会報「岡山と中国」2005年4月号
『岡山洛陽友好桃園』開園へ!接木の技術指導で訪問
協会が実施している洛陽緑化協力事業の中で、地元の要望が強かった経済作物の普及について、昨年11月に植樹訪問団が洛陽を訪問した時、岡山の桃技術の協力が話し合われた。それを受け、協会は4月4日から8日にかけ2名の農業技術専門家と事務局長を洛陽に派遣し、地元孟津県小浪底鎮の政府と協力して農業関係者らに接木技術の指導と合わせ共同作業を行った。2人は以前から協会が技術指導を頼んでいる久米南町の國忠征美さんと、岡山県農林部OBの清水佐伯男さん。両氏はともに果樹をはじめとする農林業の専門家だ。桃園は植樹予定地に近い森林公園の中にある農地で約2反の広さ。既に300本の台木が植えられており、先に2人が接木の作業を披露した後、2人の若い農業普及員が実際にやってみた。その中の王さんは信陽林業学校を出て小浪底鎮政府の農業普及員を担当している専門技術者で、接木の経験もあり、今後の現地の指導者として期待される。約250本11品種の桃の穂木は全て日本の品種だが既に西安などに導入されていたものを使用した。國忠さんは「早ければ来年実をつけるものがあるかもしれないが、再来年には確実に美味しい桃ができるはず。土壌や気候は桃栽培に適しており、水さえきちんとやれば甘くて大きな桃ができる」と期待している。

今年夏に協会では日中緑化交流基金に助成申請をし、長期的な協力計画をたてる。また秋には第二次植樹訪中団を派遣し地元民と汗を流す予定。協会の友好事業の大きな柱として今後の発展が期待される。
〔協会では会員の皆さんの物心両面にわたる参加を呼びかけている。事務局までご連絡ください。〕
               
会報「岡山と中国」2005年4月号
協会会員 國忠征美さんが小浪底農業顧問に就任
小浪底鎮の雷升鎮長は桃園の開設準備を契機に今後の農林業全般の指導を依頼したいとして國忠さんに農業顧問の就任証を手渡した。年に3回くらいは来て下さい、という要請に國忠さんは「もともと栗や桃、柿などは中国からいただいたもの。今日本で品種改良されて美味しくなっているが、ここで恩返しのつもりで役に立てれば光栄」と語った。
                  
会報「岡山と中国」2005年6月号
ちょっとチャット(31) 洛陽の緑化と桃園・・・・・・・ 協会会員 國忠征美
一昨年7月松井事務局長が久し振りに我が家に来て、洛陽での緑化計画を話した。
1970年代中国では食糧増産のため、森の木が切られ畑地として農作物が栽培されていた。黄河流域もその計画にもれず開発され、雨が降れば黄土は黄河に流入し洪水の原因となり、乾燥すれば黄砂として中国はもとより日本にまで飛んで来る状態だった。

そこで効率の悪い畑を緑化し、土壌の流出、黄砂の飛散防止を目的とした緑化計画が作成された。その中には、防災林と経済林があり、経済林の中には、果樹の植栽計画があり、防災林には周辺の自生樹木を多く取り入れ、種子が地上に落ち再生する樹木を植える。他の地域ではポプラの植栽が行われているが、病害虫、気象害で全滅することが多い。樹種が多ければ一部で被害は防止できる。経済林においては、中国原産の桃を改良して、日本の優良新種での特産地造りの計画を作成した。

西安においては、岡山の白桃が産地化されているとのこと。これは十数年前、西安より岡山県立農業試験場に研修に来られた技術者により産地化されたものである。洛陽においても充分可能と思い、平成16年5月洛陽を訪問し、環境調査、土壌調査、桃の栽培状況の調査を行った。環境、土壌共に問題なく、桃の栽培も?山台地で栽培されていた。

環境調査で、気温は岡山よりも春の温度は早く高くなり、降雨は少ないことがわかり、潅水設備があれば可能と思われた。土壌は、中性よりややアルカリ性で、桃の栽培には良好と思われた。?山台地で桃の栽培農家を訪れ、中国にも真面目に桃を栽培している農家があるのを知った。剪定、病害虫防除、摘果、潅水も行われていた。ただ樹間が狭いのが問題であった。潅水は250メートルボーリングをしているとのこと。この時、果実はすでに長さ5〜6cmの大きさになっていた。これは岡山より温度が高く、潅水を行っているため15〜20日早く肥っている様であり、岡山よりも20〜30日早く収穫できるのではないかと思った。

穂木は、以前岡山より西安へ持ち帰った品種を譲り受け接ぎ木をすれば、産地化も可能であると思えた。
10月30日の植樹訪問の時、桃栽培のための台木、穂木の調達、植え付けの打ち合わせを行い、本年4月4日より私の古い友人で、元岡山県立農業試験場技師の清水佐伯男氏の協力を得て、11品種250本の接ぎ木を行った。現地では王氏の手伝いも得て、無事作業は終了したが、麦の間に台木が植え付けられているので、麦の収穫作業やその後のトウモロコシの管理等で苗木が痛められないかが心配である。来年より、苗木専用の畑が必要ではなかろうか。今後、苗木の掘り取り、剪定、摘果、袋掛け、病害虫防除等、日本の栽培方法により西安に負けない桃の生産ができるよう指導しなければならないと思っている。
                         
会報「岡山と中国」2005年10月号
黄河流域の植林緑化事業促進!日中緑化基金が内定
3年前から申請してきた「洛陽小浪底緑化協力事業」への基金申請について、日中緑化交流基金会より9月30日付けで内定の通知が協会に届いた。

この基金は小渕総理の時代に中国の緑化支援と青少年交流を目的に設立された基金で、俗に『小渕基金』と呼ばれている。この基金を利用して、全国の日中友好団体が中国のパートナーと手を携えて砂漠化防止、緑化の活動に取り組んで大きな成果を収めている。

岡山市日中友好協会では洛陽市人民対外友好協会と協議を重ね、黄河沿いの小浪底で緑化協力事業を始めた。これまでの資金は協会募金でまかなってきた。ただ、本格的に植林に取り組むには、やはりまとまった資金が必要。今回の基金内定は、我々の活動が一定の評価を受けたものであり、また今後の活動への大きな励みになるだろう。
                
会報「岡山と中国」2005年10月号
岡山市日中友好協会NPO認証記念第11回公開講座「洛陽緑化協力事業について」
・・・・・・・・ 講師 グローバルグリーンクニタダ代表 國忠征美
岡山市日中友好協会がNPO(特定非営利活動法人)に承認されたのを記念して行っている公開文化講座の第11回が、10月8日、岡山県立図書館2階サークル活動室で開かれました。講師は國忠征美氏。國忠さんは、グローバルグリーンクニタダ代表で樹木医。「日本さくらの会」(会長・河野洋平衆議院議長)の西日本でただ一人の「さくら専門委員」です。協会が洛陽市と協力して建設をすすめている「洛陽・岡山友誼林」の植樹アドバイザーとして、また、洛陽市孟津県政府農業顧問として、日中友好に貢献しておられます。
講演の要旨は次のとおりです。

私が最初に中国を訪問したのは約20年前で、雲南省の昆明付近の植物の調査をしました。私のもともとの専門は植物の分類と生態の研究ですが、なりわいとして緑化樹木の育苗と販売をしています。

3年前、日中友好協会の要請を受けて「洛陽・岡山友誼林」建設に協力することになりました。

中国は、1970年代、食糧増産のため、黄河流域の森林を伐り開いて畑にしました。草や木が無くなったため、雨が降れば黄土が黄河に流れ込み川底は上がって洪水となり、乾燥すれば黄砂となって、中国だけでなく日本にまでも飛んで来るようになりました。

そこで、中国政府は、効率の悪い畑を買い戻して樹を植え、黄土の流出を押さえ、黄砂の飛散を防ぐ緑化計画(国家プロジェクト)を作りました。「洛陽・岡山友誼林」建設は、この国家プロジェクトの一翼を担っているのです。

崖の斜面は防災林として、それぞれに適した樹木を植える計画です。

現地に行ってみると、経済林には樹が植えてありますが、換金できる樹が良いのに、無雑作にそこら辺にある樹を植えていました。我々の計画とは、ちょっと違っていました。

年間雨量が650ミリで、6月、7月、8月に150ミリぐらいしか雨が降らない乾燥地帯ですから、乾燥に強い樹を受けなければ育ちません。土の質は良く、分析の結果では、PHが7で、チッソやカリも豊富で、今まで搾取農業をやってきて、結構作物が育っているいい土です。水の問題が解決すれば経済林は育つと思いました。探してみれば乾燥に強い樹があるはずなので、そういう樹の苗を育てて、小さい苗をたくさん植えます。たくさん植えると樹が競合して大きくなります。儀式的な植樹は、見栄えのする大きな苗が必要かも知れませんが、友好林は、営々として長く続くものでなければならないので、風あたりの強い大きい苗は避けた方がよいのです。

崖の斜面に植える防災林の樹としては、周辺に自生している樹木を取り入れ、種子が地上に落ちて、再生する樹木がよいのです。柳、このでがしわ、ポプラなどのような他所から持ってきた樹木は、気象や病虫の害で全滅することがあります。その地に適した苗木を選別して植えるのが最も大切であると思います。

丘陵地の経済樹としてスモモやアンズが植えてありますが、十分な管理をしなければ経済向上には結びつきません。?山台地では、桃がよく育っていました。250メートル、ボーリングして水の問題を解決したそうです。桃は元来中国のものですから、水さえあれば育ちます。日本の農家と同じくらいきれいな桃園を経営している農家がありました。雑草は生えていないし、剪定、摘果、袋掛けなど、よく管理されていました。日本と違う所は、木の間隔が狭くて密植している点です。質よりも量を重んじるようです。洛陽の桃は比較的に害虫や病気が少ないようです。日本の夏、桃の幹からヤニのようなものが出ているのをよく見かけます。ヤニの中には、害虫コスカシバの幼虫がいて、桃の形成層を食い荒らして桃の木に大打撃を与える悪い奴ですが、洛陽の桃の幹にはヤニはみられません。桃は中国がルーツで、長い歴史を生きのびてきたから強い木になったのでしょう。

害虫や病気に強い洛陽の桃は、管理技術次第で立派な換金作物になると思います。剪定、摘果、袋掛け等の技術を習得して品質の良い桃を収穫し、生活の向上に役立ててほしいと願っています。

洛陽の桃は、日本よりも1ヶ月早く収穫できます。気温の関係で、4月になると、昼は28度くらいまで上がり、夜は急に下がる、これが糖度を上げるのに役立っています。温度が上がったときに水をやると実が大きく成長して、6月下旬には出荷できるようになります。早く売れば高い値がつきます。現地の農民は一般に桃の栽培に関心が薄く、桃の栽培技術は、特別な農家を除いて皆無に等しい状況です。桃がお金になることがわかれば、一般の農家も桃の栽培に熱心になると思います。
昨年10月の第1回植樹訪問の時、桃栽培のための台木、穂木の調達、植え付けの打合せをし、今年の4月元岡山県立農業試験場技師・清水佐伯男氏といっしょに洛陽に行き、清水氏に協力して頂いて、11品種250本の接ぎ木をしました。植物検疫が厳しく、日本から穂木を持って行くのが難しいので、既に西安で産地化されている岡山白桃の穂木を使いました。西安の岡山白桃は、10数年前、西安から岡山県立農業試験場に研修に来られた技術者が帰国後産地化したものです。

接ぎ木をした台木の間に麦が植え付けられているので、麦の収穫作業や、その後のトウモロコシの栽培で、苗木が傷められないか心配しています。10月末に現地に行って見て、うまくいっていなかったら、苗木専門の畑を作りたいと思っています。

これから後、苗木の掘り取り、剪定、摘果、袋掛け、肥培管理等、日本の栽培方法によって、西安に負けない桃の生産ができるよう指導していきたいと思っています。
                      
会報「岡山と中国」2005年12月号
「洛陽・岡山友好林」〜建設第二陣訪中 紅梨等2,000本植樹〜
岡山市日中友好協会訪中団が洛陽を訪問!

片岡会長を団長とする総勢17名が10月30日から11月3日にかけて洛陽市を訪問した。おりしも岡山市長に高谷茂男氏が当選し、懸案になっている友好都市凍結解除への動きが本格化する中での訪問となった。また、10月24日に『日中緑化協力基金』の交付決定通知が届いた直後でもあり、3年前から協会が手がけている小浪底での植樹活動が新たなスタートを切る訪問でもあった。そしてもう一つの大きな目的は、白馬寺の印樂住職が正式に方丈に昇格する式典に参加することであった。

小浪底の植樹

昨年の丁度同じ頃、第1次の植樹訪問団を組織し、初めて地元農民らと汗を流したが、今回は日中緑化交流基金交付が決定したこともあり、植樹現場では、李外事弁公室主任や孟津県の県長、小浪底鎮長らが参列し、盛大なセレモニーが行われ、『中日友好林記念碑』の除幕がなされた。その後、地元小浪底中学の生徒を含め約100名が参加して協会訪問団らと紅梨の木2,000本を植えた。黄河を臨む?山台地は快晴で、絶好の植樹日和だった。団員たちは中学生らと談笑したり記念写真を撮りながら、植樹にさわやかな汗を流した。
協会ではカウンターパートの洛陽市人民対外友好協会と協働し、3年間に約33ヘクタールの植樹を計画している。環境問題、日中相互理解とからめて幅広い市民運動を目標に、来年以降の展開が期待されている。(松井三平)

再会感激!

今回2回目となる洛陽小浪底での職理事業に参加することが出来、心配していた天候もよく、作業するには汗ばむくらいの気候でした。

式典も進み「洛陽岡山中日友好林」の記念碑の除幕を行い、地元の人と植林作業にとりかかる。今年は約100名の中学生が参加し、すでに地元の人が掘っていた穴へ、植付けもスムーズに進んだ。どこの国の子供も同じで数人が集まると、立ち話が始まり作業の手が止まる。中国語の出来ない私としては歯痒い思いをしながら「話ばかりせずに仕事をせえ」と身ぶり手ぶりをすると素直に、2、3人に分かれ作業をするのには感心した。(日本の私の周りの子供はこれほど素直に聞くだろうか?)その姿を見て、自分達が黄土の緑化促進に参加している自覚をもっていると感じたのは私だけだろうか?黄土高原を車窓から眺めると、何百、何千年の年月によって数メートルから数十メートルの谷ができている。流出した土は、黄河に沈殿する。1年に10センチ溜るという。この状態が続けば将来大変なことになる。中国は「百年の計」で土砂流出防止計画があり、黄河周辺の植林がそれである。その計画にいち早く参加したのが岡山市日中友好協会である。この事業に参加できた私にとって、思い出多いことである。

この度の洛陽訪問は、夫婦で参加させていただいた。もう一つは、昨年洛陽市仏教交流訪日団の白馬寺印樂和尚が来岡された際岡崎嘉平太先生の墓参をしたいとのことで地元の私が案内役をお引き受けした。岡崎祈念館、菩提寺、墓地。その後、庶民の我が家で日本文化のお茶事「茶飯釜」を妻と娘でおもてなしをしたところ興味をもたれ、心和まれておられたことが印象に残っていたので、ぜひ会いたいと思っていたが、再会することが出来た。妻とともに参列でき、歓迎会での祝典席で印樂大和尚が話の中で娘、孫のことにふれられ、感激した。
妻曰く、「私、中国にはまりそう!」(三尾尊弘)
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