第25号 March 2008

岡山商科大学孔子学院誕生 岡山商科大学 学長 井尻昭夫
悠久の流れの中で 蘇州日本人学校 校長 多田賢一
高芸連文化交流報告 岡山県高等学校芸術文化連盟 事務局長 重藤和彦
大連外国語大学日本語学院の紹介 大連外国語大学日本語学院 副学院長 宮 偉


岡山商科大学孔子学院誕生 岡山商科大学 学長 井 尻 昭 夫

 中国の国家プロジェクトである孔子学院が本年四月からスタートします。
 本学は大連外国語学院大学との十年余りにわたる交流を通じて、この度、同大学との合作で開設が許可され、早稲田大学に次いで全国で第八番目に開設しました。

 既にご存知の通り、岡山は中国との文化交流の面において歴史的には日本で一番関係深い地ではないでしょうか。我々の記憶に新しい岡崎嘉平太、そして上海内山書店の内山完造、上海の東亜同文書院の前身である「大同学院」の名誉校長に就任し中国留学生の教育に当たった政治家でも名を馳せた犬養木堂、画聖と呼ばれた雪舟、鎌倉時代に南宋にわたり臨済宗を修めた栄西禅師、遺唐使を務めた吉備真備、と時代をさかのぼれば多くの岡山県人が中国との文化交流に尽力されていることが分かります。しかも、中国の文豪郭沫若は岡山で青春時代をすごされています。

 このように岡山県人は古くから中国との交流に尽力されており、平成のこの時期に孔子学院が岡山の地に開設されたことはこの意味において意義深いものがあります。しかも、岡山県が中四国の道州制の拠点になることをアピールしているだけに孔子学院がその拠点のひとつに数え上げられることは大変に意義深いものと考えます。
ところで、この孔子学院は世界中に中国国家プロジェクトとして、現在では世界各国に二百余り開設されており、中国文化の交流拠点として活動しています。文化交流となれば一番先に来るのはやはり言葉の問題であり、中国語の普及とその浸透を図ることが大きな仕事のひとつとなっています。

 岡山商科大学孔子学院は、昨年十一月二十五日に開学記念式典を行い、本格稼動はこの四月からですが、すでに、一月十五日から「入門中国語」を、二月からは「初級中国語」の講座を開講しました。もちろん、出張講義も引き受けており、ウオーミングアップとはいえ、さいさきよいスタートを切っています。本年は孔子の故郷への研修旅行をはじめ、京劇・雑技鑑賞、中国語スピーチコンテスト、中国ビジネスに関する経営相談、と幅広い活動を図ることで岡山が道州制の拠点になることに寄与したいと考えています。

 「会社と呼吸する大学」として、皆様のご支援をいただきながら責務を全うしたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

悠久の流れのなかで 蘇州日本人学校 校長 多 田 賢 一


 蘇州は「東洋のベニス」ともいわれる水の都で、人口約七十万人、上海から車で約二時間の所にあります。琵琶湖の四倍の大きさをもつ太湖にも面し、摂政園、留園といった世界遺産に登録された庭園のある、古い歴史をもった古都です。春秋時代の呉の都としても栄え、「呉越同舟」「臥薪嘗胆」等の諺もその当時生まれました。しかし、現実の蘇州は、広大な工業用地に数千社の外資系企業がひしめき、日系企業もハイテク産業を中心に六百社を越えるほどの企業が進出し、蘇州の古い街並を囲むように外へ、外へと広がり発展しています。

 蘇州日本人学校は、激増する日本人の子弟に対する日本語教育のために、蘇州日商倶楽部が母体となり、蘇州市新区管理委員会と文部科学省並びに外務省の日中両国政府の支援と協力の下、設立されました。そして、平成十五年四月の開校式は反日の嵐の真っ只中で行われ、その様子は日本国内にもテレビ報道されました。この時六十三名だった児童生徒数は、三年近く経った現在二百五十名となりました。教職員も十五名から二十五名となりました。
          
 年々増え続ける児童生徒に対し、本校は万全の体制で臨んでいます。まず、中国政府(蘇州市新区管理委員会)から提供された二万六千六百六十六uの広大な敷地にゆったりと建てられた総二階の校舎と体育館があり、全天候型二百mのトラックを持つ校庭には、種々の遊具や球技コート、運動設備が整えられています。校内には普通教室十六と各種特別教室があり、最大収容能力は三十人学級体制で、四百八十人となっています。今後の人数の増加に備え、増築も出来るように用地が確保されています。

 学校運営の基本として、学級定員三十人の少人数学習体制を維持しつつ、学習指導要領に基づいた教育課程を編成し、国語や算数・数学を全体の基礎・基本教科に据えて、小学部・中学部揃って重点指導を行っています。

 教育の特色としては、まず第一に新刊図書一万三千冊を備えた図書室と読書コーナーがあり、図書管理システムを使い運営を進めていることが挙げられます。そして、十分間読書と保護者の図書ボランティアの協力の下、毎月小学生に対し読み聞かせも行われています。

 第二は、中国語と英語の会話教育の充実が挙げられます。小学生は週二〜三時間の中国語会話と一時間の英語活動、中学生は、週三時間の英会話と希望制で週一時間の中国語会話をネイティブ講師二〜四名で実施しています。この成果は、中国の現地校やインター校との交流に活かされています。

 第三は、小・中合同の縦割り班を作り、異年齢集団で行動することが挙げられます。その中でよりよい人間関係やリーダーシップが育まれています。

 年間行事も充実し、保護者の協力の下年々内容も豊かになり、児童生徒の一生懸命な姿が多くの人々に感動となって伝わり、喜ばれています。

 ところで、昨年夏、中学部三年の修学旅行で訪れた西安・敦煌、その際目にした砂漠の景色は、今も強烈に目に焼き付いています。西安で兵馬俑等歴史・文化遺産に驚嘆した後訪れた敦煌で、予想以上に迫力ある自然に出合いました。特に敦煌郊外のゴビ砂漠では、遙かに祁連山脈を望むシルクロードに沿って、いくつもの巨大な砂山や遙かに続く砂原に出合いました。砂漠という空間はとてつもなく無機質で、巨大なものではありますが、ロマンと冒険心を限りなく駆り立ててくれます。生徒達と登った一番大きな砂山のてっぺんから、暮れなずむ見渡す限りの荒涼とした砂漠を見ていると、無機的な景色なのに、妙に心の奧底から湧き上がってくるものを感じました。それは、中国ならではの悠久の営みから感じ取られる、壮大な生命力ともいえるものなのかもしれません。砂漠は、思った以上に不可解で、とてつもなく大きく、どんな物でも飲み込んでしまうような不気味さがあり、謎めいた不思議な力を持っています。歴史上、数々の文化や事物の交差点となったシルクロードの存在とも重なって、未来永劫に「悠久」という言葉がぴったりの場所だと、私は確信しました。
          
 また、砂漠の中で見かけたいくつもの小さな砂山についてエキゾチックな顔立ちのウイグル族の女性ガイドさんに尋ねたところ、それらが土地の人々のお墓であり、「私達は砂漠に生まれたんだから砂漠に帰っていくのは当たり前でしょう。」と、こともなげに返してくれた答えにも妙な感動を覚えました。

 そして、身の回りの中国の人々の暮らしぶりに目をやると、彼らも実にゆったりと暮らしていて、生活スタイルも悠久そのものに見えます。ところが反面、急速に変容していく町並を見ていると、時の流れは性急そのものでもあります。そんな悠久と性急が混在する国、中国で暮らしている私達は、時としてどちらが本当の中国なのか分からなくなってくることがあります。そのアンバランスな現実の中で、私達は蘇州という古くからの町で日々の生活を送っています。

 今年はオリンピックイヤーです。どんなドラマが展開されるか、今から楽しみです。また、蘇州では、今年から二〇一二年開通を目指して蘇州市を東西に貫く地下鉄の建設工事が始まりました。開通に合わせて、日系の巨大ショッピングモールや学校の隣に駅もできます。

 私はこの三月に任期を終え帰国となります。岡山県から派遣され、校長として蘇州日本人学校の開校と基盤作りに、微力ながらも寄与できたことを誇りに思います。また、三年間皆様のご支援ご協力の下、職務に励むことができましたことに深く感謝申し上げます。

平成19年度国際文化交流事業
岡山県高等学校芸術文化連盟ダンス部会と
上海市甘泉外国語中学との相互交流
岡山県高等学校芸術文化連盟 事務局長 重 藤 和 彦

 平成十九年度の岡山県高等学校芸術文化連盟(以下 岡山県高芸連)の国際文化交流事業は、中華人民共和国上海市甘泉外国語中学と岡山高芸連ダンス部会との間で実施され、また新たな友好の輪を広げることができたと確信している。

岡山県高芸連の国際文化交流事業について
 
岡山県高芸連の国際文化交流事業は、平成元年に本県で開催された第十三回全国高等学校総合文化祭岡山大会における文化庁主催の国際文化交流事業(岡山大安寺高校と大韓民国現代高校)がその発端である。翌年には単県事業として移行され、岡山県高芸連にその計画実施が託された。平成九年度以降は、岡山県教育委員会との共催となり現在にいたるが、全国総合文化祭開催時の一過的な国際文化交流事業で終えることなく、よりよい交流を目指して成果の確認と反省を蓄積しつつ連綿と継続されている点が特筆されるべきと考えている。

 また、平成十三年度以降は、中華人民共和国と大韓民国との隔年の交流となり ここにご報告申し上げる上海市甘泉外国語中学との相互交流も今回で三回目を数えることとなった。(平成十五年度は新型肺炎の流行で中止)

招聘
 
平成十九年七月二十日(金)〜二十四日(火)の日程(別表@参照)で実施した。七月二十日、岡山空港に降り立った王 利平先生を団長とする引率教師三名、生徒十二名(男子一名・女子十一名)、上海市人民対外友好協会理事一名の総勢十六名を『熱烈歓迎』の横断幕でお迎えするところから交流は始まった。

 迎える岡山県高芸連ダンス部門の生徒は、総社南高校ダンス部生徒四名、総社高校ダンス部生徒四名、高梁高校ダンス部生徒三名、そして岡山朝日高校ダンス部生徒二名の十三名である。直近に交流生徒に男子が入るとの報告を受けたが、総社南高校の井上君が快く岡山での帯同とホストファミリーを買って出てくれた。大変感謝している。

 酷暑の中での日程となったが、両国の生徒は積極的に交流に取り組んでくれた。倉敷チボリ公園で開催された岡山県高校生芸術フェスティバル二〇〇七にも出演していただき、繊細な民舞、躍動的なエアロビックスダンス、高校生離れした優雅なチャチャチャなどを披露していただき満場の観客を魅了した。

 また、ホームステイも体験し、日本家屋での生活、お祭りやショッピングなど異文化体験に目を見張りつつも交流生徒との人間的なつながりを深めてくれたと思う。

 最終日は、岡山駅プラットホームでの見送りとなったが、ホストファミリーも交えてあちこちで別れを惜しむ光景が見られ、一週間後に上海での再会を誓いつつ涙のしばしの別れとなった。
                
派遣
 
平成十九年八月一日(水)〜五日(日)の日程(別表A参照)で実施した。
 尾淳司ダンス部会長(岡山県高芸連副会長・総社南高校 校長)を団長とする引率教師三名、生徒十二名(総社南高校三名、総社高校四名、高梁高校三名、岡山朝日高校二名)が岡山空港より上海に向けて飛び立った。現地では、劉国華校長先生をはじめとする上海市甘泉外国語中学の方々や仲介の労をとってくださった上海市人民対外友好協会関係者の皆さんの行き届いた配慮をいただきつつ有意義な発表会におけるパフォーマンスの披露やホームステイ等の交流を行うことができた。特に二日間にわたるホームステイを引き受けてくださったホストファミリーの皆さんには、両日とも仕事を休んで上海市内の見学や家庭での交流体験にご協力いただいたとのことで、そのご厚情は本県生徒の胸にも深く刻まれたことと思う。

参加生徒感想
「私の岡山での生活」 趙 ●(くさかんむりに宝)

 飛行機を降りたら、主催者からのとても暖かい歓迎をいただいて驚きました。日本に初めて来た不安もなくなってしまいました。その夜の歓迎会で私はホストファミリーの女の子とそのお母さんに会いました。大野綾華という明るい女の子です。綾華ちゃんはずいぶん中国のことに興味を持っていて、私にいろんなことを聞きました。

 次の日はちょうど岡山の夏祭りでした。それで、綾華ちゃんは、私と他のクラスの友達を夏祭りに誘い、浴衣を着せてくれました。浴衣を着て夏祭りを楽しんでいる日本の女の子の姿を教科書で見ましたが、自分も浴衣が着られるとは思ってもいなかったのですごく興奮してしまいました。他の友達も浴衣を着て下駄をはき、袋を提げてまるで日本人になったようで、誰が日本の生徒で誰が中国の生徒なのか見分けられなくなりました。

 夏祭りでは様々なおいしい食べ物も食べられます。中国では食べられない日本独特の焼そばやたこ焼きなども見ました。疲れたとき、「ちび丸子ちゃん」で見たカキ氷を食べてもっと面白くなりました。

 家に帰り、日本のお父さんとお母さんに挨拶しました。お父さんとお母さんは中国語はわかりませんが、わざわざ中国語を勉強して、私に「ニイハオ」と挨拶してくれました。お母さんは「何か食べたいものがありますか?」とか「夜は寒くないですか?」とか大変親切にしてくれました。お母さんの心遣いで、自分の家にいるような感じがしました。夜は畳でぐっすり寝ました。

 彩華ちゃんの家に泊まっている間に、私は彩華ちゃんと一緒にダンスの授業でジャズダンスを習ったり、電車でプリンを食べたり、駅前のスーパーで買い物をしたり、お父さんとお母さんと一緒にお寿司を食べたりして、楽しい時間を過ごしました。

 時間は短かったですが、私とお父さんとお母さん、綾華ちゃんはまるで本当の家族のように仲が良かったです。でも、とうとう別れなければならない日が来ました。送別会でお母さんは優しく私の手を握って、「気をつけて帰ってね」「体に気をつけて」と言いました。綾華ちゃんは駅で手を振って涙ぐみながら「また上海で会いましょう」と言いました。

「国際文化交流事業に参加して」
岡山県立総社高等学校 大野 綾華


 私はこの夏国際交流というとても貴重な体験をしました。その日が来るまで、自分の意思を伝え、相手の気持ちも理解してあげることができるかととても不安でした。しかし、初めて会ったときに、「こんにちは、綾華さん。きれいな名前ですね。」と言われとても感動しました。私の家にホームステイしたチョウ エイは、日本語がとても上手で、心配していた言葉の壁は、あっという間に打ち砕かれました。母と安心する反面、全て会話は日本語で、中国語は少しも使えず準備をしていなかった自分がとても恥ずかしかったです。一週間ほどして中国に行き、みんなと再会できてうれしかったです。ホームステイ先のお母さんは優しくて、お互い会話はできなかったけれど、ジェスチャーなどで何とか通じ合うことができ嬉しかったです。チョウエイのいとこのジャアチイもとても可愛かったです。

 チョウエイのお母さんは、色々な観光地に連れて行ってくれて、美味しいものをたくさん食べさせてくれました。中国での五日間は、初めて体験する事ばかりで感動の連続でした。また中国のみんなに会いに行きたいです。

世界最大の日本語教育機関
大連外国語大学日本語学院の紹介
副学院長 宮 偉

 大連外国語大学日本語学院(学部)は、一九九五年九月に日本語学部と中国教育部に直属している出国留学人員培訓部、外交言語学研究所日本語部が合併して誕生した。創立時は言語学の単一学科だったのが、現在言語文化、商務、国際貿易、観光、日韓(日英)双語、高級翻訳等が含まれている多コース学科へと進展。日本語科の専任教師は八十三人で、大学院生(修士課程)は百六十二人、在籍している日本語学部生は二,六五三人にも上り、教員数と学生数はいずれも中国最多で、また世界最大の日本語教育機関となっている。

 日本語学院の教師陣は学術研究水準が高く教育経験に富んでいる教員からなっている。専任教師はみな日本留学、又は研修、教育の経験がある。また、毎年日本人専門家を数名招聘する。本学院には、日本語詩歌研究センター、中日比較言語文化研究所、日本文化研究センター、日本語教育研究所、日本語応用言語学研究所計五つの研究機関が設けられている。月刊誌『日本語知識』は二十以上の国家、地区の読者に購読され、広く人気が集まっている。国内外学術誌及び国際学術会議等に学術論文計七百余篇を発表した。中に『新日漢詞典』『日本語を学ぼう』『日本歴代著名詩人評介』『日本当代文学叢書』『新大学日本語』などは学界に注目され、定評を博している。本学院が使用した教科書は全部自校編成のもので、その中の多種が他大学に採用され、日本語教育界に認められている。

 本学は国際交流を非常に重要視し、大学の国際化経営を試みて日本の大学との友好交流をさらに深めてきた。現在、日本の早稲田大学、立命館大学、東京外国語大学等三十余校と提携した。北九州市立大学、北星学園大学、岡山商科大学、長野大学など各校との間に教師交流が行われ、亜細亜大学、国士舘大学、北陸大学、岡山商科大学、長野大学、長崎外国語大学、九州女子大学、武蔵野学院大学、青森中央学院大学等十数校とは特別な様式での教育提携を実施している。また、すぐれた在籍学生を公費日本留学(一年間)、及び短期友好交流に派遣し、年に計百五十名程の学部生が日本訪問、留学のチャンスがあり、大学院生の三分の二が一年間の日本留学に恵まれている。

 本学学生の勉学意欲を高めるため、多種かつ多額の奨学金が設けられた。中国政府、本学の各種奨学金のほかに、日本の友好団体、地方政府、及び個人から提供された学習奨励金も多数あり、「笹川奨学金」「関原奨学金」「富山県・遼寧省友好記念奨学金」「小さい金の橋奨学金」「ソニー奨学金」「住友銀行奨学金」「シティバンク奨学金」などがある。

 本学院卒業生は「会話能力に堪能、総合素質が高い」と社会に広く評価され、その就職率がいつも九十七%を上回る。就職のルートは多様化になり、その大多数は外資系企業及び合資企業、国営企業に就職するが、ほかに、大学院へ進学し、又は日本留学をし、国家公務員試験を受験して政府機関に勤めるなど多岐にわたっている。特にこの数年来、社会のニーズに応じての能力養成がいっそう強化された本学卒業生は、我が国の経済発展、及び中日両国間の経済、文化交流に貢献している。


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