一番重要なことで、ここに留意しないとダメだと思います。
  プロジェクトの名称は桃花島及び周辺地域を含めた「沂河源田園総合プロジェクト」です。桃花島を含めた7つの村で構成され、それぞれの村が個性的な特色を持って、取り組みをしています。
  実質的には2018年から始まったのですが、進行状況は実に速い。地方政府も力強くバックアップしてくれており、インフラも見る見る良くなっています。
  平均年収は約倍に、村の全体年収は10倍、耕地面積も4倍に増えたそうです。教育機関である農村振興学院は昨年12月にオープンしました。
  このように、私が造って欲しいと言うと本当に造ってしまう。このスピードと力にはビックリしました。〝首席顧問〟というのは力があるのだなと感心しました。
  こうして、村の人々も将来の夢や希望が持てるようになって、満足度、幸福度が上がってきました。
  アートについても順次整備が始まっており、2022年には4、5軒の家プロジェクトが出来ると思います。

  地域に新しい魅力 人達を引きつける
  【なぜ現代美術を農村に】
  そこで、現代美術を農村に設置すれば、なぜ農民が元気になり、農村が発展するのでしょうか。
  農業改革だけでは、農業生産は上がりますが、それだけでは農業関係者しか集まりません。しかし、アート、特に現代美術が自然豊かな農村に入ってくるとどうでしょう。
  先ず、地域に新しい魅力が生まれます。そしてアートと自然が調和して都会では見られない素晴らしい調和が若い人達を引きつけます。
  人々が集まることにより地元に食堂とかレストラン、ホテルなどが出来、地域が潤います。外から人が来るとなると地元の人達は地域をきれいにしようとするようになり、地域はどんどんきれいになります。
  お年寄りは好奇心旺盛です。アートを見て独自の解釈をしたり説明したりし、地域を自慢するようになります。それが生甲斐にもなり、本当に元気になります。
  「女性と街は、人に見られることによってきれいになる」。こんな諺があります。それを本当に実感しています。     今年2月、中国は国務院に国家農村振興局が設置されました。これは中国政府が本気で農村振興を図ろうという姿勢です。3年前から先行しているこのプロジェクトが一つのモデルになるのではないかと期待しているのです。    桃花島には非常に多くの方々が中国全土から視察に来られています。

  「こどもちゃれんじ」  110万人が学ぶ
  【ベネッセの中国展開】
  ベネッセの海外展開、特に中国事業についてお話しします。
  ベネッセは中国では、中国福利会と合作して中国児童家庭教育事業として実施しています。中国福利会は、宋慶齢女史が設立された大変名誉ある福利会です。
  この事業は、日本では「こどもちゃれんじ」と言っていますが、中国では「巧虎」(チャンフー)です。
  〝楽智小天地 巧虎〟と言いまして0歳から8歳までのお子さんを対象に、家庭での学習や躾け、良い習慣などが学べる教材を届ける他、舞台劇、アニメなどの早期教育教材を提供しています。
  2006年から始めて15年になりました。現在では110万人の子どもたちが学んでくれています。
  事業と併行して、上海の中国宋慶齢基金会に寄付を行ない2000年に宋慶齢幼児教育賞を設立しました。
  この賞は、中国全土の第一線で努力している幼稚園の先生方を奨励し、上海での研修の機会を提供するものです。先生方にとって名誉ある賞として知られています。
  また、中国には貧困地区もありそれら地域への支援が必要です。チャンフーでは、山村地区の幼稚園を訪問し、商品の無償提供や子どもたちを励ます交流などもやっています。
  これからも、中国の未来を支える子どもたちのために、最も役立つものを提供していきたいと考えています。

 この講演録は、今年2月27日開かれた定期総会の協会設立40周年記念講演(リモート講演)の要旨を纏めたものです。
 
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  内山完造研究 続々
  研究所報に小特集(神奈川大)

人文学研究所報
  内山完造に関する調査・研究を続けている神奈川大学人文学研究所(横浜市)の内山完造研究会は、このほど「人文学研究所報」(64、65号)に、小特集として報告を行なっている。

  64号では、完造の自筆文書について内山籬氏が解説、完造の〝雑記〟について大里浩秋氏が分析。それに菊池敏夫氏が「花甲録」読み合わせ会の記録を纏めている。
  65号では〝雑記〟から敗戦直後の完造の思索状況、上海内山書店の結末などについて触れている。

  また、川崎真美氏の完造ゆかりの地についての調査報告、松本和也氏の「花甲録」の書法についての解説、孫安石氏の「上海の内山書店と医学書、医療機器の販売」についての論文などが載っている。

  同研究会は、数年前から内山完造研究と取り組んできており、生誕地・井原市や、青年時代を過ごした大阪、京都など関西地区、それに上海などを現地調査し、資料収集や検証、分析、研究を続けてきた。
  当協会にも来訪、関係資料の収集・分析に当たり、2019年には岡山でシンポジウムを開催している。
 
  「内山完造の世界」
      岡山文庫から発刊 
内山完造の生涯を1冊に
 

  戦前から戦中、戦後にかけて日中友好に生涯を捧げた岡山人・内山完造を取り上げた「内山完造の世界」(岡山文庫、日本文教出版㈱)が、発刊された。

  完造は井原市(芳井町)出身で、28歳で上海に渡り、目薬店の出張員として活動。その後、内山書店を開店、日中双方が最も緊張関係にある中で、友好促進活動に取り組み、魯迅や郭沫若らとの交流は知られるところ。

  戦後、強制送還された後は、全国を〝内山漫談〟で日中友好を説いて行脚。時代に翻弄されながら、友好活動に一生尽力した。その完造の生涯を諸資料や伝記などを取材し纏めている。
  完造は、座談の名手であり、コラムニストであり、そして、涙もろい岡山人なのです。人間・完造像を浮かび上がらせている。
                 筆者は、当協会の猪木正実理事。(希望者は協会事務局まで)

洛陽銘酒「杜康酒」
     お酒の〝ふか~い〟お話
     10杯以上飲んだら会員証  
杜康酒会「会員証」
 

  2003年に洛陽を訪問した時のことである。洛陽市主催の歓迎宴席で洛陽の銘酒「杜康酒」がふるまわれた。
  当然、乾杯!乾杯!の繰り返し。10杯以上飲んだ人には〝杜康酒協会〟から会員証が贈られるというから、皆競って飲んだ飲んだ。

  もう、何杯以上飲んだか忘れたが「貴方は会員でなく理事になれる」とのことだった。先日、資料を整理していたらこの会員証が出てきた。
  念のため「今でもやっているのか」と洛陽市の友人に尋ねたら「そんな会は聞いたことがない」との返事。
  この会員証に劉典立会長の代理として署名をしている王鳳民さんは、確か洛陽市人民政府の副秘書長だった方。
  現在では、公務員が民間団体を勝手に作って会員証を出したりしてはいけない規則があるはず。当時は中国流におおらかだったのだ。

  我が協会では、設立20周年記念の時、1000本の「杜康酒」を特別輸入し会員に紹介したことがある。(今回の設立40周年記念でも、この〝美酒〟を紹介する計画)

  コロナ禍が明けて、洛陽の友人と「杜康酒」で楽しく乾杯したいものだ。
  会員の方で、この会員証をお持ちの方はおられますか?おられたらぜひご一報を。   (松井三平・記) 

 盧志鴻氏(八仙閣)を偲ぶ
       岡山を愛し范曾画伯らとの出合いにも尽力

総領事館主催
祝賀会にて。 在りし日の盧さん
  ㈶三江会館(神戸市)理事長で元八仙閣社長の盧志鴻氏が5月8日に亡くなった。享年79歳だった。岡山とは縁が深く心よりお悔やみ申し上げます。

  盧さんに最初にお会いしたのは、1980年の中華料理店・八仙閣岡山店(岡山駅前)のオープン準備の頃だった。
  細身のスーツをビシッと着こなし、アタッシュケースを持ち、颯爽とした青年実業家風の姿が印象的だった。

  開店後同店では、協会理事会や総会、新春互礼会の会場などとして使わせて頂いた。盧さんのご厚意で理事会の時は無料で場所を貸してもらったこともある。
  特に印象深いのが、范曾画伯との出会いだ。同店は日本生命ビル9階にあったが、エレベーター前正面には范曾画伯の大作「八仙図」があり、人目を引いた。
  両備バス社長(当時)の松田基氏がこの絵と出会い感銘を受けられ、1984年に范曾美術館を設立するきっかけとなった。

  その後、八仙閣岡山店を閉鎖されてからは、ご自宅のある神戸で何度もお会いした。
 盧さんは、浙江省寧波の出身だった。当時岡山県知事だった石井正弘氏が寧波を訪問されることになり、県庁職員と一緒に寧波市人民政府への橋渡しをお願いに行ったこともある。

  最近では、協会の新春講演会に神戸在住の毛丹青氏にお願いしようと、盧さんにご紹介頂き、快く承諾頂いた。
  また、一昨年には岡山県高等学校文化連盟が上海の高校と民族音楽の交流を計画したところ、中国の箏の日本への持ち込みが難しいとなった。
  そこで盧さんに相談したところ、神戸中華同文学校にお願いすれば借用することができると提案頂き、無事交流ができた。
  盧さんは同文学校の出身でもあるが、毎年多額の寄付をされていて、深いご関係があった。

  このように、私がお願いしたことは一切断らず、解決方法を考えご尽力頂いた。
  いつもにこやかに穏やかな物腰で接しておられ、大阪総領事館主催の大阪でのレセプションにはお会いするのが楽しみだった。
 盧さん、40余年にわたり本当にお世話になりました。これからも日中友好活動を見守っていてください。
                                               (専務理事 松井三平・記)

活動日誌 
 5/ 1…岡山後楽館高校中国語講師着任
 5/16…日中韓友好都市楽団連盟設立(洛陽)
 6/ 8…拡大編集会議(協会事務所)
 6/23…第2回理事会開催(協会事務所)
 6/30…会報「岡山と中国」6月号発送
先憂後楽
  コロナ禍でリアルの日中往来が出来ないまま、一年半が過ぎた。ただこの間、インターネット会議システムにより新たな交流が実現していることも注目したい。支援学校同士の交流だ.。

  今春、県立東備支援学校と上海市の奉賢区恵敏学校の交流が、県日中教育交流協議会の仲介で実現した。互いの学校紹介や歌、ゲームなどのオンライン交流と合わせて、実際に生徒の作品を国際郵便で送り合って互いの学校を身近に理解した。今後、教員同士の教育研究や生徒の就労支援などの分野での交流が期待される。

  岡山は障害者同士の交流では、旭川荘の20年に及ぶ福祉の翼訪中団派遣や研修生の受け入れなど豊富な実績がある。今回のリモート交流も、上海市の協力によるものだが、これまでの交流の成果といえる。

  今後、ワクチンが普及し相互の渡航制限が緩和されて交流が再開されても、リアルとリモートのハイブリッドの交流が常態化していくと思われる。協会も新常態やDXに果敢に対応しないといけない。まさに「不易流行」の実践だ。
  秋には協会40周年行事が迫っている。そして来年は日中国交正常化50周年という大きな節目を迎える。新たな諸条件や様々な困難も予想されるが引き継いできた友好精神を次代に繋ぐため、会員の皆様とともに歩んでいきたい。   (松)



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また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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